作家、元外務省主任分析官 
佐藤 優氏

私は、母がプロテスタントのキリスト教徒だった関係で、子供の頃からよく教会に連れていかれた。14歳のときに熾烈な沖縄戦に遭遇し、軍属として、陸軍第62師団(通称「石部(いしぶ)隊」)と行動をともにした母は、戦争末期に陸軍の下士官から自決用に手榴弾を2個渡された。

沖縄本島南部、摩文仁(まぶに)の浜辺にある自然壕に隠れているとき、米兵に発見された。「手を挙げて出てきなさい」という投降勧告を受けて、母は自決しようと手榴弾の安全ピンを抜いた。信管を壁に叩きつければ、5秒足らずで手榴弾が爆発し、壕の中にいた17人は全員死ぬはずだった。母が2~3秒躊躇したとき、隣にいたひげ面の伍長が「死ぬのは捕虜になってからもできる」と母をいさめて両手を挙げた。そこで、母は命拾いした。

戦争に敗北し、命より大切だと教えられた日本国家の統治が沖縄には及ばなくなってしまった。その時期に母はキリスト教に触れ、洗礼を受けた。母自身は神を信じていたが、自分の信仰を他人に勧めることは一切しなかった。母は私が子供の頃から、「神様はいると思う。それだから、あの沖縄戦でもお母さんは弾に当たらなかった。この命は神様から与えられているので、大切にしなくてはならないと戦争を通じて実感した。人間にとって大切なのは、自分の命や能力をイエス様が行ったように他人のために使うことだ。もちろん人間は神様じゃないから、完全にはなれない。しかし、ほんの少しだけでもイエス様の生き方を見習って、他人のためになる人生を送ってほしい」という話をよくしていた。

母からの刷り込みで、私自身も神がいるのは当然のことだと思っていた。中学生の私が、洗礼を受けたいと言い出すと、母と牧師から「一時の衝動で洗礼を受けるのはよくない。ある程度人生の経験を積んで、心底キリスト教徒として生きていくという気持ちが固まってから考えればよい」とたしなめられた。この牧師、新井善弘先生は元厚生官僚で、30代で洗礼を受けた。自分が本当にやるべきことは牧師になることだという召命観を持ち、中途退職して神学校に入学した。