新社長はP&Gの元マーケター
3月16日、アサヒビールのトップに松山一雄専務が就任する。松山氏は、世界最大の消費財企業である米P&Gグループなどでマーケティング戦略を担当し、高い成果を上げたことで知られる人物だ。同氏の手腕に頼って、アサヒビールはより高い成長を狙うことになる。
アサヒビールにとって外部からプロを招き、経営の意思決定をゆだねることは、今回が初めてではない。これまでも、アサヒビールは外部から招いた人材の手腕によって、高い成長を実現することがあった。1980年代後半に同社は“スーパードライ”をヒットさせ、キリンのラガービールからトップブランドの地位を奪取した。
また、近年のアサヒビールのヒット商品創出にも、外部から招いた人材の専門性、知見の貢献は大きいといわれている。成長力をさらに高めるため、アサヒビールは過去の発想にとらわれることなく、実力のある人物に経営の意思決定を任せる。その考え方は、多くのわが国企業にとって重要な示唆を持っているといえるかもしれない。
スーパードライの生みの親は元銀行マン
1987年、アサヒビールは“スーパードライ”を発売した。それ以降、スーパードライの販売量は急増した。1998年に数量ベースでアサヒビールはキリンを抜き、国内トップのビールメーカーに成長した。
その後、アサヒビールはスーパードライのヒットによって獲得した資金を用いて海外戦略を強化した。一方、キリンは一時期、ラガービールに続く収益の柱を模索した。2000年代、キリンは協和発酵(現、協和キリン)を買収し、プラズマ乳酸菌など新しい要素技術を獲得し、ビールメーカーから発酵技術などを活かした健康関連企業としての成長を目指している。
注目すべきは、アサヒビールが内部登用に加えて、社外からトップを招いてきたことだ。特に、スーパードライが発売される前の1986年3月、住友銀行出身で社長に就任した樋口廣太郎氏の功績は大きかった。樋口氏が就任するまで、アサヒビールはキリンとの競争で劣勢に回り、シェアを失った。組織の士気は沈滞していたかもしれない。一発形勢逆転を目指して樋口氏は、前例がないからこそ挑戦する経営風土の醸成に取り組んだ。