※本稿は、川村 孝『職場のメンタルヘルス・マネジメント 産業医が教える考え方と実践』(ちくま新書)の一部を再編集したものです。
仕事が山積みなときにとるべき行動
課題が山積しているときに、さらに別の仕事が入ることがあります。
このとき、今は忙しいからといってそのままにしておくと、たまっている仕事の重みがさらに増して心が重圧感で潰れそうになってしまいます。
また、そのときはあとでやるつもりにしていて、そのまま忘れてしまったりもします。
そこで、会議やメールなどで課題が振られたとき、「とりあえず手をつける」とよいでしょう。
頭がホットなうちに、要点だけでもメモ書きしておくと、「未着手」のプレッシャーが軽くなります。私も講義・講演の一コマが終わったときに頭の中にいろいろと反省点が浮かんでくるので、その時点で次年度・次回分の修正事項を盛り込んだ暫定版を準備しておくようにしています(年次データやリアルタイム・データなどは講義・講演の直前に更新します)。
そのときは作るだけで見直しません。見直しをし始めると所要時間がいっきに増えてしまうからです。
仕事は「余韻を残して終了」がいい
「続きは来週……」の連ドラのように、余韻を残してそのまま終了します。他の仕事も一段階進めて時間ができたときに元に戻って見直しをするのです。一気に見直しまで進むより、間をおいて取り組んだ方が頭がクールになって合理的な修正ができます。
提出前に最終チェックをしますが、どうしても時間がとれなければそのまま提出して、とりあえず約束は守ります。これでまじめな人にとっては負担感が軽減され、忘れがちな人では漏れが減ります。
しかし、世の中にはいろいろな人がいて、追い詰められないとやる気が起きない人がいます。
事前に対応ができない“火事場の馬鹿力”タイプは、早めに手をつけろと言われること自体がプレッシャーになるので、直前の頑張りで成果が出せているのなら無理にスタイルを変更する必要はないかもしれません(「あいつ、大丈夫か?」と周りをハラハラさせますが)
残業は“朝”が効率的
朝は始業時刻に来て午前・午後と仕事をし、終業時刻になっても仕事が終わらないので残業する、というのが一般的な残業の形でしょう。私もそうでした。
30代、私は愛知県衛生部直轄の健診機関に勤めていました。
夏のこと。夕方5時になると全館冷房が強制的に切られてしまい、仕事をするには暑すぎます。そこで一計を案じ、朝早く出勤することにしました。
6時過ぎの始発のバスに乗ると7時ごろに職場に到着します。もちろん時間外なので冷房は入っていませんが、夕方よりはマシです。
朝一番だとバスも空いています。朝型の私は、この時間帯には頭が冴えています。おまけに職場には警備の人以外に誰もおらず、来客も電話も来ないので仕事がはかどるのです。
始業時刻までのわずか1時間半ほどですが、夕方の2〜3時間分に匹敵する仕事がこなせます。
私生活も豊かになる
朝早く出勤しているので、夕方は大手を振って定時に職場を出られます。そうすると家族揃って夕食が食べられます。いいことずくめでした。
その後、大学の教員となりましたが、日中は授業や診療、会議・打合せやメールの返信に追われるので、論文や書籍を書く仕事はおもに早朝に行っていました。
いわば“創造”の時間です。「10時就寝、4時起床」がルーチンになり、大学を退職した今もそのパターンが続いています。
会社の管理職クラスになると、「1日100通以上のメールが来て、目を通すだけで一日が終わる」というような話をよく聞きます。
いったんメールを開くとアリ地獄のように吸い込まれていってしまいます。
「今日も1日、前向きの仕事ができなかった……」とため息が出ます。
このアリ地獄に落ちないために、午前中はメールを開かないという方針を立てたこともあります。
しかし、これだと1日の大切な連絡に気がつかなくて業務に支障を来すこともあるので、「早朝出勤して最初に自分の仕事を行い、始業時刻(定時)になったらメールを開く」とするのが現実的でしょう。
仕事選びは「好き」と「得意」を分ける
「たった一度の人生なのだから、好きな道に進めばよい」とよく言われます。しかし「好き」だけでメシは食えません。私は「得意なところで勝負してください」と言っています。
「好き」と「得意」は一致することもありますが、しばしば異なります。
