次のジハードの戦士はどこで暴走するのか

ジハードの定めはコーラン(クルアーン)にあるから、神(アッラー)の命令である。ただし、ジハードというのは、本来信仰を正しくするための努力が原義であるから、なにも敵に爆弾を投げたり、銃を撃ったりすることだけがジハードではない。以前なら、アルカイダの犯行だとか、イスラム国の犯行だとか、暴力は特定の組織と結びつけられるのが常であった。

だが、これからはそれが通用しなくなる。

組織が先にあって、何かをしようというのではなく、ガザという、世界中のムスリムにとって途方もない惨事が目の前にあるので、今や20億人もいるムスリムの99.9%は行動に出ないとしても、0.1%の誰かが、どこで、ジハードの戦士となって暴力に訴えるか、およそ見当もつかない。0.1%だとしてもざっと200万人に達する。

ハマスは、単に「イスラム抵抗運動」の意味だから、少しその思想を学べば、あちこちから「イスラム抵抗運動」を名乗る組織や個人が現れても、なんの不思議もない。現在そういう人間がイスラエルに入れる可能性はまずないから、敵と戦うと言っても、イスラエルを支持する国に対するテロ攻撃の形をとるだろう。パリやフィリピンでのように、あちこちで散発的にテロが繰り返される可能性が高い。

欧米社会で暴力が日常化するかもしれない

一方、ヨーロッパで起きている事件に注目すべき変化が見られる。2024年1月、オランダで反イスラム運動の活動家がコーランを焼くデモンストレーションをしようとした。

この種の焼却や破棄はすでにスウェーデンやデンマークでも起きていて、イスラム教徒との間に深刻な断絶を生んできた。表現の自由を理由に、ヨーロッパではイスラムの聖典に対する冒涜は罪にならないことが多い。むしろ、ムスリムの抗議から活動家を守るために警察が出動するのが常である。

警察
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ところが、1月のアムステルダムでのデモンストレーションでは、激怒したイスラム教徒の若者が警察のバリケードを破って活動家に襲いかかった。すぐに警官に引き離されたが、私が恐れるのは、この種の暴力的応答が日常化することである。

特に、ガザ問題で人権や自由に関する欧米のダブルスタンダードが、あからさまに示されているから、イスラム教徒の側も、欧米社会の諸価値に対して、あからさまに拒否する行動に出るだろう。イスラム教徒が何を命に代えても守ろうとするのか? 極端なことを言えば、それは子どもや女性の命と神の言葉を記した聖典コーランなのである。欧米諸国の人間が理解しようがしまいが、これは変わらない。