「画期的な飛行機」を生み出す

「国産軽飛行機の設計を募集」

ホンダとGEで共同開発したジェットエンジン「HF120」。

今から52年前の1962年、創業者の本田宗一郎氏は新聞にこんな広告を出した。それを見て「飛行機がつくれる」と思って翌63年に入社したのが吉野浩行元社長だった。しかし、ホンダが実際に航空機の研究開発に着手したのは86年。吉野氏は自動車エンジンの開発を担当させられ、「オヤジさんにだまされた」とのちに半分笑いながら話していたが、86年以降試行錯誤、失敗の連続だった。

当初は、航空機開発のための設備や空洞試験設備など全くなく、飛行機の模型をつくり、それを車の屋根に付けて走って空力特性を測ったそうだ。しかし、10年経っても、ホンダが目標としていた画期的な飛行機を生み出すことができなかった。そのため、社内の雰囲気は冷たく、あきらめざるを得ないところまで追い込まれた。

夢の現実が風前の灯火となっていた97年、当時本田技術研究所のトップであった吉野氏が「あきらめないぞ」と、ホンダジェットのプロジェクトを推進。その後、数々の新技術を生み出し、それらを組み合わせることで競合機種に比べて性能的に優れた航空機を開発できた。そして、2006年に航空機を事業化すると決定した。

ホンダジェットの特徴は、エンジンが主翼の上に設置され、胴体に直接エンジンを据え付けるこれまでの機体になかったスタイル。これによって、競合機種に比べてキャビンの広さは約20%広く、また、主翼の形状、機体の先頭形状などの工夫により、最大巡航速度や燃費性能も優れる。

この航空機づくりを最初から携わってきたのが、ホンダ・エアクラフト・カンパニーの藤野道格社長(ホンダ執行役員)で、84年に東大工学部航空学科を卒業後、「当時の航空機産業には魅力が感じられず、クルマの技術者になろう」と入社した。

「なんとかホンダの次の世代商品にふさわしい画期的な飛行機をつくりたいとの思いが強かった」と藤野氏は語っている。