※本稿は、黒川伊保子『夫婦の壁』(小学館新書)の一部を再編集したものです。
夫の家事が中途半端でストレス
回答「今日の“できてない”」に目をつぶり、「今日の“できたこと”」に感謝を。残念ながら、これが、他人に仕事を任せるということなのです。
その家の主婦以上に、その家の家事を完璧にこなせる人はいないはず。だとしたら、主婦には、必ず粗が見えてしまうもの。その粗とどう付き合うかが、「家事のパートナー」育ての肝となります。夫のみならず、息子のお嫁さんだって同じこと。将来、身体が動きづらくなって、他の誰かに家事をやってもらうときだって、同じ葛藤があるかもしれません。
まず、いったんは、「今日の“できてない”」に目をつぶること。つらいでしょうが、第一歩はそこからです。そして、「今日の“できたこと”」に感謝しつつ、少しずつ、ステップアップしてもらいます。
なお、家族を家事に巻き込むときには、「専門職」から始めてください。あらゆることに手を出させると、収拾がつかなくなります。
家事は「自分が仕上げをする」つもりで任せる
我が家が最初に食洗機を導入したのは、1996年頃だったと記憶しています。まだ、食洗機が珍しい時代でした。今の食洗機よりも、洗い残し率が高かったように思います。
我が家は、私より夫のほうが几帳面で、食洗機に食器を入れるのに、わざわざ洗剤を使って軽く食器を洗ってから入れる癖がありました。私は、何度も、「そのまま食洗機に入れて。食洗機を導入した一番の理由は、節水なんだから。そんなに水をじゃーじゃー流して洗っていたら、節水の意味がない」と言うのですが、彼は下洗いを止められない。たまに洗い残しがあるのが、気になってしかたがない、と言うのです。
そこで、私はこう言いました。「食洗機はアメリカで誕生したものでしょう? だったら、使うときは、アメリカ人にならなきゃ。つまり、多少の洗い残しは洗いなおせばいい、くらいの気持ちで、ど~んと構えなきゃ」(アメリカ人が、そういう合理性の持ち主かどうかは定かではありません。あくまでも私たち夫婦のイメージです)。
食洗機から、食器棚に移すときに、気になったら、再度洗えばいい。完璧を期して、下洗いをしてから入れるのなら、食洗機の意味がない。そういう合理性がなかったら、初期型の食洗機は導入してもストレスになるだけでした。
結婚して何十年も家事をしてこなかった一般的な夫は、「初期型の食洗機」のようなもの。やらせてみて、「できなかった」ことは「やり直せばいい」くらいの気持ちでど~んと構えないと、始まりません。
洗い残しも、斜め畳みも、やり直せばいいだけのこと。なぜ、そんなに目くじらを立てるのでしょう?
人に家事を任せるとき、任せたら完了だと思うから、不完全な部分が「手戻り」になって腹が立つ。人に家事を任せるときは、「自分が仕上げをする」つもりで任せます。そうすれば、不完全な部分が“想定内”なので、腹が立ちません。その心の余裕で、少しずつ、こちらの要望を伝えていけばいいのです。
成果にかかわらず最初は感謝から始める
初めてしたことには、成果の良し悪しにかかわらず、感謝や称賛をあげます。なにごとも、最初の印象が、とてもとても大事だからです。
歌舞伎の名門では、幼い子をデビューさせるとき、細心の注意を払うと言います。ひいき筋にご挨拶して回り、花道をひいき筋で埋める。先代、先々代からのごひいきさんたちは、愛らしい後継者が登場しただけで、どっと沸いてくれる。手を挙げれば拍手、足をあげれば拍手、転んでも拍手。自分の一挙手一投足に、客が喜んでくれる。
そんな初舞台の「成功体験」は、潜在意識の奥深く入り込み、これからの役者人生のすべてにわたって支え続けると信じられているからです。実際、そうである役者さんたちが多いのでしょう。
家事を手伝えば、妻が幸せになる。そんな刷り込みがまずは必要です。最初のうちは、とにかく感謝して、前回よりも成長があれば、それを讃えます。3歳の歌舞伎役者が、桃太郎の衣装を着て、一生懸命舞台で踏ん張っているのと同じだと思ってみて(微笑)。
相手にリーダーになってもらう
家事のパートナーとしては、「あらゆることをちょこっと手伝ってもらう」が、一番便利なのですが、それだと、夫の「できないこと」が、自分のタスクの手戻りとなって、イライラすることから抜け出せません。
なので、基本、家事は一緒にはやらない。相手に最初から最後までを一貫して任せる担当制にすることをおすすめします。しかも、リーダーに任命します。
定年退職後の我が家の夫は、かなり完璧に洗濯リーダーをこなしています。持ち前の几帳面な性格も手伝って、今やプロフェッショナルと呼びたいレベル。畳み方も、「ホテルか!」というくらいの出来です。現役バリバリ世代の夫たちには、いきなり洗濯リーダーは難しいでしょうから、「麺を茹でる」とか「庭の水やり」とか、ライトなタスクから始めては? 「麺を茹でるのは、これから、あなたの役割にしてほしい。私はよく茹ですぎるから。その代わり、あなたの使いやすい道具を揃えるわ」のように。
我が家の夫の蕎麦茹での腕も、いまや超一流。市販の乾麺が、生麺のような味わいに仕上がりますよ。専門職制、お試しあれ。
「だから言ったじゃないの」は禁句
よほどのことがない限り、基本的に、リーダーのやり方は尊重します。洗濯リーダーとなった夫は、洗剤からピンチングハンガーまで、自分の好みに換えました。夫と私では「使いやすさの種類」がかなり違うので、びっくりしました。私の土俵で、「精度を上げろ」と言っても無理だったんだなと、改めて納得。
それでも、私が気になったことは、「リーダーへの提言」として行います。たとえば、なんでも太陽光にさらしたい夫に、「私やおよめちゃんのおしゃれ着や、こたろうさん(孫)のものは陰干しにしてほしいの。紫外線で繊維がかたくなるから」と言ったりしています。
向こうも、自分が洗濯リーダーとはいえ、私が35年も先輩なのを納得しているので、私の提言を、いきなり拒絶はしません。それでも、たまに隠れて太陽光で干すので、せっかくの孫用の今治タオルがごわごわになって、私にクレームをつけられることも。不具合な結果が出れば、次からは徹底してくれます。一度や二度の失敗は、有能なリーダーを育てるための“投資”と心得て(今治タオルは痛かったけど(涙))。
提言を聞いてくれない夫には失敗を体験してもらうのが一番。ただし、気をつけて。
「だから言ったじゃないの」は禁句です。相手の脳に強い反発心が起こって、脳の学びにならないからです。反発心は、すべての脳の学びをチャラにします。「こたろうさんの今治タオル、こんなふうになっちゃったの。どうしてかな。日向に干していないはずなのに」と、すっとぼけて悲しがってみたら、うちの夫は「外に干しちゃったんだよ。ごめんね」と謝ってくれ、以後、ちゃんと屋内干しを順守しています。
家事は一朝一夕では身に付かない
やってみせ、言って聞かせて、させてみて、褒めてやらねば、人は動かじ。
話し合い、耳を傾け、承認し、任せてやらねば、人は育たじ。
やっている姿を感謝で見守って、信頼せねば、人は実らず。
かの有名な山本五十六のことばです。家事を分担するとき、私は、このことばを復唱しています(微笑)。
家事は、非常に複雑なマルチタスク。人工知能が最後までできないタスク分野とも言われています。一朝一夕では身に付きません。どうか、温かく見守ってあげてください。