※本稿は、田島木綿子『クジラの歌を聴け』(山と溪谷社)の一部を再編集したものです。
哺乳類が大繁栄したのはメスの体内に胎盤ができたから
恐竜が地球上で最も繁栄していたジュラ紀(約2億130万年前~約1億4550万年前)、私たち哺乳類は小さなネズミほどのサイズしかなく、地上の片隅で細々と生きるマイノリティな存在であった。
その後、恐竜が絶滅してから6600万年経った現在、地球上のあらゆる場所に生息できる動物として哺乳類は大繁栄に成功し、生物界のいわゆる勝ち組となった。この大繁栄に成功した最大のカギは、メスの体内に子を発育させるための胎盤を有したことにある。
これが、有胎盤類の繁栄の始まりである。それまで繁栄していた恐竜や爬虫類の場合、母親は卵を体外に産み落とし、成長に伴う面倒はほとんど見ない。その代わり、多くの卵を生むことで外敵から生き残る「数で勝負する作戦」をとった。
胎内で子どもを育てられることで死亡リスクが激減した
一方の哺乳類は、マイノリティな存在だった時代から、メスの体内に形成される胎盤で子供を発育させる作戦に出た。その結果、母親は子ども(胎児)を胎内で発育させながら、自らの生活も営むことが可能となり、母子が共に移動できるようになった。
一度に産む子どもの数は、数で勝負する作戦に比べると圧倒的に減ってしまったが、外敵や天候などの外因リスクは激減し、少ない数の子どもを確実に育てることができるようになった。
環境変動や不測の事態が起こることもある。しかし、現在の地球を見渡してみると、あらゆる場所に哺乳類は存在し、圧倒的なニッチ(生態的地位)を獲得している。
哺乳類のオスが長い歳月をかけて繁殖にまつわる生殖器や生殖腺をモデルチェンジしてきたように、メスも子孫を残すために最も適した子宮や胎盤といった生殖器を選択してきた。さらに、それぞれの動物の生き方に合わせて、形や構造をさまざまに進化させている。
妊娠・出産を担えるのはメスのみである。交尾を終えた時から、メスの生物学的な孤独な戦いが始まるといってもいい。
胎児との結びつきが強い胎盤のメリットとデメリット
受精卵が子宮壁に着床すると、子宮と胎児の間には「胎盤」と呼ばれるものがつくられる。この胎盤こそ、我々哺乳類が獲得した形質の中で最大の功績であり、ここまで繁栄できた最大の戦略であるといえる。
胎盤は、母体側の子宮由来の膜(基底脱落膜)と胎児由来の膜(絨毛膜有毛部)が結合することでつくられ、胎児の生命活動を支える。胎盤と胎児は臍帯(尿膜管の遺残と血管の集合体)で連結し、母体から胎児へ栄養分や酸素が送られ、胎児から母体へ老廃物が渡される。
臍帯の痕跡が、我々のおなかの真ん中にある“おへそ”である。幼い頃、おへそを出したまま寝ていると、祖母に「雷様の大好物だから取られちゃうぞ」と脅されたりしたものだ。また、おへその中を興味本位でほじって、おなかが痛くなった経験はないだろうか。臍帯がなくなった後も、おへそとおなかの中は繋がっているので、おへそに刺激が加われば当然、おなかの中に伝わってしまうのだ。
おへそと繋がっていた胎盤は、成長する胎児を子宮内で支える役割も担い、胎児の成長を補助する。胎盤自体がホルモンを分泌し、妊娠を正常に維持する役割も担っている。
人間の盤状胎盤は流産リスクが低いが難産になりやすい
胎盤は、構造によって「盤状胎盤」「帯状胎盤」「多胎盤」「散在性胎盤」の4つに分けられる。
このうち、サルや私たち人間を含む霊長類の胎盤は「盤状胎盤」である。
盤状胎盤は、子宮の一部に丸く盤状に形成される。他の胎盤より、胎児に対して占める面積は小さいものの、母親と胎児の結合は最も密である場合が多い。じつは、この母親由来の膜と胎児由来の膜の結合にも5つのタイプがある。ヒトを含む高等霊長類は、血(母親由来の血液)-絨毛膜有毛(胎児由来の絨毛)という一番密な結合をつくるタイプのため、妊娠中の流産のリスクは比較的低い反面、出産時に胎盤が剥がれるのに時間がかかり、胎盤の剥離による出血量も多い。
