※本稿は、小西一禎『妻に稼がれる夫のジレンマ 共働き夫婦の性別役割意識をめぐって』(ちくま新書)の一部を再編集したものです。
「妻のほうが自分より稼いでいる」男たち
ここでは駐夫からのインタビューを通じて浮き彫りになった事例のうち、国内でも起こり得る夫婦間の非対称性に着目する。共働き夫婦の増加と女性の社会進出に伴い、社会的地位や収入において、夫と妻の間で差が広がっている夫婦の事例があるのではないか。具体的にいえば、共働きであっても、「夫よりも稼ぎが良い妻」が増えているのではないだろうか。外からみて、妻のほうが社会的に出世しているような印象を与えるような夫婦は今の時代において、決して少なくないのではないだろうか。
駐夫の研究をさらに肉付けするために、海外駐在員の妻に同行するというごく限られた男性ではなく、より身近で一般的な例として存在しているとみられる「妻のほうが自分より稼いでいる男たち」として、男性二人(内田さん、渡辺さん)にインタビューを試みた。
なお、二人はいずれも結婚してからも共働きを続けており、次第に夫婦間で差が拡大した事例であって、結婚時から知名度や収入で大きな差があった、いわゆる格差婚ではない。
妻からは「もっと稼いでほしい」と言われる
関西在住の会社員内田さん(三〇代後半)は、「めちゃくちゃ」というワードを三回繰り返して、こう力説した。同じ大学の一つ後輩だった妻と結婚したのは、一〇年ほど前のことだ。二人の子どもに恵まれ、仕事の傍ら、家事や育児にも全力で取り組んできた。
内田さんは大学卒業後、公務員として数年間働いてから、民間企業に転身した。会社では研究職として勤務しており、発表したレポートがメディアで取り上げられることも増えてきた。妻は大手企業に就職したものの、一念発起して国家資格を取得し退職。今は資格をふんだんに生かして、従業員数人を抱える会社を経営、年商は順調に推移している。
自分の方が上回っていた収入が逆転
結婚前から「女性は何かしらの形で社会と繫がるべきだと強く思っていた」という内田さんにとって、結婚後の夫婦共働きはごく自然で、当然の選択だった。当時、内田さんは公務員で、妻は企業勤めの身。収入は内田さんが上回っており、一家を支えているという自負もあった。
ところが数年後、その主従関係が逆転する。妻の収入が内田さんを上回るようになったのだ。資格を活用し、顧客を特定の業種に絞ったビジネスが軌道に乗り始め、新聞やテレビ、雑誌などメディアでの露出が急増した。著書も相次いで出版した。内田さんは当時、民間企業に転職したばかりの頃で、求められるスキルの違いに難渋し、苦戦していた。
「自分の稼ぎがなくても家計が回る」複雑な心境
共働き夫婦で、どちらかの仕事がうまく回り始めた一方、片方のパートナーが対照的な局面を迎えたとき、夫婦間で何らかの化学変化が起こるのだろうか。まして、男性が優位に立つ日本社会で、妻ではなく夫が収入で劣るような形になると、どうなるのだろうか。
客観的に申し上げると、経済的地位、経済的な所得という意味では、向こう(妻)のほうがはるかに多いわけですよね。これは、もう間違いありません。私の倍以上稼いでいるわけです。私の稼ぎなんかなくても、ウチの家計は十分に回っていくんです。
まあ今でこそ、社会的地位という意味では、私の仕事が特殊なこともあって、夫婦間ではそんなに差がないという風に認識されていると思います。そうした状況ではありますが、転職してスタートダッシュがあまりうまくいかなかった時期に、彼女のほうがはるかに社会的にうまくいっていた時期は、素直に複雑な心境がありましたね。
稼ぐ妻からの恩恵を受けるのは自分
稼得能力における優位性を、一つのよりどころとしているのが男性性=男らしさと言えるだろう。男は外で稼ぐもの、という伝統的な考え方がまん延するなか、三〇代と若い部類に入る内田さんですら、稼得能力で妻を下回ると心穏やかでなかったという。夫婦間における収入逆転を、どう捉えていたのか。
内田さんは続ける。
依然として男女間での雇用格差がある
今は死語の部類に入っているが、かつて「寿退職」、「寿退社」などという言葉があった。
大学や短大を出た女性が、結婚を機に仕事を辞める=家庭に入るということで、女性が結婚することを「永久就職」などと表現する向きもあった。
総務省の「労働力調査」(二〇二二年)によれば、就業者数は男性が三六九九万人、女性は三〇二四万人と、数の上ではほぼ拮抗しているのが分かる。しかしながら、その就業形態をみると、正規雇用は男性が二三四八万人に上る一方、女性は一二五〇万人と男性の約半分にとどまっている。男性の非正規雇用は六六九万人なのに対し、女性は一四三二万人と、男性の倍以上だ。つまり、共働き世帯が増えているとはいうものの、男性と女性の間で、正規労働、非正規労働の格差が厳然として存在している。
そして、正規と非正規では、当然ながら給与面での大きな開きがある。結婚時に仕事を辞めなくても、子どもが生まれた前後で職場を離れる女性がいる。さらに、配偶者の海外転勤を受け、泣く泣く離職せざるを得ない女性もいる。一度キャリアの中断を迫られた女性が、帰国後に再就職しようと思っても思い通りにいかない実態は、前記事で紹介した。
話を内田さん夫婦に戻す。内田さんは、年収が妻に抜かれたことを、当時は転職したばかりで苦労していたこともあって、複雑な思いで受け止めていた。自宅で、仕事の成果を強調する妻から「『うまくいった』みたいなことを聞かされると、聞き流そうとするというか、素直に万歳という気持ちになれなかった時がありました」と振り返る。
モヤモヤは消え去るのか?
