2500年以上も前に書かれたにもかかわらず、いまだに読み継がれている古典『論語』。特に多くのビジネスパーソンが座右の書としている。なぜ人気なのか。そこには現代にも共通する「普遍の真理」がある――。

会社の人間関係に悩んだら『論語』を読もう

私は寝る前に松下幸之助さんの『道をひらく』(PHP研究所)を読むのを習慣にしていますが、時間のある時はそれとともに『論語』も読み返します。全文の読み下し文を読むこともありますが、だいたいは安岡正篤先生が書かれた『論語の活学』(プレジデント社)を読むことが多いです。

ご存じのように『論語』は2500年以上も前に書かれたもので、孔子やその弟子たちの言葉をまとめた本です。西暦1年以前の書物が今でも多くの人たちに読み継がれているのです。それは、現代にも共通する普遍の真理を持っているからでしょう。

▼孔子にも「人に認めてもらえない」不遇の時代あった
『新装版 論語の活学』安岡正篤(著)プレジデント社刊

私は、今から30年近く前の銀行員時代に嫌な上司がいて人生に悩んだ時がありました。その際、悩みながらも「嫌な上司だ」と思うのは自分の勝手な判断ではないか、もしくは自分の価値観に何か問題があるかもしれないと思い、「普遍的な価値観」というものを知りたくなりました。仏教書や哲学書など多くの本を読みました。そのときに、最も感銘を受けたのが先述した安岡先生の『論語の活学』でした。

論語の冒頭は、有名な「学びて時にこれを習う、また説(よろこ)ばしからずや」で始まります(学んだことを、時に応じて反復し、理解を深める、これもまた楽しいことではないか)。では、その冒頭文の終わりはどうなっているか知っていますか。

結びは、「人の(己を)知らざるをうらまず、君子なるかな」となっています。「他人が自分のことを十分に知らず認めてもらえないのを恨むことがないのが君子(立派な人物)だ」と述べているのです。