※本稿は、大塚ひかり『やばい源氏物語』(ポプラ新書)の一部を再編集したものです。
姫君とは名ばかり、貧乏ゆえに望まぬ結婚をする女性も
『源氏物語』というと、みやびな王朝絵巻というイメージがあるかもしれません。
実際、そうした側面もあるのですが、実は貧乏がいかに人をぼろぼろにするか、また、経済力のない女がいかに惨めなものか、姫君とは名ばかりで、生活のため、女房たちに男を手引きされ、望まぬ結婚をするか……そうしたことが、これでもかというほど描かれてもいるんですよ。
『源氏物語』が、それ以前の物語と比べ、いかに「経済力」が人を動かすかに注目していたか。それを知るには『源氏物語』以前の物語をざっと見ていく必要があります。
まず『源氏物語』の少し前に書かれた長編小説の『うつほ物語』では、貴公子とのただ一度のセックスで妊娠出産後、木の洞に住むほどの極貧状態に陥っていた女君(仲忠母・尚侍)と息子は、猿の運ぶ木の実で生き延びていたというような暮らしをしながら、貴公子に発見された時は、
「天女を連れて来たと驚くくらい美しかった」(天女を率ゐておろしたると驚かれたまふ)などと、あります。
そんな極貧生活をしていたら、普通は日にも焼けるし、ずたぼろになるはずなのですが、天女なんですよ。
『源氏物語』の前から貧乏なお姫様の物語は描かれてきた
継子いじめで有名な『落窪物語』の継子となると、もう少しリアルで、下着なんかもぼろぼろだったりするんですが、それでも貴公子に愛されて、「ちゃんとしたお嬢様を正妻になさい」と反対する乳母に、貴公子は「好きなんだから、しょうがない」と反論して、ただ一人の正妻として大事にする。
貧乏だったり、後ろ盾のなかったりする、可哀想なお姫様は出てくるんですが、必ず美人で、イケメン貴公子に愛されて正妻として幸せになるんです。
これが『源氏物語』になると、にわかに、厳しい現実が突きつけられる。
まず貧乏な姫君は登場するんですが、美人ばかりではない。
それどころか『源氏物語』きっての貧乏女は、末摘花というブスの極みです(まぁこの極貧ブスを見捨てないという点は、リアリティに欠けると言えば欠けるのですが、源氏には大勢の妻や恋人がいるという設定ですから、それも「有り」でしょう)。
『源氏物語』の末摘花の落ちぶれ皇族感はすさまじい
この末摘花の貧乏ぶりというのが凄くて、先祖伝来の家土地は手入れをする人もいないから荒れ放題。
女房たちの食事風景は、食器こそさすがに上等な舶来物であるものの、めぼしいおかずもない。
服は普段着でも昔ながらの礼装だけれど、新しいものは入手できないので、時代遅れな上に、汚れて真っ黒になっている。
何もかもすっかりなくした『うつほ物語』の女君と違い、古き良き暮らしの名残があるだけ、「落ちぶれ」のリアリティが感じられるのです。
そこでかわされる会話もしけています。
「ああほんとに今年は寒い。長生きするとこんな目にもあうものなのね」
と泣く者もいれば、
「故宮(末摘花の父・親王)が生きていらした時、なんでつらいなんて思ったのかしら。こんなに貧しくても生きていけるものなのね」
と寒さに震える者もいる。
セリフの中身からもうかがえるように皆、年寄りです。若くて有望な人はよその屋敷に転職してしまうので、残っているのはどこも雇ってくれないような老人がメインになるわけです。
そのせいか、皆、無気力で、風で灯りが消えても、ともす者もいない。人手不足な上、いくら働いても何ももらえないから、投げやりになっているのです。
末摘花の不美人設定は、美貌至上主義への反発か
それでも門番がいるあたりは、さすがに皇族の風格を感じさせますが、この門番というのがまたよれよれの年寄りで、門はがたがたに傾いているから、開けることができない。源氏が訪れるようになる前は、門を使うような高貴な人の訪れもなかったのでしょう。非力な門番は、孫だか娘だか分からないような年ごろの女に助けられながら、門を引っ張る。その頭にはどんどん雪が降り積もっていくという悲惨さです。
こんなにも貧しいわび住まいをしている上、容姿も醜い末摘花。普通の男なら逃げだしたくなるに違いありません。ところが源氏は違います。
「自分以外の男はましてこんな関係には我慢できようか」(我ならぬ人は、まして見忍びてむや)(「末摘花」巻)
