誰かに共感やねぎらいの言葉をかけようとして、「経験したことのないあなたにはわからない」と拒絶されたときにはどうしたらいいのか。社会学者の森山至貴さんは「何をもって『わかっている』ことにするのかというハードルの高さは上下する。そうした拒絶の言葉を批判するのではなく、相手がなぜそういった表現をするに至ったのかという背景に思いを巡らせることで、対処の仕方を考えてはどうか」という――。(第1回/全3回)

※本稿は、森山至貴『10代から知っておきたい 女性を閉じこめる「ずるい言葉」』(WAVE出版)の一部を再編集したものです。

子育てを心配する母親
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女性A「なんだか疲れているみたい。大丈夫?」
女性B「子どもの夜泣きがひどくてなかなか寝られなくて……」
女性A「想像しただけでも大変そう」
女性B「大変なんてもんじゃないって。あなたには子どもがいないからわからないよ」

「そんな程度のもんじゃない!」と言いたいときはある

たしかに、経験したことのないことについて軽々しく口にすることは戒められるべきかもしれません。わかった気にならないで、相手の経験に真摯に耳を傾けるべきでしょう。知ったかぶりほど、相手への敬意を欠いた態度はありません。

とはいえ、だからといって、相手の想像が自分の経験にとうてい及ばないときに、相手の属性を理由にして「あなたにはわからない」と拒絶することは、望ましい態度でしょうか。

もちろん私はこのあと「望ましい態度ではない」と説明していくつもりなのですが、同時に「だからそんなことを言う人は間違っているのだ」と非難することにはためらいも覚えます。

苦しい、つらい、という経験がまさに想像を絶するものであるとき、他者による想像や共感に対して「そんな程度のもんじゃない!」と言いたい気持ちは私にもありますし、誰かがそう叫んでいるときに、その絶望を軽視してはならないと思うからです。

だからここでは、「あなたには子どもがいないからわからない」といった言葉を批判するのではなく、その背後にある発想について考えることで、その発言を生み出した苦しさやつらさにもっとうまく対処できるのではないか、を考えてみたいのです。

「わかる」のハードルは上下する

このシーンでは、子どものいる女性が夜泣きに困っていることを、話し相手である子どものいない女性ももちろん知っています。何が問題の焦点となっているかを把握し、共有しているという意味では、子どものいないこの女性もまた「わかっている」のであり、そのことは子どものいる女性だって知っているはずなのです。

森山至貴『10代から知っておきたい 女性を閉じこめる「ずるい言葉」』(WAVE出版)
森山至貴『10代から知っておきたい 女性を閉じこめる「ずるい言葉」』(WAVE出版)

でも、子どものいる女性にとってそれは「わかる」と言うにはほど遠い状態のようです。文字通り休む暇もなく夜中に子どもに起こされることのしんどさ、それが毎日続くことへの絶望感、そういったものを体感していることが「わかる」の意味であると言いたい気持ちは、決して責められるべきではないと思います。

ここですでに明らかになっているのは、何をもって「わかっている」ことにするのかというハードルの高さの設定自体が、会話において決定的な重要性を持っていることです。うわべだけの誰でも知っている程度のことを知っているというだけで「わかっている」と言ってほしくない、それでは私の経験を共有し、それに心を寄せていることにはならない、という気持ちがわくことも当然あるでしょう。

でも、「わかる」のハードルが固定されておらず、上げることができるということは、下げることだってできるということです。ハードルを極端に下げ、ほとんど「知ったかぶり」でしかないようなことについても「わかる」のハードルを超えていることにされてしまうことだってありうるのです。

そんなふうに他人によって「わかる」のハードルを下げられたくない、そう思うときに私たちがとっさにしてしまう防御反応がひとつあります。それが、「○○したことがない人にはわからない」です。ふだんなら「わかる」という言葉に込めないような極端な含みを持たせることで、ハードルを高く固定してしまおうとするわけです。

「どうせ他人にはわからない」だけが支えになるときもある

ただ、この極端さには大きな代償があります。それは、相手の「わかろう」とする努力ではどうにもならない高さにハードルを設定することで、苦しい、つらいといった思いへの共感の回路を遮断してしまうことです。

さらに厄介なのは、あまりにも苦しくつらいときには、「どうせ他人にはわからない」と世間に背を向けることだけが、つらい自分を支えるギリギリの杖のように感じられることもまたある、ということです。苦しい、つらいと思いつつ、それに対する他者からの共感は拒絶する……これではその苦境から抜け出すことがますます難しくなるばかりです。

だからこそ、「わかる」のハードルが上下に動くことと、それに対する私たちの典型的な防御反応をあらかじめ知っておく必要があるのです。

自分のレーンだけがハードルが高い不公平な陸上競技場のイメージ
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絶望的な高さを表現する工夫、共感の回路を閉じない宣言

「経験したことのないあなたにはわからない」と言いたい自分の気持ちを否定するのではなく、「経験してみたら想像以上にたいへんでとても混乱している」などのように、相手が超えられないハードルの設定にならないよう気をつけながら、その絶望的な高さを表現するよう工夫してみませんか。そのほうが、「わかる」をめぐる断絶を避けつつ誰かに苦しさを分け持ってもらえる可能性は高まります。

他人から「経験したことのないあなたにはわからない」と言われたらどうしたらよいでしょうか。私なら「そうかもしれませんね」と返答しておきます。相手が「わかる」のハードルを高く設定したい気持ちを尊重しつつ、共感の回路をこちらからは閉じないよ、と宣言しておく。あとは相手にゆだねて気長に待つ、くらいでよいのではないでしょうか。

抜け出すための考え方

「わかる」のハードルは上下するからこそ、ハードルを下げてほしくないと思う側は「経験したことがないあなたにはわからない」といった極端な発言をしてしまいます。その極端さが悪循環を生むことを理解し、お互いの経験の違いが共感の回路を遮断しないよう、開いておくべきでしょう。

もっと知りたい関連用語

【インターセクショナリティ】
アメリカの弁護士、キンバリー・クレンショーが1989年に論文の中で提示した言葉で、交差性とも訳されます。(おもに)女性差別が黒人差別や同性愛差別など、さまざまな差別と相互依存的に成立していることを指す言葉で、女性がそれぞれに置かれた立場の違いを超えて互いの抑圧を解消していくことを目指すためのスローガン的役割を果たしています。「わかる」が女性を経験で分断しないよう、「わかって」おくべき苦しさやつらさをより精密に、総体的に描くための発想を提示したものとも言えるでしょう。

もっと深まる参考文献

パトリシア・ヒル・コリンズ、スルマ・ビルゲ著、下地ローレンス吉孝監訳、小原理乃訳、2021『インターセクショナリティ』人文書院