※本稿は、ソフィー・モート『やり抜く自分に変わる1秒習慣』(PHP研究所)の一部を再編集したものです。
依存症ではないのにお酒がどうしてもやめられない
「前回お話ししたときは言わなかったのですが、もう長い間、お酒をやめようとしては挫折しています。アルコール依存症だとは思わないので、やめられるはずなのですが、飲み続けています。お酒を飲み始めた理由はわかっています。これまでに何度も先生と話した人生の出来事に対処するためでした。
でも、ああいった経験のつらさはもう乗り越えたつもりなので、それが飲酒を続けている理由ではありません。私の場合、ストレスが飲酒のきっかけになるという自覚があるので、呼吸のエクササイズや私によく効く対処法を使って日々のストレスを解消しようとしていますが、お話しした通り、やはり飲み続けています。幸い、お酒をやめようとしていることは誰にも話していませんが、もし知られたら、情けない人間だとバレてしまいますね。私はどうすればいいのでしょうか?」
――セラピーの再開を望む、元患者のサム(30歳)からのメール
絶えず自分を痛めつけてしまう
サムは、ロンドン在住のテクノロジー企業の創設者だ。これまでに達成したことを箇条書きすれば、あなたも「素晴らしい!」と目を見張るだろう。
実際、多くの人が彼女に会った瞬間に、そう口にする。ある人は畏れ多い気持ちから、別の人は功績をうらやみながら。そんなふうに思われるのが、サムは惨めでならない。人からほめられるたびに、世間に見せている姿と、内心感じていることのギャップがふくらむばかりだからだ。「心の中はめちゃくちゃ」そうサムは感じている。
サムはこれまでに、何人ものセラピストに会った。一人目は不安を静めたくて、二人目は大きな破局のあとに。そして三人目は、二人目のセラピストが気に入らなくて、心の痛みに対処しようと別の人を求めた。その後、29歳のとき、気分が落ち込んで私のところへやってきた。
サムはそれまでのセラピー歴を「自分を一生懸命ケアして、人生の困難を乗り越えられた証し」だと言ったり、「私が壊れている証し」だと話したりした。
彼女はよくこれをやっていた。自分に自信を持ったかと思うと、激しくむち打つのだ。そこで私たちは、サムの意欲的なところと自分を責め立てるところ、その両方について時間をかけて話し合った。わかったことは、彼女が絶えず自分を痛めつける原因が、いくぶん生育環境にあること。そして、その生育環境が、仕事の成功も後押ししてきたことだ。
根深い不安が飲酒の原因に
サムを駆り立てているのは根深い不安だった。「もっともっと高く上らなくちゃ」という思いに駆られ、称賛を求める。最終的に「私もまあまあだ」と感じたいからだ。私たちは2年かけて彼女を理解し、前に進む方法を探った。そんなある日、「一人で進む準備ができた」と彼女は言った。内側から勇気がわいてくるのを感じ、自分が抱えているストレスや緊張を理解し、一人で対処する方法を身につけたのだ。あれは誇らしい瞬間だった。
そして1年後、お酒をやめるためにセラピーを再開したい、というメールをもらった。先ほどの文章は、そのメールからの抜粋だ。
心理状態を把握する査定セッションをすると、多くのことが明らかになった。
第一に、サムは「人は苦痛への対処メカニズムとしてお酒に頼るので、お酒をやめたいなら、根本的な問題に取り組む必要がある」と信じていた。そうしなければ、お酒がやめられないばかりか、別の対処メカニズムに手を出して、さらに手がつけられなくなるからだ。「その通り」と私もうなずいた。
二つ目に、サムは、ストレスが飲酒の引き金になることも心得ていて、ストレス解消の努力をしていたけれど、お酒はやめられなかった。「なぜやめられないんだろう?」と、サムは首をひねっていた。心の奥に、セラピーで見つからなかった未解決の痛みが潜んでいて、それが飲酒の原因なのだろうか?
