仕事のことしか頭になく、料理も洗濯もしなかった南場さんが、夫婦2人で挑んだ2年間の闘病生活。その中で、身に沁みて見えてきた家族のありがたさ。
DeNA創業者 南場智子氏

私は、「ガルル型」の人間でした。ガルルとは私の造語で、馬車馬のように頑張ること。とにかく立派なビジネスパーソンになりたくて、ガムシャラに働いてきました。

大学卒業後に入ったマッキンゼーでは、朝4時、5時の帰宅は当たり前。いったん帰って9時には出社し、平日の睡眠時間は2、3時間という生活でした。最初はデキが悪かったものの、負けず嫌いと頑張り屋っぷりを発揮したおかげで、出世の階段を順調にのぼり、やりたいことはだいたい何でもできる立場になっていました。

それが36歳のときにネットオークション会社を立ち上げるという熱病に浮かされて、ディー・エヌ・エー(DeNA)を起業。それからは、競合に先を越される、システム開発に失敗する、株主との調整に奔走する、公正取引委員会の立ち入り検査が入るなど、すったもんだの苦労をしながらも、ただただ仕事にまい進し、仲間とともに、売り上げ2000億円超の会社に育ててきました。

一方で、私は家庭人としては最低に近い人間でした。マッキンゼーで見つけた相手と、人並みに結婚しましたが、結婚後の生活はそれまでと変わらず仕事最優先。食事は100%外食。夫の洗濯物など触ったこともないという体たらくでした。2人とも深夜遅くに帰宅するや否や、爆睡というパターンが多く、マッキンゼーの同窓会で「久しぶり!」と挨拶をすることさえありました。夫もまた、料理も家事もせず仕事ばかりする妻を面白がって放っておいてくれたのです。