※本稿は、小林拓矢『関東の私鉄沿線格差』(KAWADE夢新書)の一部を再編集したものです。
田園都市線は自家用車がない人にはちょっと不便
ある場所が豊かかどうかは、不動産価格、とくに地価だけで決まるものではない。「暮らしやすさ」という視点から見ると、もっとそうだろう。都心部の地価は郊外に比べて高く、郊外で都心から同等の距離であっても、地域により地価が高かったり、安かったりする。
不動産価格は、資産としての価値を示すものであり、その場所が快適かどうかを示すものではない。ある沿線の不動産価格が高いからといって、そこに資産価値があり、そこに住むことがリッチであることを示すからおすすめする、という安直な考えは採用しないのだ。
大事なのは、生活環境である。生活を送っていくうえで必要な商業施設などが充実しているか、公園などが整備されているか、自家用車が必須か、自家用車がなくても公共交通機関だけで何とかなるか、といったことが重視されてくる。
たとえば東急田園都市線沿線は、鉄道で都心に通勤する人を対象としているが、同時に自動車を使用することも念頭に置いてまちづくりがなされている。京王相模原線沿線や小田急多摩線沿線の多摩ニュータウンも同様だ。
確かに田園都市線沿線は暮らしやすいけれど、自家用車を持っていない人にはちょっと不便なところがある。自宅が駅徒歩圏内ならまだいいが、駅からバスで自宅近くまでというのは、少々つらいだろう。
大切なのはみずからのライフスタイルに合った沿線選び
「沿線」といってもいろいろあるが、人により鉄道をどう使うか、あるいは自家用車をどう使うかはまったく異なるものであり、とくに近年の東京圏生活者は車を買わないペーパードライバーであることが多いため、不動産価格は高いが、日常生活に自家用車が必要な田園調布(東急東横線沿線)などは、生活していくのに不便であるということも考えられる。
大切なのは、みずからのライフスタイルを自覚し、それに合った沿線に暮らすことである。
不動産価格だけを指標にし、頑張ってこの沿線の、この駅周辺に暮らすべく努力するというのは、単身者ならまだしも、ファミリー層にとっては難しいだろう。
どの沿線にもそれなりに快適なところや便利なところはあり、そうではないところもある。
将来、不動産価格の上昇を見越して物件を買うということが、とくにマンション購入者の間で行なわれている現状はあるものの、それがいいとは限らない。それならば、子どもの教育のためによりよい環境を求めて引っ越しをする、というほうがまだわかる。
各沿線の性格などを見て、総合的に判断して自身でどの沿線に住むか、どの駅近くに住むかということを考えるのが、もっとも妥当な沿線選び、不動産選びであると考えられる。
「都心に近い」方がよいのか
一般に、都心に近ければ通勤時間は短くなる。職場に近い場所で暮らしてもらうように、住宅手当や、社員寮などを準備する会社もある。ただそれ自体は、職場での従業員のパフォーマンスをよりよくするためであり、悪くいえば従業員を管理するためにそうしていると考えたほうがいいだろう。
個人視点での沿線・居住地域選びでは、そういった考えを採用することはない。都心に近い場所は、生活環境のよい場所ではないことも多く、賃貸物件なら狭いことも多い。
職場に近い場所に暮らしていることを採用の判断にするところもあるかもしれないが、そういうところが個人を大切にするとは思えない。むしろ、都心の職場とは一定の距離があったほうが、オン・オフの切り替えができていいのだ。
また、都心に近い駅が生活環境に優れているか、ということも指摘できる。たとえば無料の優等列車が停車する駅のまわりには、大きな商業施設など生活に必要な諸施設が多くあるケースが多い。それより都心寄りの各駅停車のみ停車する駅では、単なる住宅街だったりすることもある。ここで挙げる都心に近い駅の場合、定期券代が安くなるというメリットはあるが、生活者の観点からは不便であることはよくわかるだろう。また、優等列車が停車しないことで、外出する際にも各駅停車が10分に1本しかないという事態になる。しかも優等列車と接続する駅は数駅先だ、という事態さえあり得る。
東急東横線や東急田園都市線のように、全駅に停車する列車でも駅間距離などが長く、緩急接続もしっかりしているために、そこそこ速くて利便性が高い、というケースばかりではない。
おすすめは住環境のいい路線・駅
京王線のように、駅間距離が短く、細かく停車して乗客を集めるという路線もあるのだ。
どの沿線であれ、都心から離れていても住環境のいい路線・駅のほうが、おすすめできるとしか言いようがないのである。
だから、沿線というものについてよく考える必要があり、どこに住むかは沿線を見ないと判断できない。一定の年齢になれば、1人用の賃貸暮らしから持ち家に、持ち家でなくても結婚したり、子どもができたりということがある。その際にどの沿線に暮らすかは、生活の質を考えるうえで重要なことであり、職場、とくに都心の職場への利便性ばかり考えるわけにはいかない。
まして、テレワークが導入されるようになった現状で、生活環境を重視することは、当然ではないだろうか。
沿線ごとに住んでいる人の傾向がある
沿線ごとに、住んでいる人の傾向がある。このあたりは、複数の沿線で暮らしてきた人にはよくわかるだろう。
たとえば、国政選挙や地方自治体の選挙結果を見ても、自民系が強い地域、非自民が強い地域と分かれる傾向がある。この国全体でもっとも支持されている政党は自民党ではあるが、地域によっては非自民がそれなりに強いということもある。
