※本稿は、成田奈緒子『子育てを変えれば脳が変わる こうすれば脳は健康に発達する』(PHP研究所)の一部を再編集したものです。
反抗期の子供は親の正論が不快
「正論を押し付けないこと」、思春期においてはとくにその心がけが重要です。
「そんな調子じゃ将来、社会でやっていけないぞ」などの警告は正しいかもしれませんが、反抗期の子供の耳には不快に響くだけです。
「お母さんはあなたと同い年のころ、こんなことも、こんなこともできたのに」という上から目線の比較も、子供の神経を逆なでします。高学歴で知的な親ほど失敗しやすいポイントなので、気をつけたいところです。
少し年上の先輩の気持ちになってみる
「そうは言っても指をくわえて見ていたら、将来困るのは目に見えている」というときは、伝え方を変えましょう。
「親」や「大人」の視点で語るのではなく、「少し年上の先輩」の気持ちになってみるのです。子供が中学1年なら中2か中3のころに、しばしタイムスリップしてみてください。
この年頃の子供にとって、大人は反抗の対象になりがちですが、少しだけ年長の人は尊敬や憧れの対象になります。もし自分が、そんな先輩のような若者なら、この子にどういう言葉をかけるだろうか……と想像してみましょう。
すると「ゲームばかりしてちゃダメだ」「本を読まないと語彙が増えないぞ」などとは決して言わない、とわかりますね。同じメッセージを伝えるにしても、「俺、けっこう行き詰まってたときにこの本を読んで、助けられたんだよね~」という風に、自分の経験に即した等身大のメッセージが出てくるはずです。
不登校の子供に対しても「学校に行かないと社会に出てから不利だぞ」などという正論ではなく、「だよな~、俺も学校行きたくないときあったわ~」「でもさ、そのときにさ……」といった言葉かけになるでしょう。
この方法は、単なる「子供に響きやすいテクニック」にはとどまりません。
「親」という枠をいったん取り外すことで、日ごろつい陥りがちな「子供=自分の従属物」という発想からも抜け出せるのです。親ではなく「先輩」なら、目の前にいる後輩を自分のものだなどとは思わず、別個の人格として接するでしょう。
その意味で「先輩になる」ことは、子供を個人として客体化し、尊重することにもつながるのです。
専門家の話には聞く耳を持つ
反抗の度合いが強くてそもそも会話できない、引きこもって部屋から出てこない、などの深刻な状態にあるときは、医師や心理士などの専門家の助けを借りましょう。
親には激しく反抗する子でも、よその大人に対しては比較的耳を傾けるものです。加えて、専門家ならではの科学的根拠のある説明は、10代の子に意外なほど強く響きます。
不登校、摂食障害、引きこもりなどの状態にある子は、自分でも現状に不安を覚えています。そこに医師が「今、あなたの脳にはセロトニンが分泌されてなくて、だから不安な気持ちになるんだよ」「セロトニン神経を育てるにはね……」と明確に説明し、解決策を示すと「やってみよう」という気持ちが起こりやすいのです。
過食が止まらなかったある中一の男の子に、血液検査の結果を見せながら「○○の数値は正常値の2倍、○○は1.5倍。このままじゃ重病になる可能性があるよ」と話したところ、はじめて危機感を覚え、食生活を変える努力を始めたこともありました。
通院しているうちに、親に言えない話を医師に話す子も多くいます。学校でイヤな目にあったこと、内心気にしていること、やめたいけれどやめられないことなど。出せなかった思いを外に出すことは、事態が好転する大きなきっかけになります。
困ったときに「助けて」と言えるか
専門家のほかにも頼れる誰かがいれば、さらにベターです。小学校時代の先生や塾の先生など、これまで子供が信頼し、心を開いていた大人がいたら相談してみましょう。
一番良くないのは、家のなかだけで抱え込もうとすることです。
真面目な人ほど、自分たちだけでなんとかしようとしがちです。とくに母親が、夫にさえ相談できず、一人きりで追い詰められていくケースは多数あります。
困ったときに「助けて」と言えるかどうかは大事な分かれ道。助けを求め、実際に助けてもらって「良かったね、有難いね」と子供に言えば、子供もまた、「社会の中には助けてくれる人もたくさんいるんだ」という思い=ソーシャルサポートの認識を持てます。
それは、親子双方がレジリエンスを高めていく大きな一歩となるでしょう。
不登校だった高2女子の変化
ここで、逆境のなかでレジリエンスを飛躍的に高めた女の子の話を一つ、紹介しましょう。
その子は高校二年生。といっても、長らく高校に通えていませんでした。彼女が私が主宰する親子支援事業「子育て科学アクシス」を訪れたときは、不安が強く、外に出るのもやっと、という状態でした。
ご両親と本人から話を聞いていく過程で、最初はほとんど口を開かなかった彼女が唯一、自分から話したのが「アニメのキャラクター」の話でした。
もともとお父さんが昭和のアニメファンで、小さいころはしょっちゅう二人でアニメのショーに行っていたそうです。学校に行けなくなった彼女は、そのことを思い出し、昭和アニメのキャラクターを模写することに燃えました。
ご両親は、「学校にも行かないで絵ばっかり描いて」と不安顔。しかし本人は次々模写を続けて、いつの間にか自分でストーリーを考え、スピンオフの物語を書いて、コミケに出店するようになりました。
なんとそこに「ファン」もつくようになり、そのことで彼女はどんどん自信がついてきました。それとともに、自律神経の活動量など、医学上の数値も急激に好転しました。さらには「やっぱり高校は出ておかないと」と自ら言いだし、通信制の学校に転校すべく準備を開始。この前進ぶりには、ご両親もただただ驚くばかりでした。
彼女を変えた「好きなこと」と「人とのかかわり」
なぜ、ここまで劇的な変化が訪れたのでしょうか。やはり第一には「好きなこと」を思い出し、体験したこと。ほかの人にはない知識やスキルが自分にはあった、という再発見が、彼女に自信を取り戻させました。
もう一つは、コミケでの「人との関わり」でした。SNSで発信した彼女の絵に、すっかりファンになって、わざわざ地方からコミケに訪ねてきた方と、初対面なのにとても楽しく話ができたそうです。
「人とコミュニケーションがとれた」という達成感、そして「ありがとう」と言われた安心感と感謝。それは今後も、彼女と「外の世界」を結び付ける紐帯となるでしょう。