「18歳人口が減少したら困る体制」をコツコツ作り上げていた

ところが調べてみると、どこの大学もそれ以前は「臨時定員増」で、学生定員を増やし、教職員数を増やし、財政規模を大きくしていたのである。

授業を受ける大学生
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たしかにその時点での18歳人口は増えていたのであるから、それに適切に対処したのかもしれない。けれども、そうしたせいで「18歳人口が減少し始めたら、たいへん困ったことになる体制」をコツコツと作り上げていたのだ。

いったい、当時の大学経営者たちは何を考えていたのであろうか。たぶん「18歳の人口が減って困り始めるのは私が退職した後だし、とりあえず今は『稼げるうちに稼いでおく』ということでいいんじゃない」というくらいの考えだったのだろう。私だって、その時代に大学にいたら同じように考えたかもしれない。「洪水よ、我があとに来たれ」である。

「人口問題=人口減」なのは一部の先進国だけ

その時に私が学んだのは「人々は人口問題についてあまりまじめに考えないらしい」ということだった。なにしろ「人口問題」の定義自体が「人口増」から「人口減」に変更されたが、それについて誰からも何の説明もなかったからである。

それ以後、私は人口問題について、「周知のとおり」という口ぶりで話を始める人のことは信用しない。だから、「人口減」をいきなり「病弊」として論じるということにも抵抗を覚えてしまう。

そもそも今も人類規模では、人口問題は人口減ではなく人口増のことだ。

人類の人口は現在80億。これからもアフリカを中心に増え続け、21世紀末の地球上の人口は100億を超すと予測されている。この予測が正しければ、今から80年、グローバルサウスは引き続き人口爆発による環境汚染や飢餓や医療危機の問題に直面し続けることになる。

つまり、人口問題が専一的に「人口減」を意味するのは、今のところは一部の先進国だけなのだ。

私たちがこの事実から知ることができるのは、人口はつねに多過ぎるか少な過ぎるかどちらかであって、「これが適正」ということがないということである。人口については適正な数値が存在しない。それが人口問題を語る上での前提であろう。

日本の人口として、いったい何人が適正なのか、私が知る限り、その数字を示してくれた人はいないし、ある数字が国民的合意を得たこともない。

果たして、日本列島の「適正な人口数」を知らないままに、人口について「多過ぎる」とか「少な過ぎる」とか論じることは可能なのだろうか。