ロシア語、中国語など旧共産圏の言語で書かれた聖書。国内にひそかに持ち込む際に一見してそれとわからぬよう、背や表紙にタイトルが記されていない。無神論政策をとるマルクス主義では「宗教は人民の阿片(アヘン)である」とされているため、旧ソビエト連邦などでは、教会弾圧や信徒の投獄が広く行われていた。

そこで、キリスト教とマルクス主義の関係について本気で勉強したくなった。最初は文学部哲学科で宗教批判を研究したいと思っていたが、1浪中にキリスト教神学を真剣に勉強したくなり、1979年4月、同志社大学神学部に入学した。神学部は本当に自由な雰囲気だった。神学を勉強して約半年で、マルクスが批判している神は、人間がみずからの願望にあわせてつくった偶像にすぎず、キリスト教の神とまったく異なることを知った。79年12月23日のクリスマス礼拝のときに洗礼を受けた。当時、私は19歳だった。

あれから32年経つが、信仰が揺らいだことは1度もない。私が信仰を持ったのではなく、神に私が捉えられ、身動きが取れなくなってしまったのだ。人生で様々な問題に遭遇したとき、私は神のためにはどういう選択をすればよいかと無意識のうちに考えるようになった。

ロシア語の聖書

こういうものの考え方は、学生時代に身についた。恐らく、よき教師、学生との出会いが、知らず知らずのうちに私の心の鋳型をつくったのだと思う。神学は、知恵や知識がつけばそれを人生や仕事に応用できる法律学、経済学、工学などと違って、旧約聖書「コヘレトの言葉」1章18節に記されているように「知恵が深まれば悩みも深まり 知識が増せば痛みも増す」という性格を持っていることを、神学教師たちから知らず知らずのうちに叩き込まれた。後に外交官になって、北方領土をめぐる秘密交渉やインテリジェンスの仕事に従事して、知れば知るほど悩みが深くなり、心が痛くなるようなことが増えたが、仕事のプレッシャーに潰されなかったのは、「コヘレトの言葉」がいつも頭の片隅にあったからだ。

神学教師は、人当たりは柔らかいが意思の強い人が多かった。学者としても優秀だったが、それよりも、自分が受けることより他人に与えるという神学教師の人生観から私は強い影響を受けた。これは新約聖書「使徒言行録」で、パウロが紹介したイエスの言葉に基づく。

<わたしは、他人の金銀や衣服をむさぼったことはありません。ご存じのとおり、わたしはこの手で、わたし自身の生活のためにも、共にいた人々のためにも働いたのです。あなたがたもこのように働いて弱い者を助けるように、また、主イエス御自身が『受けるよりは与える方が幸いである』と言われた言葉を思い出すようにと、わたしはいつも身をもって示してきました。>(20章33~35節)
作家、元外務省主任分析官 佐藤 優
1960年、東京都生まれ。85年、同志社大学大学院神学研究科修了、外務省入省。在露日本国大使館等を経て95年、国際情報局分析第一課。2002年、背任及び偽計業務妨害容疑で逮捕。09年、執行猶予付き有罪確定、外務省を失職。著書に『国家の罠』『私のマルクス』『はじめての宗教論(右・左巻)』『新約聖書(I・II)』(文春新書、解説のみ)ほか多数。
(撮影=小原孝博)
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