私はセラピストとして、「(一見)明らかな理由がないのに現れる、行動の根底に何があるのかに興味を持ってほしい」と、人生の大半を費やして人々に訴えている。
サムはこれまでに四人のセラピストに会い、その全員からそう勧められ、今や達人の域に達している。私もこの挑戦を受けて立とうと思った。一体何が起こっているのか? サムは、まだ自覚できていない何かと密かに闘っているのだろうか? 社会の不安が関係している? さまざまな考えがわっと頭に浮かんだ。
「意志の力」のわな
その日の遅い時間、患者の記録を書きながら、心理学者アブラハム・マズローの言葉にふと思いをめぐらせた。
「金槌しか持っていなかったら、何でもかんでも釘のように扱いたくなる」。英国国民保険サービス(NHS)で働いていた頃は、この言葉を付箋に書いて、デスクの上のパソコンに貼りつけていた。セラピストは「すべてのことに心理学的な深い意味がある」と考えがちだが、まったく違う何かが進行している場合もある、と思い出すためだ。サムは「抜け出せない」と言う人たちの例に漏れず、古い習慣を捨てたがっていた。そして、行動の根底にある問題に対処しさえすれば、行動を変えられる、と信じていた。自分で決めたことなのだから、と。
サムは、「意志の力」のわなにはまった、典型的な事例だった。
「意志の力」には満ち引きがある
研究者たちはいまだに、意志の力の仕組みを正確にはわかっていない。ごく最近まで、それは限りある資源だと考えられていた。タンク内のガソリンのように、意志はある時点で底を尽き、次の作業に使う分は残されていない(つまり、何時間も厄介な作業に集中したら、夜には意志の力が尽き果てて、もう誘惑に抵抗できない)と。
つい最近の調査によると、この説は正確ではない。「意志の力には限界がある」と自分に言い聞かせると、疲れを感じ始めた途端にあきらめる傾向が強くなるという。研究者の中には、意志の力を感情と同じようにとらえるとよい、と言う人もいる。つまり、満ち引きがあるのだ。意志の力が備わっているときもあるので、備わっているときには使うべきだけど、当てにはできない、ということ。
また、やる気は往々にして、行動したあとに生まれるものだ。努力の成果が見えるとわきやすいが、行動より先にわき出すことはまれなのだ。
スランプから抜け出したいと、これまでに何度、意志の力に頼ってきたことだろう?
ソファから立ち上がってジムに行きたいとき。
自分にふさわしくないとわかっている元パートナーにメールするのをやめたいとき。今やっているZoom会議よりずっと面白そうな画面上のタブを無視したいとき。
パートナーじゃない人の唇が自分の唇のすぐそばをさまよっていて、「やっちゃう?」と言ってしまいそうな状況で、その人から離れたいとき。そして、それがうまく行かないことが、一体何度あったことだろう?
ワインの誘惑が飲酒のきっかけに
とはいえ、サムの場合は、意志の力だけに頼っていたわけではない。飲酒の根本的な原因に取り組み、賢く抜け目なく対策も取っていた。
目標達成の邪魔をする状況(ストレスを引き起こす状況)があると気づいて、きちんと対処していた。それでも、飲酒を引き起こすきっかけを根こそぎ排除してはいなかった……そして、そこに問題があった。
計画を誰にも伝えていないから、一緒に暮らしている人たちは、ディナーテーブルを囲んでワインを手渡しながら、サムを誘惑しているなんて思いもしなかっただろう。
問題は環境を変えなかったこと
多くの人と同じように、サムも気づいていなかった。習慣的な行動は、環境からの視覚的なきっかけや内的なきっかけ(身体感覚や経験)によって、自動的に引き起こされる。
サムが知らなかったのは、飲酒のきっかけがストレスだけではないことだ。きっかけは、ありとあらゆる場面に転がっている。ストレス、仕事が完了したこと、仲間と会ったこと、いつもの帰り道、キッチン、ディナーテーブル――すべてが飲みたい気分にさせる。そして、たいていの場合、欲求が勝利をおさめる。
サムの飲酒には、まだ自覚していない、深い心理的な原因などなかった。本人が主張する「意志が弱いせいだ」というもう一つの説も、間違っていた。問題は、サムが環境を変えなかったことだ。サムは、カジノに腰を下ろしながら悪い習慣を蹴散らそうとしているギャンブラーのようなもの。
サムと私が最初に取り組んだのは、意志の力と習慣形成の科学について学ぶことだった。では、一緒にこの科学をマスターしよう。そうすれば、サムが陥ったわなを回避できる。