日本軍の給与にみる、今なお続くニッポン学歴主義

ベストセラー百田尚樹氏の『永遠の0』を読みながら、私が気になったのは給与だ。「主人公の宮部久蔵は現場叩き上げの人間であり、高い給与をもらっていなかった気がするが、果たしていくらだったのだろうか?」(編集部注:本作は映画化され、主人公・宮部を俳優・タレントの岡田准一が演じている)。

疑問を抱いていた時に手に入ったのが『名古屋陸軍造兵工廠史 陸軍航空工廠史』(名古屋陸軍造兵工廠記念碑建立委員会発行)という本だ。

パラパラめくっていていくと「軍人給与」(昭和20年)という項が目に入った。

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1945(昭和20)年の軍人諸給与

軍人の給与は、「月額俸給」(基本給のようなもの)のほかに「戦地増俸月額」(満州・朝鮮・台湾など地域ごとに決定)「出戦手当」「死亡賜金」が出ていたようだ。

  本を読み終えた私の感想は、60年以上も前の軍人給与の仕組みは、現代もそのまま続いているのではないか、ということだった。

その給与は、職階ごとに決められていた。上は大将・中将・少将から、下は二等兵まであった。驚いたのは、二等兵の給与の低さである。

二等兵は甲と乙があり、乙の人は、月額俸給が6円でしかない。それに「戦地増俸月額」が赴任地によっていくらが付く訳だが、「出戦手当」はナシで、「死亡賜金」はたった150円しか付かなかった。この二等兵が頑張って活躍して軍曹に昇進したとしても、月額俸給は26円でしかない。