自身が認知症になった専門医の長谷川和夫さんは、認知症をどう考えているのか。長谷川さんは「ボクは心臓に病気があって、発作に備え、いつも薬を持ち歩いています。だから死について考えることも多い。そんなボクにとって、認知症は、死への恐怖を和らげてくれる存在のような気がする」という――。
※本稿は、長谷川和夫・猪熊律子『ボクはやっと認知症のことがわかった 自らも認知症になった専門医が、日本人に伝えたい遺言』(KADOKAWA)の一部を再編集したものです。
認知症になると、死は怖くなくなるのか
ある講演会に招かれたとき、「認知症になると何もわからなくなるから、死は怖くなくなるのですか。認知症でないときよりも、むしろ楽なのでしょうか」と尋ねられました。ボクが自分のことを認知症だと思いはじめていたころのことでした。
ボクはこんなふうに答えました。
「正直、わかりません。でも、重い認知症になっても、自分がされたら嫌なことや、自分の存在が消滅してしまうのは恐ろしいという気持ちは残るのではないかと思います」
耳から聞くことは死ぬ間際までわかっているらしい、とよくいわれます。だから、死が間近な人のそばで下手なことはいわないほうがよい、と。母親が死ぬ間際に娘が駆けつけて、大丈夫? A子よ、わかるなら手をぎゅっと握ってみて、といったら、母親が手を握ったというエピソードを聞いたことがあります。
目で見えることはわからなくなっても声を聞くことはできるし、いっていることもわかる。認知症の人も、恐らくそうなのではないかと思います。