私が不快感を覚えたシーン

武士が庶民を気まぐれで斬首したり、漂流船の船員が釜茹でに処せられたり、という描写もある。こうしたバイオレンスが不安定な時代を象徴的に物語っている、という評価もあるようだが、私にはまったく同意できない。

すでに述べたように、よほどの例外を除いて武士は庶民を気まぐれで斬ったりしなかった。漂着した船の船員をむやみに虐待するようなことは、あったとしても例外だっただろう。

『SHOGUN 将軍』では、漂着した船の船員への対応は、目を背けたくなるようなものだった。虐待し、たとえば血や臓物が混じったような液体を浴びせる。これを観て、スティーブン・キングの小説が原作のアメリカ映画『キャリー』(1976年)を思い出した。主人公の少女が豚の血をかけられる場面だが、これはあきらかに欧米人の発想である。

ほかにも、ジョン・ブラックソンは殴られ、蹴られ、小便までかけられる。前述のように釜茹でになる船員もいる。だが、記録には、ブラックソンのモデルであるアダムスが乗ったリーフデ号が現在の大分県臼杵市に漂着すると、地元の人たちは衰弱した船員の病気の手当てをし、食事をあたえるなど、親切に介抱したとある。

このドラマが、史実を厳密に追って作られてはいないのは、最初に書いた通りである。とはいえ、当時の日本の常識から目をそらし、劇的効果をねらって当時の日本人や日本人の風習を野蛮に描く姿勢には、不快感を覚えざるをえなかった。

当時の日本はもっと清潔で人々は礼儀正しかった

ほかにも、枯山水の庭に人を座らせて尋問するなど、挙げ出せば枚挙にいとまがない。たしかに江戸時代の町奉行所では、裁きの場が潔白であることの象徴として白い砂利が敷かれ、被疑者はその「御白洲」に座らされた。一方、枯山水は砂や石で自然美を表現した庭で、あくまでも鑑賞するものであり、被疑者を座らせるなどありえなかった。

禅寺の枯山水
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おそらく、時代劇で登場する御白洲と枯山水を混同したのだろう。このドラマにおいては、その手の事実誤認は挙げ出せばキリがない。

そもそも、ドラマのタイトルになっている「将軍」についても誤解がある。「長年崇められてきた称号」で「神聖な統治権をもつもの」であり、「人が到達しうる最高の地位」だとして紹介されている。

将軍、ここでいう征夷大将軍とは、元来は蝦夷征討の総指揮官を表すもので、のちにも武家の棟梁を示す役職名にすぎなかった。豊臣秀吉が就任した関白とくらべれば、関白のほうが就任するのがはるかに難しく、格上だった。