※本稿は、上阪徹『成城石井 世界の果てまで買い付けに。』(自由国民社)の一部を再編集したものです。
提案したのは「マキシムドパリ」出身のパティシエ
成城石井の看板商品、といっても過言ではない。年間120万本以上を売り上げる、ダントツの人気ナンバーワン商品が「プレミアムチーズケーキ」だ。
土台は素朴でナチュラルな甘さのスポンジ生地。その上にクリームチーズ層、最上部にサクサクしたシュトロイゼルがのせられ、ローストしたアーモンドとレーズンが味にアクセントをつける。
それぞれの味わいと食感のコントラストが絶妙で、ボリュームもたっぷりの大きさ。まさに、食べ始めたら止まらない、とリピーターになる人が今も続出している。
登場したのは、2003年。このプレミアムチーズケーキを開発したのが、セントラルキッチン菓子グループ長のパティシエ、光野正三だ。
「どのケーキ屋さんに行っても、レストランにしても、ここはこれだよ、という顔となるメニューがありますよね。スペシャリテと言いますが、入社したときから、それを作りたいとずっと思っていたんです」
父親もパティシエだった光野は10代からこの世界に入り、15年間、いろいろなところで働いていた。ウェディングケーキを専門で作っていた時期もあれば、卸の会社にいたこともある。あの有名店マキシムドパリで働いていた時期もある。そして1998年、前職のケーキ店から成城石井に転じた。
当時の成城石井は「デザートの黎明期」だった
「たいていできないものはないくらいの懐の深さだけはあったと思います。縁あって成城石井に行くことを決めたんですが、スーパーマーケットでお菓子を作るためにケーキ店を辞めるなんて、と驚かれましたね」
ちょうど近くに成城石井ができ、興味を持っていた。
「何より、お客さまの多さでした。それだけたくさんの人に買っていただけるチャンスがあるということ。それとやっぱり、本物の店だと思いましたよね。お店に並んでいる商品のアイテム数も圧倒的で。それこそ食材が足りないというと、成城石井のお店で買い足したりしていましたから」
だが、成城石井のデザートはまだ黎明期だった。そもそもスーパーである。ケーキを買うことを目的に、来客があるわけではない。必要なことは、成城石井のデザートを手に取ってもらう信頼のベースを作ることだと感じた。
「最初の1、2年は本当にオーソドックスなプリン類やカップのスイーツなど、徐々にアイテムを増やしていきました」
加えて、まだ店舗数も少なかっただけに、いろいろな企画を思い切ってやらせてもらったという。
「ホールのクリスマスケーキを作ったり、タルトを作ったり。遠慮せずに3000円、2000円という価格にしてもいいと言われて」