酔って礼拝に行くことが禁じられるようになった

ところが、それよりも後の時代のメディナ啓示のなかには次のようにある。第2章「雌牛」の第219節である。

「彼らは酒と賭け矢についておまえに問う。言え、『その二つには大きな罪と人々への益があるが、両者の罪は両者の益よりも大きい』」

日亜対訳クルアーン』では、ここにも注がついている。その注では、酒が禁じられるまでの経緯が説明されている。

今見た神の啓示にもとづいて、罪が大きいとされた酒を遠ざけた者たちもいた。だが一方には、酒には「益がある」とされていることから、酒を飲み続ける者たちもいた。

島田裕巳『宗教は嘘だらけ』(朝日新書)
島田裕巳『宗教は嘘だらけ』(朝日新書)

ところが、アブドゥッラフマーン・ブン・アウフという人物がムハンマドの弟子たちを食事に招き、その席で酒を飲ませるということがあった。

そのうち日没の礼拝の時間が訪れたため、そのなかの一人に先導させてコーランを読誦どくじゅさせた。すると間違って読んでしまったのだ。

そこで神は、「信仰する者たちよ、おまえたちが酔っている時には、言っていることが分かるようになるまで、礼拝に近づいてはならない」(第4章「女性」の第43節)という啓示を下した。

ここでも酒を飲むこと自体は禁じられていない。ただ、酔って礼拝に行くことが禁じられている。

実際、人々は礼拝のときには酒を避けたが、夜の礼拝が終わると飲み、さらには夜明け前の礼拝が終わった後にも飲んだという。

宴席で暴力沙汰、とうとう「悪魔の行い」になった

そんな状態だったため、宴席で暴力沙汰も起こった。そこで、ウマル・ブン・アル=ハッターブが「アッラーよ、われらに酒についてはっきりとした明証を示し給え」と願った。すると、先に引いた第5章第90節の啓示が下され、飲酒は悪魔の行いとして禁じられるようになったのだ。

このように飲酒が明確に禁じられるまでには、それなりの経緯があった。酔っ払うことで問題が起こるため、徐々に禁止されていったのである。

コーランで、具体的な経緯が説明されているわけではないにしても、今見たように、他に経緯を理解する手立てがあるのなら、なぜその戒めを守らなければならないのか、合理的に理解することができる。

ところが、これは例外で、ほとんどの場合に、なぜその戒めを守らなければならないのか、理由が示されることはない。神や仏は、理由を示さないまま、人間に戒めを押しつけてくるとも言えるのだ。

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