サントリーでこの春、ビールのマーケティング部門で唯一(2024年4月時点)となる女性管理職が誕生した。斎藤圭世さん。同社でビール類最大規模の売り上げを誇る「金麦」のブランドマーケティングを担う課長だ。子育てと両立するため「量より質」で結果を出すことを自分に課し、金麦ブランドに対して前例のない提案を続けてきた。酒税改正の逆風を受け競合他社が苦戦する「新ジャンル」市場において、売り上げを伸ばした手腕とは――。

ビールマーケティング部門で唯一の女性管理職

穏やかな笑顔をたたえる、ふんわりとした雰囲気の女性だった。斎藤圭世さん、40歳。斎藤さんの口からサラリとこぼれた「働くママ」という実感と、この春からサントリーのメガブランド「金麦」担当課長となり、しかもビールのマーケティング部門で現在唯一の女性管理職という、錚々たるキャリアとのギャップが面白い。

サントリー ビール本部 ブランド戦略部 課長 斎藤圭世さん
撮影=プレジデントオンライン編集部
サントリー ビール本部 ブランド戦略部 課長 斎藤圭世さん

「金麦」ブランドは同社ビール類で最大の売り上げ規模を誇る。2023年の販売実績は、「新ジャンル」の市場全体が前年比91%(同社推計)と沈む中、「金麦」は101%を堅持している。

「働くママ」である斎藤さんは、小学4年生の娘のママとして、17時にはきっちり退社し、夕方からの会議にも土日のイベントにも原則出ないという働き方を、育休から復帰した2015年からずっと続け、課長になった今でも、同じ8時30分〜17時の勤務スタイルを貫く。

「娘が小学生のうちはとにかく、子どもを第一優先にすると決めています。それで、『子どもを一人にしておけないので、17時に帰ります』と宣言しました。毎日、娘と一緒にごはんを食べ、なるべく娘との時間を作るようにしています」

これは、女性の新しい働き方ではないだろうか。男女雇用機会均等法で総合職第一世代となった、60代前半の女性の多くは、「男性並み」に働くために結婚も出産も諦めた。その下の世代である、40代後半から50代の女性は自分や夫の親に子どもの面倒を見てもらうことで、「男性並み」に働いた。経済力さえあれば、遠方の親を近所に呼び寄せることも選択肢にはあった。一方、子どもとの時間を優先するために、正規雇用を諦める選択をする女性も少なくなかった。しかし、斎藤さんは違う。子どもか仕事かの「どちらか」ではなく、「両方」を得る人生を自然体で生きている。それは「男性並み」に働くことを第一にせず、自分の強みを活かし、子どもとの時間を犠牲にしない、新たな仕事スタイルだ。

「自分はこの会社で子育てはできない」と外資系企業から転職

社会人となったのは、2006年。外資系の消費財メーカーで営業職に就き、2012年にサントリーに転職した。

「前職は外資で、非常に多忙な業務でした。2012年に社内結婚をしたのですが、先輩たちに出産後の話を聞くと、『1年くらい記憶がない』とか、『3カ月で復帰した』とかいう話ばかりで、自分はこの会社で子育てはできないと思い、転職を考えるようになりました」

サントリーではスーパーやコンビニエンスストアの本部営業を担当する広域営業本部に所属、コンビニエンスストアを担当したが、1年後、妊娠がわかり、2014年から1年、産休育休を取った。2015年、育休明けの復帰先は、「ビール営業推進本部」。当時メンバーのほとんどが男性だった部署で、初の女性メンバーとなった。

保育園から頻繁に呼び出し…でも「子持ち様問題」は起きなかった

「ビール部門は大変だと言われていたので、『ちゃんと仕事をしなきゃ』『みんなと同じくらい働かなきゃ』と気負って復帰したのですが、最初は保育園から頻繁に、呼び出しがありました。37度台の熱とかで。それが、1カ月くらい続きました」

