精神科病院での生活を記録した著作は多い。しかし、精神科医で昭和大学附属烏山病院長の岩波明さんは「こういった作品からは、多くの精神病患者は、現実と隔絶した世界で、美しく、また気高く生きていると感じられてしまうが、それは事実とは言えない」という――。

※本稿は、岩波明『精神医療の現実』(KADOKAWA)の一部を再編集したものです。

古い建物の老化
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精神科病院の環境は大きく改善

精神病院は、現在では精神科病院と呼ばれるようになったが、名称が変更になってもその実態には大きな変化があるわけではない。ただ、新しく建造された精神病院はアメニティがかなりの程度改善し、一人一人のスペースも広いものとなっている。古い時代のように、畳敷きの大部屋に10人、20人と雑居していることはほとんどみられなくなった。

精神病院が一般の病院と大きく異なるのは、病院に「居住」している患者さんが少なからず存在している点である。かつての精神病院に畳部屋が多かったのは、患者さんたちがそこに住んでいたからである。長い人では、10年、20年と入院を続けていることも珍しくなかった。このような精神病院の様子については、精神科の当事者の記録から鮮明に知ることができる。

精神病院のリアルを鮮明に記した松本昭夫

46歳のときに『精神病棟の二十年』を執筆した松本昭夫氏の作品には、精神病院に暮らす人たちの生活ぶりが克明に描かれている。松本氏自身は、精神分裂病(現在の統合失調症)の診断を受けている。『精神病棟の二十年』については、紀伊國屋書店のホームページで次のように紹介されている。

受験勉強に没頭していた二十一歳の青年を、ある晩突然襲った「地獄」。思いを寄せる女性が友人と絡み合う生々しい幻覚、次いで二人して自分を嘲笑う幻聴。精神病棟での長い療養生活の、それが始まりだった。電気ショック、インシュリン療法、恐怖の生活指導。絶望の中で青春を送り、四十にして社会復帰を遂げた著者が赤裸に綴る異様な体験。

鉄格子がはめ込まれた閉鎖病棟

松本氏は被害妄想から傷害事件を起こして入院となった精神科病棟の様子を次のように記した。

私が最初に入った病棟は、男子だけの閉鎖病棟であった。

それは古ぼけていて、陰鬱な気分にさせられた。病棟には五十人くらいの患者がいた。閉鎖病棟というのは、重度の精神病患者を収容する病棟で、文字通り施錠がきびしく、閉鎖的である。外出を許可されることは、まずめったにない。窓という窓には、逃亡を防ぐために、頑丈な鉄格子がはめ込まれている。(『精神病棟の二十年』松本昭夫、新潮文庫)

精神分裂病(統合失調症)に罹患している患者が、自らの病歴を振り返って記述した著作はこれまでいくつか刊行されている。その代表的なものとして、『スローターハウス5』や『猫のゆりかご』などの小説で有名なカート・ヴォネガット・ジュニアの子息、マーク・ヴォネガットの『エデン特急』(みすず書房)があげられる。

精神病患者=“心優しい敗者”ではない

この作品の中で描かれているのは、当時の時流に乗ってヒッピーのコミューンを作ろうとしたマークの試みと、その中で発症した彼の狂気の記録である。その体験は悲惨であり重苦しいものであるが、またどこか詩的で美しく、哲学的な記述に満ちている。この本の中で精神病の患者は、過酷な社会の現実に敗れた心優しい敗者として描かれている。

突然、まったく気づかないうちにぼくはある場所にいた。たとえそんなものがあるとしても、現在以外の時が存在するということを、哲学的に証明するのは何という愚かなことだろう。今何時なのか、かいもく見当がつかない。どれくらい空白があったんだろう。一分、一日、数年、何千年?

このような哲学的な記載は他の患者による作品、たとえば『ユキの日記 病める少女の20年』(笠原嘉編、みすず書房)、患者との交流を描いた『精神病者の魂への道』(シュヴィング、みすず書房)などでも同様のものが認められる。こういった作品からは、多くの精神病患者は、現実と隔絶した世界で、美しく、また気高く生きていると感じられてしまうが、それは事実とは言えない。

窓に手を当てた丸刈りの女性の後ろ姿
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患者同士で恋愛に発展することも

一方、前出の松本氏の記述は全く異なっている。彼の生活は、われわれと同じ現実の中にある。彼は当事者であるとともに、普通の市井における生活者である。松本氏はコンビニで買い物もするし、ファストフードにも居酒屋にも行く。その辺でちょっとかわいい女性に、気楽に声をかけたりもする。

