「兵隊あがりの少尉」は月給70円(理髪20回分)ももらえない

『永遠の0』の主人公の宮部は海軍だったから若干違うかもしれないが、宮部の給与がいくらだったのか想像してみよう。

宮部は大正8年生まれ。久蔵の父は相場に手を出して失敗して首を吊った。母も病死。おかげで宮部は経済的理由で中学校を中退。カネもなく、身よりもなく、昭和9年に海軍に16歳で入隊した。

海軍の下士官は当時、口減らしで入った人が多かった。久蔵は最初、海兵団に入り兵器員となり、次に操縦訓練生(操練)になってパイロットになった。「操練」は一般の水兵から航空兵を募ったものだ。飛行訓練を経て最初に配属されたのは横須賀航空隊。宮部は昭和12年の日中戦争に、戦闘機のパイロットとして参加するなど腕を上げた。宮部は真珠湾攻撃に参加して、空母赤城の搭乗員だった。搭乗員の技量が高いのは、空母赤城と加賀に乗っていて第一航空戦隊と言われたので、まさにエースパイロットだった。

宮部は昭和17年(24歳 海軍入隊9年目)にラバウルに配属になったが、その頃は「一飛曹」で、下士官の一番上だったという。この「一飛曹」というのが陸軍の給与兵には載っていないが、仮に「軍曹」クラスだったとすれば月額俸給は26円でしかない。

昭和18年の時は「少尉」になっていたが、宮部のような兵隊上がりの少尉は「特務士官」と呼ばれ、兵学校出の少尉より一段下にみられていた。陸軍の給与表では「少尉」は月額俸給70円である。

問題は、この給与の値打ちがどれだけあるかだが、当時の物価を調べてみると、例えば理髪代は、昭和15年に50銭だったが、昭和16年には1円50銭になり、18年には3円20銭に跳ね上がっている。そして昭和20年には3円50銭になった。

月額俸給で、何回理髪に行けるか?ということで、その値打ちを想像できることだろう。「少尉」の月額俸給70円は理髪20回分だ。つまり兵役はお国のために尽くすことだから、薄給が当たり前なのだ、という感覚だったのだ。二等兵はまさに使い捨てだった。

一方、大学在学中に予科練を志願し、特攻隊になった若者はいくらの給与だったのか? 大学出はいきなり少尉になったから、最初から高い(?)給与をもらえた。

海軍兵学校を出てきたエリートは、いきなり少尉になり、その後は出世階段を駆け上っていく。中尉85円、大尉137円へと上がり、まして大将ともなると550円になる。これは二等兵の25倍だ。