斎藤さんは、頭を抱えるしかない。

「お迎えが頻繁にあって、途中で仕事をお渡しして帰ることもあったので、『私がいる意味って、あるのかな』『この仕事は自分でないほうがいいのでは?』と、葛藤ばかりでした」

保育園に預けて1カ月ほどは頻繁に呼び出しがあったと振り返る斎藤さん
撮影=プレジデントオンライン編集部
保育園に預けて1カ月ほどは頻繁に呼び出しがあったと振り返る斎藤さん

そんな斎藤さんを救ってくれたのが、上司である課長の対応だった。

「課長がメンバーのみんなに、『子育てとは、こういうものだから』とメールをしてくれたんです。上司が寄り添ってフォローしてくれて、それがとてもありがたかった。周りも小さい子がいるパパが多くて、『逆に、すごいね。家に帰って、家事もして』って言ってくださって。前の会社なら、『自分の仕事は自分でなんとかしなければと思い込んでしまう』ような雰囲気がありました。サントリーは『基本、みんなでやろうよ』という感じで、楽しく仕事をすることができました」

今、SNSをざわつかす「子持ち様問題」は、斎藤さんの職場にはなかったわけだ。

「ただ、私も『子どもがいるから、仕方がない』『受け入れてくれて、当たり前』という気持ちではいけないと思い、常に感謝の言葉を口にしました。そういう環境にいられることに感謝を持って、仕事をしようと」

「量より質」の計り知れないプレッシャー

復帰当初の「みんなと同じように働こう」という気負いに、やがて変化が訪れた。

「物理的にそれができない、時間が取れない、全てをみんなと同じにできないってことがわかったんです。しかも、それを求められてもいない。『男性と、同じ量を働け』なんて、誰も思っていないことに気がついたんです」

その頃、上司から受けた言葉が、斎藤さんにとって大きな転機となった。

「斎藤さんの見方とか物事の捉え方は、斎藤さんにしかないものだから、それをもっと出していってほしい」

思いもしないアドバイスに、衝撃を受けた。

「ああ、そうか。他の人と同じような働き方ではなく、私らしい成果が求められているんだ。量ではなく、一つ一つの発言で気づきを与えるとか、私にしかできないことを発信するとか、そういうことが求められているんだと気づいたんです。量じゃなくて、質で返すというやり方もあるんだなと。じゃあ、そうしようって。質とは、私である意味です。ただ、質で返すとひと言で言ってもすごく難しくて、プレッシャーで、時に押しつぶされそうになりますが……」

家事育児を当たり前にこなす男性陣

斎藤さんは育休からの復帰時に17時退社を決意、周囲に宣言した。この17時退社宣言が認められたのは、上司はじめ周囲の男性が家事や育児を妻任せにする昭和的価値観ではなく、男性であっても妻と協力して育児や家事を行うのが当たり前だという価値観を持つ男性たちだったということが、間違いなく大きい。その意味では男性も変わってきており、それが女性に人間らしい働き方を可能にしてくれたといえる。

「男性陣も、効率的に仕事をしたほうがいいに決まっています。私の効率的な働き方を、みんなの前で発表したこともあります。早く帰ることがネガティブではない、むしろ本来あるべき形だと思ってくれている環境が、本当に素晴らしいと思っています」

一般的に、斎藤さんの上の世代の女性たちは、自分や子どもに犠牲を強いて「男性並み」になろうとした。斎藤さんは「男性並み」にではなく、「唯一無二の自分」に主軸を置き、自身の価値から成果を出すことを、働く目標に据えた。

子育てはタイムリミットがあるから

斎藤さんが大事にする、子どもとの時間。今でも世の中ではワンオペ育児に疲弊する「働くママ」の声ばかり渦巻くのに、斎藤さんの思いは真逆だ。

「割と子どもが苦手でしたが、いざ産んでみると、もう、純粋に可愛くて。人への思いやりや、いろんなことを子どもから学ぶことが多く、子どもを持ったのは衝撃的な体験でした。育児にはタイムリミットがあるので、自分が後悔しないように一緒にいてくれる間は、そうさせてもらおうと。思う存分、子どもとの時間を楽しみ尽くしたいって思います」