妻の稼ぎによって、最も経済的恩恵を受けているという内田さんだが、妻が右肩上がりで仕事の実績を伸ばしている際に抱いた複雑な思いを、「モヤモヤがあった」と表現した。
ストレートに言えば、うらやましさはありました。でも、応援したい気持ちもありました。稼ぎの恩恵は私に来るわけですから。応援する気持ちが半分、焦りが半分といったところでしたね。妻は、自分の最も身近にいる同世代です。やっぱり、そういう人と自分を比べた時に、焦るっていう気持ちがない人は、まず、いないんじゃないかと思います。
でも、嫉妬はなかったですね。嫉妬という感情はありませんでした。焦りなんです、やっぱり。先輩、後輩という関係だったので、後輩に追い抜かれていく感覚っていうのがあったんでしょうね。とは言え、それが原因で口論とかすることはなかったですね。何か、すごく羨ましかったり、焦ったりするんですけど、「やっぱり、恩恵が自分に来る」と思えて、最後はギリギリのところで納得できるんですよね。世帯年収が上がるのは、誰にとっても「めっちゃ、良いじゃん」みたいな感じでしょうし、もう慣れたというか。
応援と焦りが半分ずつ同居していたモヤモヤは、年がほとんど離れていないことと、大学時代の上下関係から生まれていた。内田さんは、内田さんを先輩だと思う意識が「妻には、全然ない」と断言する。一方の内田さんは、自分が先輩だという意識を一定程度抱き続けているがために、複雑な思いやモヤモヤが生まれたと推察される。
相談しない自分と相談してくる妻
仕事内容や職種が重ならず、専門性も異なる内田さん夫婦の間で、内田さんは妻に仕事に関する相談をすることはなかった。かたや、妻はかなりの頻度で内田さんに相談してきたという。
自己肯定感を取り戻したきっかけ
ところが、新たな職場での仕事が波に乗り始めた今は「自分の社会的地位が上がってきたんで、今はその気持ちはないですね」と言い切る。背景にあるのは、自らも仕事で活躍しているという自信だ。著書はベストセラーとなり、新聞記事に取り上げられたり、テレビ番組に出演したりすることも珍しいことではなくなってきた。
今は本当に、私の状況が変わってきているので、応援したい気持ちのほうがどんどん強くなってきていますね。そのバランスですよね、ある種、競争相手でもあるので。
社会人としての実績では、一〇〇%負けてますけど、仕事のジャンルは違いますが、パートナーシップでしょうか。私が想像していた夫婦よりは、はるかにパートナー的な関係です。
モヤモヤがまったく解消されたわけではないが、五〇対五〇だった、焦りと応援したい気持ちの割合を巡っては、
収入の多寡はさておき、内田さん自身の仕事におけるパフォーマンスの向上が、自己肯定感を取り戻すきっかけとなり、ワークエンゲージメントが高まっているものとみられる。
ワークエンゲージメントとは、労働経済学などで注目を集めている概念で、厚生労働省によれば、仕事に関連するポジティブで充実した心理状態として、「仕事から活力を得ていきいきとしている」(活力)、「仕事に誇りとやりがいを感じている」(熱意)、「仕事に熱心に取り組んでいる」(没頭)の三つが揃った状態として定義されている。
多く稼いでいる妻が大黒柱なのか?
双方が話し合った上で決めたという年収に応じた傾斜配分に基づき、内田さんの倍以上を稼いでいる妻が、生活費や教育費に加え、旅行代などの大半を支出しているものの、一家の大黒柱たる存在になるのは望んでいないというのだ。第三者から見れば、多く稼ぎ、多くの家計支出を担う妻のほうが内田さんよりも大黒柱であるように映るのだが、どういうことなのか。
ローンの名義は夫だろうというアンコンシャスバイアス
銀行など金融機関の窓口で、夫婦で住宅ローンの相談に訪れた際、先方の担当者が夫のほうばかりを見て話しかけ、妻を一切見なかったなどという話を聞いたことがないだろうか。これは、典型的なアンコンシャスバイアス(無意識のバイアス)の一例だ。偏った見方や思い込み、先入観が知らず知らずのうちに、頭に刻み込まれ、その人の固定観念や既成概念として定着していく。金融機関の担当者は、男性=夫のほうが、女性=妻よりも稼いでいるに違いないというステレオタイプの印象を何の疑問もなく抱いており、ローンの名義も夫になると確信しながら話しているのだ。実際には、妻の収入のほうが上回っているだけでなく、ローン名義は妻の単独だったり、妻が家計の主導権を完全に握っていたりする例があるにもかかわらず、だ。
稼ぐ妻の中にもある「働くのは男性だ」という意識
内田さんの妻は、しばしば内田さんに対し、こう漏らす。「もう、こんなに稼がなくてもいいんじゃないかな」。これに対し、内田さんは仕事をセーブするよう勧めてみるものの、妻は何らペースを変えることなく働き続けており、結局は妻の一時的な愚痴で終わっているという。
日本社会に横たわり続けており、内田さんが「常識」と指摘するジェンダー役割規範を巡る硬直性は、自分が働き続けなければいけないと思い込んでしまう男性だけを苦しめるのではない。「やはり働くのは男性なのだ」と女性にも思わせてしまう面があり、これが内田さんの妻の意識に影を落としていることが、この発言から浮き彫りになっている。
専業主婦が大半だった昭和時代は、「男たるもの、一家の大黒柱としてバリバリ外で働き、家事育児は妻に任せて、妻子を養う」という価値観が、ごく当たり前だった。平成を超え、令和に移り変わった今も、この価値観が働く女性をも縛っていることがうかがえる。