臨床心理の分野で近年、認知されるようになった「発達性トラウマ」。公認心理師のみきいちたろうさんは「多くの方が悩む生きづらさの原因について、これまで発達障害、アダルト・チルドレン、HSPなど様々な概念により説明が試みられてきましたが、しっくり来ない部分も少なくありませんでした。実は、成長の過程で、家庭などで受けたストレスがトラウマ(発達性トラウマ)となり、様々な不調や悩みの原因となっていることが明らかになってきました。さらにトラウマは発達障害と似た症状を生むこともわかっています。実際に自分は発達障害かも? と不安になる人も少なくありません。トラウマは私たちにとって、とても身近な存在なのです」という――。

※本稿は、みきいちたろう『発達性トラウマ 「生きづらさ」の正体』(ディスカヴァー携書)の一部を再編集したものです。

ベンチでうなだれるビジネスマン
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眞子さまにくだされた画期的な診断「複雑性PTSD」

2021年10月1日、ご結婚に関して、執拗しつような報道やバッシングにさらされていた眞子さまが「複雑性PTSD」と診断されたと宮内庁から発表がありました。おそらく、多くの一般国民にとっては「複雑性PTSD」という診断名は記憶には残らず、よくわからないけれど心身のご不調に対して診断がくだされた、と受け取ったのではないでしょうか。いわゆる「PTSD(Post Traumatic Stress Disorder:心的外傷後ストレス障害)」が、災害など主として一回の出来事から不調をきたすのに対して、「複雑性PTSD(complex PTSD)」とは繰り返し強いストレスにさらされることで心身に不調をきたすことをいいます。ジュディス・ハーマン(Judith Lewis Herman)という精神科医が提唱し、紆余うよ曲折がありながら最近ようやく公式の診断基準として認められたものです。私は、トラウマや愛着障害を専門にしている公認心理師ですが、今回のニュースに接した際、画期的な診断であると感じました。

専門家の中には、この診断名に異論もあるようです。おそらく基準通りであれば、「適応障害」か「うつ状態」などと診断されたことでしょう。公式の基準では、命の危険にさらされるようなストレスや症状が複雑性PTSDの対象とされているからです。ただ、診断名とは本来、適切な治療につなげるために付けられるものです。「適応障害」などの診断名が付いていた場合と「複雑性PTSD」とでは、伝わるメッセージが全く異なります。

「複雑性PTSD」との診断が持つ大きな意味

もし「適応障害」と診断されたとしたらどうだったでしょう。「適応障害」もストレス関連障害ではありますが、診断名の印象から眞子さまご本人に責任が帰せられ、存在が脅かされるほどの重大な問題であることは曖昧になってしまいます。また、マスコミ報道や世論のあり方に警鐘を鳴らす効果も失われたと思われます。

さらに、眞子さまのように、ハラスメントなどによって周囲から急激に責められる、孤立した状況に陥る、といったことは誰の身にも起こり得ます。特に幼い子どもにとっては家族や学校は世界そのものです。そうした日常で起こる生きづらさに悩む人たちにとっても、今回の診断は大きな意味を持つと考えます。

「発達性トラウマ」は複雑性PTSDの原因でもある

もう一つ、今回の診断が画期的だと感じるのは、複雑性PTSDが「発達性トラウマ」と関係があるためです。

「発達性トラウマ(Developmental Trauma)」とは、複雑性PTSDの原因となる子ども時代に負ったトラウマのことです。

子どものころに家庭や学校などで負った慢性的な(反復性)ストレスが複雑性PTSDの原因であることがとても多いのです(もちろん、眞子さまのように成人してからのストレスも同様に複雑性PTSDにつながるトラウマの原因となります)。

座って見下ろす女の子
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主に子どもの頃に受けたストレスがトラウマに

そのため、発達性トラウマは、私たちが抱える生きづらさの原因を明らかにするものとして近年注目されています。複雑性PTSDという診断が公になされるようになったということは、あわせてその要因である発達性トラウマについても今後広く知られるきっかけとなると考えられます。

トラウマ研究の第一人者であるベッセル・ヴァン・デア・コーク(Bessel van der Kolk)は『身体はトラウマを記録する』(紀伊國屋書店)の中で、「私たちの社会は今、卜ラウマを強く意識する時代を迎えようとしている」と述べています。

これはトラウマという概念が、ただいたずらに拡大解釈され適用されていく、ということを意味しません。そうではなく、様々な研究から明らかになったことを受けて、私たちが人間らしく生きるための要件とは何か、そしてそれを破壊するものとは何かを捉え直す時代が来た、ということではないかと思います。

「トラウマ」と聞いて、あなたはどんなイメージをお持ちでしょうか?

どこか遠い世界の話? 特別な体験をした人が被る症状? 耳にしたことがあるけれど詳しくはわからない……等々、そのイメージは様々だと思いますが、いずれにしても自分とは直接には関係のないものとお感じではないでしょうか?