松本氏は、継続して治療を受けていたが、回復した時期にはきちんと社会生活を送り就労もしていた。これだけでも、十分尊敬に値する。病気の症状のためになかなか働けないケースは多いが、病気を理由にして社会復帰をあきらめて、無為・自閉の生活に浸ってしまう患者もまた多い。

さらに松本氏は、『精神病棟に生きて』(新潮文庫)において、自分の性生活を克明に記載した。病院内部で女性患者とデートにこぎつけたり、ふられたりする様子は、一般社会の出来事とかわりはない。ここには可憐なエピソードは無いが、生身の生活の裏付けがある。

手をつないで歩くカップル
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医師と女性患者の交際を病院が隠蔽

精神病院の中では、年若い男性患者が年配の患者の同性愛の相手をさせられたり、保護室に収容されていた若い女性患者が当直の看護士から暴行されたという事件も起きている。もっとも精神科の患者、特に入院患者は、性に関して幼稚で臆病であることが一般的であり、松本氏の行動は独特である。

場所が精神病院であろうと、男女がいるところには、恋愛沙汰はつきものである。ある中年の精神科の医師が、女子病棟に入院していた16歳の女性患者を「治療」と称して院外に連れ出し、ディズニーランドに行った後に性的関係を持った事件があった。これは両者合意の上のデートだったが、女性患者が自分は医者と付き合っていると施設の職員など周囲に自慢したため、病院の管理者の知るところになってしまった。この事実を知った院長や事務長は青ざめてパニックとなり、マスコミに漏れる前にすぐにその医師を退職させた。現在なら、隠蔽いんぺいすることが難しかったかもしれない。

入院患者の多くが統合失調症

精神病院の入院患者は、多くが統合失調症である。この統合失調症という病名は、精神科患者の家族会などの依頼によって精神分裂病という病名が変更されたものである。

岩波明『精神医療の現実』(KADOKAWA)
岩波明『精神医療の現実』(KADOKAWA)

当初、日本精神神経学会の委員会では、名称案として「統合失調症」「クレペリン・ブロイラー症候群」「スキゾフレニア」と三つの候補がでたが、統合失調症に決定されたといういきさつがある。確かに、精神分裂病という単語は重い響きがある。不治の病としか思えない。もっとも精神分裂病という病名が使用される以前は、「早発性痴呆」というさらに悲惨な響きを持つ用語が使用されていた。

統合失調症でひんぱんにみられる症状は、幻聴と被害妄想である。わが国第一の文豪である夏目漱石は精神疾患に罹患りかんしていて、彼には統合失調症に似た症状がしばしばみられていた。漱石の病相期には、幻覚や被害妄想が顕著に出現していた。幸いなことに、彼の疾患は周期性であり、軽快期には病的な体験はほぼ消え、そのため各種の名作が生まれた。漱石の作品には、次のような幻聴を思わせる表現が頻出している。

すると又垣根のそばで三四人が「ワハハハハハ」と云う声がする。一人が「高慢ちきな唐変木だ」と云うと一人が「もっと大きな家へ這入りてえだろう」と云う。又一人が「御気の毒だが、いくら威張ったって蔭弁慶だ」と大きな声をする。……吾輩は主人のあとを付けて垣の崩れから往来へ出て見たら、真中に主人が手持無沙汰にステッキを突いて立って居る。人通りは一人もない、一寸狐に抓まれた体である。(『吾輩は猫である』)

統合失調症の原因はいまだ不明

現在のところ、統合失調症の原因は、はっきりと特定できていない。この疾患の治療における大きな問題は、統合失調症の患者がなかなか病識(自分が病気であるという認識)を持てない点である。このため治療が奏功して安定した状態が持続している場合でも、服薬をやめてしまい再発に至ることがひんぱんにみられる。

明るい日差しの入る部屋で、枕を抱いてベッドの上で顔を伏せている女性
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はたして統合失調症の原因は何なのだろうか。近年さかんに分子生物学的研究が行われているが、明らかな結果は得られていない。これは統合失調症の発症と関連する遺伝子が発見されていないということではなく、関連する遺伝子が研究によっては100種類、ときには200種類と多すぎて収拾がつかないのである。しかしこのことは、「精神病の忌まわしい遺伝」というものが存在しているということではなく、だれでもいつでも統合失調症に罹患する可能性があることを示しているように思える。