また、特定の職業の人が集まっている沿線というのもある。私鉄ではないが、表現活動をしている人はどういうわけか中央線沿線に集まることが多い。大卒の公務員や会社員の多い沿線というのもある。子どもの教育を大切にしたい、という人は中学受験の盛んな沿線に住むのが妥当だろう。
ジェンダーの違い、学歴や職業の違い、そして地域の違いは、人の考え方に大きく影響する。
それらは相互作用する。また、立場や考えが異なる人と同じ空間にいると、強い違和感を覚えることがあるだろう。同様に、自分の住む沿線では当たり前の価値観が、別の沿線では珍しい価値観であるということもけっして珍しくない。本来は、多様性のなかで人々が自立した精神を持ち、個人個人の人生を生きるべきだが、どうしても周囲の状況に拘束される。都市社会学の研究などを見ても、同じ都市圏のなかで似たようなタイプの人が同じ地域に住むということは示されている。
したがって、東京圏でどこかに住もうというときには、自身の立場や考え方に見合った沿線を選ぶということが重要である。
ファミリー層は一生住むことを前提として選ぶ必要がある
1人暮らしの大学生なら大学に電車1本で行ける、という理由でいいと考えられるが、社会人になったり、あるいは結婚したりとなるとそうもいかない。
とくに、結婚してファミリー向けの住宅に住む場合、その沿線に、さらにはその区市町村に一生住むということを想定しなければならない。子どもを育てたり、不動産を買ったりすることを前提として、どの地域を、どの沿線を選ぶかを真剣に考える必要がある。
その際に重視すべきことは、沿線の生活環境と、価値観である。ここを見極める際に失敗、とくに不動産を購入する際に失敗したら、損失が大きい。
どの沿線を選ぶかは、あなた自身がどんな立場にいるかということと、あなた自身がどんな考えを持っているかということをよく考えてからでないと、うまくいかないことになるだろう。
家族や家庭の事情があり、どうしてもその場所で生活しなければならない、ということももちろんあるだろうが、場合によっては、生まれ育った沿線から離れる、あるいは離れないという決断をしたほうがいいこともあるのだ。
ひとつの沿線に住み続けることで色々なサービスが受けられる
関東圏の私鉄は、鉄道以外にも地域住民に多くのサービスを提供している。スーパーマーケットやクレジットカードなど、生活に必要なものだけではなく、賃貸不動産の紹介や提供、分譲不動産の販売、さらには子育て関連だけでなくその他もろもろのサービスを手がけている。
こういったサービスを享受すると、非常に効率がいいというメリットがある。鉄道会社系列のポイントも多く貯めることができる。なかには、電気やケーブルテレビまで提供される沿線もある。
生活のすべてが鉄道会社丸抱えになると困ること
ただ、生活のすべてが鉄道会社丸抱えになると、個人の主体的な意志での選択をするという能力がはぐくまれなくなる危険性もある。よいものは何もかも自社沿線にあるのだから、それ以上いいものを、あるいは違うものを探さなくてもいいという考えになってしまう。消費や生活の諸活動において、みずからの探究心をはぐくむ機会を失ってしまうということもあり得るのだ。
いいものを買うのならば、鉄道会社系列の百貨店だけではなく、呉服店に起源を持つ百貨店も見て比較してみようといったことや、さまざまなお店を比較検討して最良のものを見つけよう、という探究心が薄れてしまったり、鉄道系のスーパーマーケット以外にも、どこにいいスーパーマーケットがあり、あるいはどこが安いかということも、考えなくなってしまう。良質なサービスが鉄道会社グループにより提供されると、ものを見る力や考える力というのが、いまいち身につきにくくなるということもあるのだ。
生活する環境が快適すぎるあまり、他を見る視点を失ってしまう――これが「沿線格差」の負の側面であるといえるだろう。
同じ沿線には同じような人が生活している
人間は、そう簡単に生活する環境を変えられないものだ。どんな地域に生まれたか、どんな教育を受けてきたか、いまどんな仕事をしているか。そこで出会った人は、あなたと同質の人が多いだろう。
そこで決め手となるのが、「沿線」という概念である。同じ沿線には同じような人が生活している。「沿線格差」というのは東京圏全体では存在するものの、個々の沿線で生活している個人は同質性のなかで周囲とよい関係を築きながら快適な生活を送っている。しかも、これまでくり返し述べてきたように、近年は同質な人間が再生産される傾向が高まっている。豊かな人の子が豊かになり、大卒以上の親の子が大卒になり、給与が高く、福利厚生が整っている仕事についている人の子どもが同じ条件の仕事につく。そんななかで、「沿線」の持つ価値観が再生産されていく。
さまざまな格差や不平等が固定化していくなかで、「沿線格差」という概念が固定化していく可能性も高い。果たして、「沿線」はそう簡単に離れられる存在なのだろうか?
ある人が生活する沿線は、その人のほぼすべてを示し、その人自体を強固に規定するものだといっていい。その意味でおすすめする沿線は、もし、あなたがどこかの沿線に生まれ育った場合、あなたの生まれ育った沿線である。もし、あなたが地方から上京してきた人の場合、あなたの立場に見合った沿線だ。
人生を変えたいというならばほかの沿線へ
ただし、自身の育った沿線に満足せず、人生を変えたいというならば、ほかの沿線に住むことも十分にあり得る。「沿線格差」の再生産から逃れたいのならば、それは十分に実行する価値があるだろう。
「沿線」は多様であり、また「沿線格差」もある。そのなかであなた自身の価値観に合った沿線を選ぶべきである。そして快適な沿線ライフを送っていただきたい。