最近、「偉くなりたくない」というビジネスパーソンが増えています。いささか不可解な現象です。端的に言って、地位が高くなれば、より大きな報酬と裁量権が得られ、仕事の達成感や自由度が増します。

キャリアが浅いときは仕事上、何かと窮屈な思いをしますが、肩書が大きくなると、責任が重くなる一方で仕事のよろこびも増える。

そう考えると高い志や大目標を持つことは健全なことに思えます。

実際、私が知っている有能な経営者やリーダーのほとんどが若い頃から「上にいきたい」「偉くなりたい」という“野心”を胸に抱き、さまざまな局面で勝負をし、自己精進に励んできた人ばかり。

その姿はアスリートとよく似ています。プロのスポーツ選手が常に「勝ち」にこだわって勝負に挑んでいるのと同じように、高みを目指しているビジネスパーソンは勝負師のスタンスを持っています。それが「偉くなりたい」という気持ちの表れだとも言えます。

そして、彼らは偉くなるために、人知れず練習や努力を積み重ねている。大した努力をせず成果も出せずに、口だけで「俺は偉くなるんだ」と社長になることが目的化してしまっては単に滑稽な人になり下がってしまいますからね。

組織で偉くなろうとするときに大事なのは、「偉くなりたい」と本人が強く願うと同時に、いかに上司や同僚、顧客といった自分をとりまく人々に「偉くなりうる人」と評価されるかということです。もっとわかりやすく言うと、同好会でもサークルでもない企業において、しっかりと利益をもたらす有用な存在であることがリーダーの条件になるのです。