「得意なこと」は自覚していないことも多いもの。
そういうときは「人に繰り返し(あるいはいろいろな人から)褒めてもらえるところ」と言い換えています。
褒められ続けるということは、(よほどのお世辞を除いて)そこに“才能”があり、“存在意義”があることが多いのです。
その得意な領域にさらに磨きをかけることによって、“価値ある存在”あるいは“頼りになる人”になっていきます。
一方、「好きなこと」は趣味にとっておきます。
もっとも社会も時代とともに変化し、自分の社会的価値も変わっていきます。
就労する40年の間には必要とされる技能もずいぶん様変わりするでしょう。
好きなことをやって冷や飯を食うことになっても我慢できますが、価値があると睨んで好きでもないことに舵を切ったのに、実を結ばず立ち枯れになってしまったら情けなく思うかもしれません。
時代が変わっても変わらない内面的価値を持ちたいところです。
伝統芸能の世界や名家と呼ばれる家柄では、長男は生まれたときから跡を継ぐことが運命づけられています。
それに疑問や反感を抱いて家を飛び出してしまう人もいます。が、結局戻ってくることも稀ではありません。
好きではなくても、そういう家に生まれ、そういう環境で育つことによって自然に身についてしまっている素養も多いのです。
外の世界から入ってくる人に比べてかなりのアドバンテージです。
「そういう家に生まれ育つ」ことも“得意”の一つになります。
「返答は肯定形」をクセにする
窓口で顧客からクレームを受けることがあるでしょうが、このとき、否定形で「〜できません」と突っぱねるのではなく、肯定形で「こうすれば〜できます」と返した方がよいでしょう。
京大の学内向けの診療所に学生が就職活動のための診断書を取りに来ますが、ちょうど春の定期健診のまっただ中で休診となっていて個別の健康診断書を発行することができません。
このときに「発行できません!」と言われるとムッとしますが、「○月○日まで待っていただければ発行できます」とか「自動発行機だと、昨年の内容になりますが発行できます」「保健所に行けば、検査はやり直しになりますが作ってくれますよ」と返せば、要求には応えられないという点では同じなのですが、当たりはぐっとソフトになります。
部下への指導も、肯定文だと受け入れやすいのです。
喋るときは「手」にサポートさせる
欧米人は会話時によく手を使います。話者と聴者との距離を近くする効果があるようです。
動作なく口だけで喋るより、手を使って喋る方が喋りやすく内容も伝わりやすくなります。
よい状況を伝えるときは手の位置を上げたりきらきら星をしたりぐるぐる回したりし、よくない状況を伝えるときは手のひらを上向きにしたり腰に当てたりしますが動きはあまりありません。
話す内容に応じて表情も変えます。日本人は静止した状態で喋る人が多いのですが、遠慮や躊躇をせずに手を動かしてみるとよいでしょう。
手が雰囲気を伝え、喋る内容をサポートしてくれます。
話は人のためにするもの
「ねえねえ、聞いて聞いて」と、昨日の感動体験を得意げに人に話す人がいます。
本人は昨日感動したかもしれませんが、今日聞いている人はその話を面白いと思うでしょうか。
人の話は最後まで聞かないと面白いかどうかわかりませんし、人の話を途中で遮るのはなかなか難しいので、書かれたものを読むより話を聞くことの方が押しつけられ感が強くなります。
反対に自分の悩みを人に聞いてもらおうとする人もいます。親しい関係でちょっとした内容であれば会話の延長として許容されるかもしれませんが、深刻な話になると聞かされる側にそれなりの負担がかかります。
友人のトラブルに巻き込まれて疲弊してしまう人もいます。したがって、同僚・友人の会話では「自分が言いたいこと」を言ってはいけません。「相手が聞きたいこと」を喋るのです。
「相手が聞きたいこと」とは、「役に立つ情報」か「面白い話」かのいずれかです。
聞かされる側の身になって発言してほしいのです。
自分の悩みについても友人を巻き込むべきではないので、ちょっと込み入った相談であれば、“聞く”ことを仕事にしている人(カウンセラーなど)にしてほしいところです。
最近では会社が社外の相談窓口を用意してくれていることも多く、その相談内容は秘匿されます。
安心して話を聞く専門家に相談することも検討してみてください。