イノベーションとは20世紀前半の経済学者シュンペーターが広めた概念だが、シュンペーターがイノベーションについてどのように説明したかについては意外に知られていない。評論家の中野剛志さんは「シュンペーターは主著で、物や力の『結合』のパターンを変革して、まったく新しい組み合わせの『結合』を行なうことが『新結合』であり、すなわちイノベーションである、と説明している」という――。

※本稿は、中野剛志『入門 シュンペーター』(PHP新書)の一部を再編集したものです。

手の上に浮いた光る電球
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企業者の役割を説いた『経済発展の理論』

今日、イノベーションの担い手と言えば、「起業家」が連想されます。

その「起業家」の役割の重要性を説いた画期的な書として知られているのが、シュンペーターの『経済発展の理論』です。『経済発展の理論』の初版が世に問われたのは、今から百年以上も前の1912年です。

1926年には、内容が一部変更された第2版が刊行されました。

『経済発展の理論』の邦訳については、同書の第2版の翻訳である岩波文庫版(1977年)がありますが、最近(2020年)、同書の初版を翻訳した新訳が日経BP/日本経済新聞出版本部から刊行されました。

なお、「起業家」はドイツ語の「unternehmer」(英語のentrepreneur)の邦訳ですが、シュンペーターの著作の翻訳では「企業者」という訳語があてられています。そこで、本稿では「起業家」よりも「企業者」という用語を用いることとします。

それでは、早速、『経済発展の理論』を読んでいきましょう。

発展する経済と発展しない経済

シュンペーターは、経済発展が起きるためには「企業者」が必要であると論じました。その議論の出発点として、『経済発展の理論』(初版)では、「静態的」な経済と、「動態的」な経済という2つの類型を示しています。

「静態的」な経済とは、経済発展が起きない経済のことです。これに対して、「動態的」な経済とは、経済発展が起きる経済のことです。

ただし、前者の、経済発展が起きない「静態的」な経済システムというのは、静止した状態にあるということではない、とシュンペーターは注意を促しています。

動きがないのではなく、生産や売買などの動きはあるけれど、既存の商品やサービスが取引を通じて経済システムの中を循環しているだけで、新しい商品やサービスが生み出されて経済社会が変化するようなことがない。このように、自ら変化することがない経済が「静態的」なのです。

ですから、仮に、何らかの理由で人口が持続的に増加して、そのことで経済の規模が大きくなったとしても、経済システムの性格が変化していない限り、それは「経済発展」とは言いません。単に「静態的」な経済が大きくなっただけです(*1)

シュンペーターは、まずは「静態的」な経済とは何かを明らかにし、次に、それとの比較で、経済発展が起きる「動態的」な経済について論じました。

発展しない経済――需要と供給が一致している経済

それでは、まず、「静態的」な経済とは、どのようなものか、シュンペーターの議論をたどってみましょう。

「静態的」な経済とは、生産されるすべての商品に、そのはけ口としての消費者が常にいて、消費と生産設備がずっと同じ状態で維持されるような経済です。

言い換えれば、「静態的」な経済は、消費と生産、需要と供給が一致し、均衡・安定しているのです。

バランスよく積まれた石
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「静態的」な経済は、停止状態にあるわけではなく、動いてはいますが、その動きが自ら変化するとか、新しい動きが生まれるといったことはありません。同じ動きが繰り返されているだけです。

また、シュンペーターは、「生産」という活動は、何かを「創造」しているわけではなく、既存の物と力を「結合」しているのだと強調しています。(*2)

例えば、工業品の生産は、原材料という「物」と、電力や労働力といった「力」を「結合」させることです。自然に存在していた「物」や「力」を引き抜いてきて、それを別の組み合わせにすることで、生産が行なわれるのです。

「静態的」な経済では純利潤がゼロになる

さて、「静態的」な経済とは、需要と供給が一致している状態にある経済です。

生産者の間で完全な自由競争が行なわれる場合、商品の需要と供給は均衡します。その時、企業の「純利潤」はゼロになっているとシュンペーターは述べています。

ここで言う「純利潤」というのは、「与えられた条件のもとで最善の用途と、それを選択することで断念しなければならない次善の用途との違いからくる差額」(*3)のことと定義されています。