仕事をセーブしなければいけないフラストレーションから夫とギクシャクしたことも
撮影=プレジデントオンライン編集部
仕事をセーブしなければいけないフラストレーションから夫とギクシャクしたことも

現在、夫は海外に単身赴任中、ワンオペ子育ての日々だ。今になれば嘘のようだが、産後、夫との間にギクシャクした時期があった。

「夫はすごく協力してくれたのですが、私のほうが仕事をセーブしている不公平感があって、私がガミガミと言って、コミュニケーションがうまく取れない時期もありました」

二人は面と向かって話すのではなく、LINEで文字を通して思いを伝え合った。

「その時、私は自分のことばかり考えていたなと気づきました。夫を追い詰めていたと」

自分の非を認めるのは、なかなか難しい。なのに、斎藤さんは気づいたのだ。夫もまた、思うように育児に関われないことに葛藤を抱いていた。そして斎藤さんを追いかけるように外資系からサントリーに転職したのだった。

「主人が海外に行きたいという希望も、今度は私が彼の人生を応援しようと、後押ししたんです」

社内の反対にめげず金麦のパッケージを刷新

宣言したとはいえ、仕事を断らざるを得ない場面は多々あり、軋轢や支障が起きないように苦心した。

「出席できない会議は資料を見て、事前に気になることや検討してほしいことを伝え、決まったことは尊重します。社外の方には迷惑をかけられないので、納期を守ることをかなり意識して、前倒しで仕事を進めます。大事なのは、気にしすぎないことなのかもしれません。ウジウジしても、周りは何もうれしくないと思うので」

左/リニューアル前、右/リニューアル後
左/リニューアル前、右/リニューアル後(写真提供=サントリー)

2007年に発売開始した「金麦」だが、10年後には停滞期を迎えていた。2022年に金麦のブランドマーケティング担当になった斎藤さんは、パッケージのロゴの縦書きを提案し、CMを刷新した。

「ビール類のロゴの縦書きは前例がないと反対もあったのですが、お客さまの調査で反応がいいと、説得しました。金麦自体が日本語なので、日本のものづくりと合うところで、暖簾のようなイメージで、縦書きがいいのではと。店頭でも視認性が高いという結果が得られました」

CMも、女性が夫の帰りを家で待つイメージから、自分で買って自分で飲んで、「家時間が、すごく素敵」というものに変えた。「もう、そういう時代ではないだろう」と。

恩を実績で返したい

「おかげさまで売り上げはV字回復、好調です。金麦は、ビール事業の一番大きな売り上げを持っています。この部門での課長登用にあたって、働き方の制約がある私に大きな数字を任せていただいた恩を実績で返したいと気持ちを引き締めているところです。金麦は、家時間の幸せに寄り添うブランド。我々がもっと金麦を素敵なブランドにして、皆さまに幸せを届けたいなと思います」

課長就任を見据え、昨年はリーダーを任され、大きなターニングポイントとなった。

「人を育てることは苦手だと思っていましたが、やってみたら楽しくて、例えば若手の女性社員が悩んでいることがわかり、自分の責任としてロールモデルとしての姿を作っていかなきゃいけないと。後進の人に道を作ってあげることも、仕事かもしれないと思っています」

斎藤さんが示すのは、今までにない“希望のロールモデル”だ。

「女性が仕事をするって覚悟がいるということを、課長になって改めて思います。自分を過小評価したくなる気持ちもありますが、量より質で返すと決めた以上、それは考えない。結局は、覚悟ですね。気持ちの強さをしっかり持てば、周りの協力につながっていくのかと思います」

4月、ビールの醸造技術でレモン風味のサワーの味わいを実現した、衝撃の「金麦サワー」を北海道限定で発売。斎藤さんの下、金麦の進化が止まらない。