天台宗大阿闍梨 酒井雄哉

ここ何年も経済の調子がよくないし、東日本大震災も起きたから、悩みがあるとか苦しいなあと思っている人は多いでしょう。

そういうときに、おざなりの理屈とか「癒やしの言葉」を並べたってしょうがないんだよ。ありのままの姿を、そのまんま正直にとらえていればいい。物事には真実以外に何もないんだからね。

苦しいことにぶつかれば、誰だって苦しい。それなのに「苦しくありません」とか「こうしたら解決します」と軽々しくいう人がいるけれど、言葉にした以上は、必ずそれを実践するということが必要じゃないのかな。

いまは知識や情報の量が多すぎる。もちろん知識は大切だけれど、それを学んで身につけて、自分なりに使いこなせるようでなければ何にもならない。大事なのは「実践する」ということなんだ。

――何よりも実践を重んじる。それが酒井雄師の生きざまだ。「大行満大阿闍梨(だいぎょうまんだいあじゃり)」など最高位の尊称を持つ高僧だが、その経歴はいささか異色。特攻隊からの復員後、さまざまな職業を経たのちに僧侶としては異例の40歳で得度し、数々の修行を重ねた末に、比叡山に伝わる最大の難行「千日回峰行(せんにちかいほうぎょう)」を2度も満行した。これは歴史の残る天正13(1585)年以降、3人目という偉業である。
千日回峰行は7年をかけて比叡山中と京都市内(これを「京都大廻り」という)を延べ4万キロ歩きとおすほか、9日間の不眠・不臥・断食・断水をともなう「堂入り」の行を必須とする。「不退行(ふたいぎょう)」とされ、行が続けられない場合は自害するのが決まりである。酒井師は文字どおり死を賭して究極の荒行に挑み、自己を鍛えるとともに、国民の幸せや国家の安泰、世界の平和を一心に祈念した。ゆえに、その言葉には千金の重みがある。