メーカーに口出しされないよう、“ミックス“した

秋月電子通商秋葉原店の様子。顧客たちは、大量に陳列された商品を真剣な眼差しで丹念に選んでいく。(撮影=三田村蕗子)

【辻本氏】当時売れていたのがマイカドン。マイカ・コンデンサのことです。かつて父親から、プレスするときにドンという音がするからそう呼ばれるようになったと聞きました。マイカってわかりますか。雲母のことですよ。ピンセットで雲母を薄く剥いで、スズを入れて、重ねてモールド(一体成型)したものを売ってました。世田谷から秋葉原に移ってきたのが、ちょうど、三島由紀夫が切腹した年の夏です。ああ、1970年ですかね。10坪の店で家賃は20万円でした。普通のビルだと100万、200万の家賃はざらでしたから、秋葉原にこの賃料で店を出せるなんて夢のようでしたよ。

 戦前からラジオ部品の専門店が立ち並び、戦後になると家電品店も続々と出店して活況を呈していた秋葉原に店を出してからというもの、辻本氏は計画的に仕入れて販売するという、ごく当たり前の仕入れスタイルにシフトした。とはいえ、ラインナップは「当たり前」とはほど遠い。辻本氏はちょっとした「ひねり」を加えて、秋月電子の「名物」となる商品を生み出した。

【辻本氏】仕入れた商品の小売価格については、当時はメーカーから口出しをされていました。例えば100円で仕入れた品を200円で売ろうとすると、ダメ出しされるんですよ。もっと高く、300円で売って欲しいと言われる。圧力というわけじゃないけれど、当時はメーカーに対して反論できる時代じゃなかったですからね。問屋の価格体系がある都合上、こちらで勝手に安く売ることは許されなかった。外資系もそうでしたよ。テキサス・インスツルメンツの部品を200円で仕入れて400円で売ろうとすると、もっと高い値をつけてと言われる。

じゃあと、考えたのがミックスして売る方法です。AとBとCという違う商品を3つ混ぜて、200円で売ってみた。キットにすると、もうどれがどの値段なのかわからないじゃないですか。これならメーカーにも怒られませんからね。要するに、面倒くさいからそうしちゃった(笑)。電子部品のキットは最初からキットにしようと思って売ったんじゃないんです。順序が逆。メーカーがうるさいからそれを避けるために始めたことです。

メーカーの言うとおりに売ったほうが、利益は増す。だが、客にとってはメリットがない。客が買いやすい値段にしたほうがたくさん売れるはずだ。そう確信し、考案したお買得価格のキットは爆発的に売れた。ただし、客からのクレームも相次いだ。抵抗が入っていないじゃないか。基板はないのか。コアな電子部品ユーザーから寄せられる声に秋月電子は応え、それが秋月電子の成長の原動力となった。