トラウマは、遠い世界の存在ではありません。日常の不調や悩み、生きづらさといったあなたがふだん感じている症状としても現れています。トラウマは私たちにとって、とても身近な存在なのです。

他人に対するイライラが止まらないケース

奈美さんは30代の主婦です。人に対するイライラが止まらない、というご相談で来られました。

自分が思う合理的な段取り通りに動かない人、奈美さんの話をちゃんと聞いていない人、話が的確ではない人にイライラするのです。鈍くさい(と奈美さんが感じる)友だちに「あなたね〜!」から始まって、人としての心構えをついお説教してしまうのです。自分でもさすがにイライラしすぎだと思ったことが相談のきっかけです。

カウンセラーと話をする中で分析してみると、不安がとても強い、ということが見えてきました。常に安心・安全ではない世界の中で自分はなんとか危険をやり過ごそうとよく考えて行動しています。しかし、そのことがわからず空気が読めないのん気な他者にものすごく腹が立ってしまうようなのです。

うつの女性
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夫婦喧嘩、父親のイライラなど家庭内でのストレス

実は奈美さんの父親は気分屋で急に怒り出すような人だったらしく、幼いときに無邪気に遊んでいたら、思いっきり頭を殴られたことがあったそうです。そのとき、「ああ、こんな不用意なことをしていた自分は愚かだったのだ」と思い、それ以来、いろいろなものに気をつけるようになったそうです。

また父親はご商売をされていて段取りにもとてもうるさく、家の中でも母親の段取りのつたなさをなじっては、よく喧嘩になっていたそうです。家族でたまにドライブに出かけても、渋滞につかまっては「お前らの段取りが良くなかったからだ!」とイライラし、夫婦喧嘩になります。正月も皆が食事に揃うのが遅いなどと、いつも機嫌が悪かったそうです。奈美さんは年末年始やお盆などは今でも良いイメージがありません。

高学歴で一流企業勤めでも自信が持てないケース

瑛さんは、誰もが聞いたことがある有名大学を卒業し、業界トップの金融機関で働いています。上司からも期待をされていますが、いつも自分に自信がなく、自分の実力が偽物のように感じられるといいます。

自分はおかしい、自分は汚れている、というスティグマ感(罪悪感、劣等感)が強く、それが他者にバレないか、という不安が根底につきまとっているといいます。

「自分に自信がない」という訴えに相談を受けたカウンセラーも「そんな有名大学を出て、一流企業にいらっしゃるのに、ですか?」と思わず尋ねてしまうほどです。

瑛さんは、「いや、大学もガリ勉で入ったもので、周りの秀才たちとは違います」「今の会社も、学歴のおかげで入ったようなものです」と卑下するように答えるのです。瑛さんは、「かなり気張って接してはじめて堂々としていられる」といいます。頭の中で、自分を責める声がして、仕事でうまくいかないことがあると自分を罵倒してくるそうです。

街並みを眺めるビジネスパーソン
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「もう頑張り続けることはできない」…将来へのなんとも言えない不安

そして、ずっと将来が漠然と不安であることにも苛まれています。このまま自分の人生が何もないままで終わってしまうのではないか? 自分は何者にもなれないのではないか? というなんとも言えない不安があるのです。

そして、ビジネス書や自己啓発の本を読む間は癒やされますが、しばらくするとまた不安になります。休みの日も、何か研鑽を積んでいないと焦りと不安でいても立ってもいられなくなります。

ただ、例えば闇雲にビジネススクールや英会話を受講しても意味がないだろう、というのは頭ではわかるのです。しかし、何もしていないことが不安でしかたありません。一方、幼いころから受験勉強をしてきて、努力を続けて「もうこれ以上頑張り続けることはできない」という疲労感も感じています。異動することになったのですが、その忙しい部署で自分がついていけるか不安を感じています。

高収入のビジネスマンが不全感から依存症になってしまったケース

健洋さんは、買い物依存とアルコール依存傾向でお困りとのことでご相談に来られました。

収入は良いとのことですが、車や外食、ギャンブルなどでむしろ200万円ほど借金をしているとのことです。仕事では完璧主義で、何もかもちゃんとしないと気が済まないそうです。後輩にもいつも厳しい態度で接しています。

努力をしない同僚や上司にはとても腹が立ちます。幼いころのお話を伺うと、母親は勉強ができると褒めてくれますが、テストの点が悪いときなどは褒めてもらえなかったそうです。95点を取ったとしても100点でないことを責められたとおっしゃいます。母親は親身に話を聞いてくれるような感じではなかったそうです。

幼いころは夫婦喧嘩が絶えず、健洋さんが5歳くらいのときに両親は離婚し、母親は女手一つで妹と健洋さんとを育ててくれました。

母親はご自身が自立してストイックに子育てをしてきたこともあり、お子さんに対しても自立するように厳しくしつけてこられたそうです。健洋さんが弱音を吐いても、母親には全く共感してもらえず、それも今につながっているのではないか、とおっしゃいます。

収入やステータスとなるものでしか認められない、ということから内心の不全感がお金やモノやお酒に向かっているのではないか、とご自身で分析しておっしゃいます。

発達段階での慢性的なストレスが原因に

内容は様々ですが、すべて発達性トラウマによると思われるケースです。各ケースについてほぼ共通しているのが、発達段階において、家庭や学校などで持続的・慢性的なストレスを受けてきたということです。

みきいちたろう『発達性トラウマ 「生きづらさ」の正体』(ディスカヴァー携書)
みきいちたろう『発達性トラウマ 「生きづらさ」の正体』(ディスカヴァー携書)

ある人は夫婦の不和、ある人は兄弟・両親・嫁姑など家族や親戚同士の揉め事に巻き込まれたり、親の過干渉や機能不全であったり、ある人はいじめやハラスメントを受けた結果であったりします。

そして、同じく共通するのが、生きづらさの原因がわからずに困っているということです。専門家に相談しようにもどこに相談していいかわからない。そもそも自分の苦しみをうまく言語化できない。生きづらさを表現する適切な情報もない。カウンセリングではとても良くなるようには思えない。かといって病院で治してもらえそうもない、と途方に暮れてしまっているのです。中には、「自分は発達障害では?」などと不安に思い、実際に検査、診断を受けているようなケースもあり、トラウマを負うと発達障害ととてもよく似た症状を呈することがわかっています。