この需要と供給が均衡して純利潤がゼロになるという状態については、後で詳しく説明します。

さて、この「静態的」な経済に、「貨幣」を持ち込んでみましょう。

「静態的」な経済では商品の取引が行なわれるので、支払手段や価値の尺度としての「貨幣」が必要になります。

貨幣は支払いのための手段ですから、商品の流れを反映するものになります。ただし、貨幣の流れは、当然のことながら、商品の流れとは逆方向になります。

「静態的」な経済で貨幣は交換の手段に過ぎない

この「静態的」な経済においては、貨幣は交換の手段に過ぎず、それ以上の役割を果たしません。

例えば、貨幣は、貯蓄の手段になり得るはずです。しかし、「静態的」な経済では、貨幣を貯蓄する意味はありません。というのも、「静態的」な経済では、需要と供給が均衡しているので、消費のために使う量以上に貨幣を保有しておく必要がないからです。

以上が、シュンペーターの言う「静態的」な経済、つまり発展しない経済です。

実際にシュンペーターが『経済発展の理論』(初版)で展開した議論は、これよりはるかに複雑で難解です。しかし、簡単に言えば、おおむね、このような理解でよいと思われます。

「動態的」な経済ではイノベーションが起きる

それでは、「動態的」な経済(発展する経済)とは、どのような経済なのでしょうか。それは、「静態的」な経済(発展しない経済)とは、何がどう違うのでしょうか。

言うまでもなく、経済発展の原動力は、まったく新しい価値を生み出す活動、いわゆる「イノベーション」です。「動態的」な経済では、イノベーションが起きますが、「静態的」な経済ではイノベーションはあり得ません。

シュンペーターは、イノベーションという活動の本質は、「新結合」であると述べました。先ほど見たように、生産とは、既存の物や力の「結合」です。

この物や力の「結合」のパターンを変革して、まったく新しい組み合わせの「結合」を行なうことが「新結合」、すなわちイノベーションだということになります。

イノベーションの5つの分類

シュンペーターは『経済発展の理論』(第二版)の中で、「新結合」を次の5つに分類しました。

(1)新しい財貨、すなわち消費者の間でまだ知られていない財貨、あるいは新しい品質の財貨の生産
(2)新しい生産方法、すなわち当該産業部門において実際上未知な生産方法の導入。商品の商業的取扱いの新方法も含む
(3)新しい販路の開拓、当該国の当該産業部門が従来参加していなかった市場の開拓
(4)原料あるいは半製品の新しい供給源の獲得
(5)新しい組織の実現、独占的地位の形成あるいは独占の打破(*4)

このように、シュンペーターにとっての「新結合」とは、新製品のみならず、生産プロセスの革新、新市場の開拓、原材料の新しい供給源の開拓、そして組織の革新までも含む広い概念でした。

「新結合」が純利潤を生みだす

先ほど述べたように、「静態的」な経済では、純利潤というものは存在しません。しかし、新結合が行なわれる「動態的」な経済では、純利潤は存在し得るとシュンペーターは考えました。

例えば、手織機による労働だけで繊維製品の生産が行なわれていた「静態的」な経済において、力織機による生産という新結合を実現した企業者がいたとします。

そして、その力織機によって、一人の労働者がこれまでの6倍の製品を製造できるようになったとします。すると、その企業者は、手織機から力織機に乗り換えたことによる劇的なコスト減効果によって、「純利潤」を手に入れることができます。

この場合の「純利潤」とは、力織機で生産した場合に得られる利益と、手織機で生産した場合に得られる利益の差額のことです。こうして、新結合は、企業の純利潤の源泉になるのです。

新結合は純利潤を生みだすが一時的にすぎない

中野剛志『入門 シュンペーター』(PHP新書)
中野剛志『入門 シュンペーター』(PHP新書)

もっとも、この純利潤を生み出す力織機に魅了されて、これを導入する事業者が次々と現れたとします。そうすると、繊維製品の生産は増加し、事業者間の競争は激化し、力織機を導入しなかった企業は淘汰されるといった業界の再編が引き起こされます。

そして最終的に、すべての事業者が力織機を使うようになる。そうなったら、企業の純利潤は消滅し、経済は再び「静態的」になるでしょう。

このように、新結合は企業の純利潤を生み出しますが、それは、基本的には、一時的なものに過ぎないのだとシュンペーターは論じています(*5)

*1 J・A・シュンペーター著、八木紀一郎・荒木詳二訳『シュンペーター 経済発展の理論』(初版)(日経BP/日本経済新聞出版本部)2020年、P97-98
*2 前掲書、P42-44
*3 前掲書、P63
*4 前掲書、P192-193
*5 前掲書、P266-268