そう思い、「自分がこうして馴れそめたのは、彼女の亡き父宮が、彼女を案じるあまり残していった魂の導きなのだ」と考えて、結婚を決意する。このあたりはちょっとリアリティに欠けてはいるのですが……。ここは、美貌至上主義の当時の価値観に挑戦した、紫式部の実験小説的な要素が強いのではと思うゆえんです。
紫式部は女性にとっての「経済」の重要性が分かっていた
ちなみに国宝「源氏物語絵巻」にも末摘花の屋敷は描かれています。源氏は須磨・明石で謹慎中、すっかり末摘花のことを忘却していたのですが、帰京後、花散里を思い出して訪れる道すがら、花の香りに迷って、広い荒れた屋敷に足を踏み入れたところ、そこが末摘花の屋敷であったと。
それこそ豪華な「王朝絵巻」の国宝「源氏物語絵巻」の中で、この「蓬生」巻の場面だけが異彩を放っている。寝殿造りの簀の子(廂の外に設けた縁側)はあちこち底が抜け、几帳もぼろぼろ、仕える女房の顔も服装も貧相。そこへ、ボロ屋に似合わぬ狩衣姿の乳母子・惟光の先導で、傘を差し掛けられた源氏が訪れるという趣向です。
このように『源氏物語』には貧乏がとてもリアルに描かれています。
給与状態なんかも描かれています。
たとえば源氏が晩年、女三の宮を正妻に迎えると、それまで正妻格だった紫の上の立場は低いものとなり、「私の人生何だったのか」という思いになってくる。その時の状況を、物語はこんな感じで描写しています。
天皇の姉妹である女三の宮や「実家が太い」明石の上
姫君を生みながら忍従の日々を強いられていた明石の君とその一族は、姫君の生んだ皇子が東宮となり、その幸運は明石の君の母・尼君にまで及ぶ。
さらに、女三の宮は今上帝の姉妹ということで重んじられ、「二品になりたまひて、御封などまさる。いよいよ華やかに御勢いきほひ添ふ」(「若菜下」巻)
と。
御封というのは、封戸のこと。院や宮、親王、諸臣、特別の社寺などが、位階や官職・勲功などに応じ、朝廷から一定数の民戸が支給され、その民戸からの租税が得られる仕組みのことです。
二品に昇進した女三の宮の封戸は、「封三百戸、位田四十二丁」(日本古典文学全集『源氏物語』四)。当時は妻の私有財産が認められていましたから、これは女三の宮個人が得られる収入です。
このように明石の君や女三の宮は、世間の声望のみならず、収入も増えていく。それに対して紫の上はこう思ったと物語は言います。
「対の上(紫の上)は、このように年月と共に、さまざまに高まっていかれる方々のご声望に対し、我が身はただ夫である源氏の君お一人のご待遇は人には劣らないけれど、あまり年を取りすぎれば、そのお気持ちも次第に衰えていくだろう。そんな目にあう前に自分から世を捨てたいものだ」(対の上、かく年月にそへて方々にまさりたまふ御おぼえに、わが身はただ一ところの御もてなしに人には劣らねど、あまり年つもりなば、その御心ばへもつひにおとろへなむ、さらむ世を見はてぬさきに心と背きにしがな)
光源氏に頼るしかなかった紫の上は出家もできなかった
紫の上の孤独感や生きづらさは、明石の君のような信頼できる肉親や、女三の宮のような個人的収入を伴う声望がなく、夫一人を頼みにしているという心細さからきています。それを表現するために、女三の宮の収入のことまで書かれているんです。
もちろん紫の上にも財産がないわけではありません。不仲な実家からは何ももらえないとしても、源氏からは、源氏の母の里邸だった二条院を譲られています。だとしても、父・入道が莫大な資産を築いた明石の君や、朝廷に守られている女三の宮と比較すれば、経済的に夫に寄りかかる部分の大きい、寄る辺ない立場であるには変わりありません。
藤壺や朧月夜、女三の宮といった女君がさっさと出家する中、紫の上は出家を切望しながら、夫の許可が得られないからといって最後まで希望を押し通すことがなかったのも、一つには頼れる実家や資産というものが少なかったということがあるでしょう。
夫婦間における立場の強弱も、出家(実質的な離婚を意味することも少なくありません)の可否も、多くは「経済力」に左右される。
紫式部は、「経済」の重要性が分かっていたからこそ、収入のことや人の貧乏ぶりを、細かに記していたのです。