2013年8月9日(金)

フェイスブックの書き込みについていけなくなったら

ストレスフリーのための全課題

PRESIDENT 2013年1月14日号

著者
山崎 亮 やまざき・りょう
コミュニティデザイナー

山崎 亮1973年、愛知県生まれ。studio-L代表。京都造形芸術大学教授。人と人とのつながりを基本に、地域の課題をそこに住む人たちが解決していくコミュニティデザインを実践する。『コミュニティデザイン』(学芸出版社)など、著書多数。

コミュニティデザイナー 山崎 亮 構成=田中裕康
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求める「つながり」のレベルが違うだけ

フェイスブック(FB)やツイッターをはじめとするSNSで、1日何十回も発信したり、何万人もフォロワーがいる人がいます。一方で、FBに登録はしているけれども、ほとんど使わなかったり、書き込んだりしない人もいます。そんな人からすれば、SNSに夢中になる人を不思議に思うこともあるでしょう。

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「ストレスを感じたことがある」68%

しかし、それは人との「つながり」をどれだけ求めるか、どれくらいの距離感が自分にとって心地いいと感じるか、その違いにすぎません。SNSでとても多くの人とつながっている人は、おそらくそのほとんどがネット上だけのつながりでしょう。薄いつながりかもしれませんが、1つ発信したら100人に1人くらいコメントしてくれるかもしれない。彼らにとってそれが楽しいのです。

実際に人と会うリアルなコミュニケーションの場合、やりとりする情報は濃密ですが、実はかなりわずらわしい面もあります。相手が何か話したら、それに返答するのは自分しかいない。それに比べ、SNSなら気が向いたときだけコメントすればいい。つながりが薄くてゆるいぶん、わずらわしさがありません。

一方で、SNSにあまり興味がない人は、おそらくリアルなつながりで十分満足しているのでしょう。つまり、SNSに夢中になる人もそうでない人も、つながりを求めるという意味では同じなんです。その求めるレベルが違うだけのこと。だから、すごく書き込む友人に違和感を覚えても、広く浅くつながりたい気持ちの現れだと理解すればいいのです。

SNSが流行る背景には、人と人のつながりが希薄になりすぎているという現代社会の問題があると思います。日本が村社会だったころは、自分がどんな家に住んでいて、今日はどこへ行って何をするのか、集落の人にはすべて筒抜けでした。村の行事には強制参加が当たり前。何をするにも人から干渉されて、自由がありませんでした。

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