なにせ、母体の血液の中に胎児の絨毛が入り組んで結合しているのである。胎盤が剥がれるときの子宮のダメージも甚大で、難産になることも多い。産後、このタイプの結合をもつ動物の親子関係は密接で、ある程度の期間をかけて子育てを行う傾向がある。
人間と同じ胎盤はサルなど霊長類のほかに多産のウサギも
また、盤状胎盤をもつ動物たちは、食物連鎖の上位であったり社会性をもつものが多く、たとえ難産で出血が多くても、仲間同士で助け合い、守り合うことができる。出産にある程度の負担や時間がかかっても安定して胎児を育てられる環境にあるため、結合の密な胎盤を維持し、少数の子どもを確実に産み、育てる戦略を選択できたのだろう。
意外なことに、多産のネズミやウサギなども盤状胎盤をもち、最も密な結合タイプを示す。ネズミもウサギも外敵に襲われやすく、出産に時間はかけられないはずである。
ただし、多産で妊娠期間も短い繁殖サイクルを選んでいることから、短時間で効率よく胎児が成長するためには、ある程度のリスクはあるものの、このタイプの胎盤と密な結合を選んでいるのかもしれない。
イヌにあやかって安産祈願をする理由
出産に比較的、時間のかかる身近な動物として、イヌが挙げられる。イヌの胎盤は「帯状胎盤」というタイプで、胎膜(漿膜、羊膜、尿膜で構成)の中央部分を帯状に1周して形成される。たとえるなら俵型のおにぎりに、くるっと巻かれた海苔のようである。
帯状胎盤は、イヌを含む食肉類に見られる胎盤で、胎児は帯状の胎盤でしっかり包まれ、とても安定した状態で成長できる。安産祈願のために「戌の日」にお参りする風習は、安定して妊娠を維持しやすいイヌにあやかっている。
その半面、胎盤と胎児が離れにくい内皮―絨毛膜という比較的密な結合であるため、こちらも出産に時間がかかるとともに出血も多く、母親の負担は大きい。このタイプの胎盤をもつ食肉類は、ライオンやトラなどのように食物連鎖では上位に位置する動物が多い。そのため、比較的安全な環境下で妊娠・出産を迎えることができる。
海に視点を移してみると、アシカやセイウチ、アザラシなどの鰭脚類、ジュゴンやマナティなどの海牛類も帯状胎盤で、比較的密な結合を有している。彼らも高度な社会性をもった動物で、多少難産であっても、それを乗り越えられるだけの仲間や環境が整っているといえよう。
人間のほか、ほとんどの動物には月経がない
ちなみに、月経(生理的発情に関係なく周期的に排卵し、子宮内膜が剥離・脱落するシステム)があるのは、人間のほかに、一部の霊長類や翼手類に限られる。ほとんどの動物には、月経というものがない。
たとえばネコ科動物が選択した交尾排卵のように、交尾した瞬間に排卵すれば受精率は上がるのではないか。また、人間も季節性に排卵すれば、毎月あの鬱陶しいものに悩まされることもないのでは……。
それでも人間は毎月、定期的に排卵する。ヒトをはじめとする一部の動物に月経が備わった理由は諸説あるものの、遺伝的に問題のある受精卵が着床した場合、子宮内膜を脱落させて、淘汰できるしくみとして進化したという説が最も有力のようである。
古代ギリシャの医師であったヒポクラテスは、月経とは、健康を維持するために体内の有害物質を排出する現象と説いていたという。現在では、月経血中に多数の炎症性物質(サイトカインなど)が確認されていることから、月経は子宮及びその周辺部に繰り返しもたらされる生理的な炎症反応と理解されている。
月経とは、より優れた受精卵を着床させるよう進化し適応した結果であり、ホルモンの分泌をはじめとする女性の体を健康に保つためにも不可欠なしくみといえよう。