88年秋、2機で配管などのサンプル調査を始める。翌年にかけて、交換用の配管などを準備し、手順を固める。その間、整備の内容を決める技術部から、予算や人繰りを担う管理室企画課へ異動した。そして、90年10月、全機での全面交換が始まる。休職となり、組合の委員長に就任した翌月だった。

配管を1本ずつ、図面から描き直す。飛行機の数だけ描き、取り換えていく。ジャンボ機で数えたら、1000本近くもあった。整備現場は「正気の沙汰ではない」と思ったのだろう、昨日まで「やれよ」と言っていたのに、「ほんとうにやるのか?」と言い始めた。でも、なぜやるかを説けば、現場は納得する。

配管には、すべて番号が付いていて、機体メーカーに注文もできる。でも、それでは、工夫がない。ここでもよく調べ、新しい管を買って、自分たちで曲げてつくれば安く済むと知る。現場の作業が増えるので、何度も足を運んで説明し、「いい機械があればやる」との答えを得る。まず、羽田と成田に設置した。

交換プログラムは、いまも続く。5年前から油漏れデータの蓄積に力を入れ、一番いい交換時機を分析している。四半世紀も前の提案が定着し、進化している。あまりに「油漏れを減らせ」とうるさかったのでやっただけだが、やるべき根拠が明快だったゆえの、成果だ。

実は、当時から「話が長い」と言われた。社長になっても「挨拶が長すぎる」との声が耳に入る。「知っていることが多いから、話をしているうちに、どんどん次の話が出てきてしまうのだろう」とかばってくれる人もいる。でも、というよりも、あいまいな話が嫌い、あいまいにしておくのは嫌だから、長くなってしまうのかもしれない。

「以疑決疑、決必不当」(疑を以て疑を決すれば、決必ず当たらず)――確信のない根拠のもとにあやふやな気持ちで判断すれば、結果は必ず見当はずれとなる、との意味だ。中国の古典『荀子』にある言葉で、迷いを残したままの決定を、厳しく戒める。物事を固める前に、よく事実を調べ、確認して、考え抜く篠辺流は、この教えと重なる。