※本稿は、アルテイシア『自分も傷つきたくないけど、他人も傷つけたくないあなたへ』(KADOKAWA)の一部を再編集したものです。
それを聞いて笑えない人がいないか考える
差別はたいてい悪意のない人がするもの。笑わせようとか盛り上げようと思ってうっかりやらかす場合が多い。
たとえば、エイプリルフールの同性婚ネタ。有名人が同性同士で「結婚しました」とSNSに投稿して批判される現象が春の風物詩になっている。
そうした投稿を見て、同性のパートナーと結婚したくてもできない当事者はどう思うか? 性的マジョリティにとっては「エイプリルフール限定のジョーク」だけど、同性婚できない当事者は今までずっと苦しんできたし、今後も苦しみは続くのだ。それに、そんな投稿を見たら「自分はネタとして消費される存在なんだな」と感じるだろう。そういう偏見や差別が存在するから、当事者がカムアウトしづらい現実があるのだ。
「俺の声ってオカマっぽいよね(笑)」とか自虐ネタのつもりで言う人もいるが、性的マイノリティの多くは「あいつオカマっぽいよな」「ホモなんじゃないの?」などと言われて傷ついている。
これらはソジハラというハラスメントにあたる。SOGIとは性的指向(sexual orientation)と性自認(gender identity)であり、ソジハラとは性的指向や性自認に関する差別的言動、暴力、いじめなどを指す。
発言する側は冗談のつもりでも、オカマ・オネエ・ホモ・レズ・オナベ・ニューハーフといった言葉を聞くだけでも傷つく人がいることを忘れずにいよう。
女性がなぜエレベーターで警戒せざるをえないのか
また「エレベーターで女性に警戒されたから逆に脅かしてやった」とテレビで話した男性芸人が炎上したが、女性がなぜ全方位に警戒せざるをえないのかを想像してほしい。それは現実にエレベーターで性被害に遭う女性がいるからだ。
いまだにメディアでは痴漢ネタやセクハラネタなどを見かけるが、それを見てフラッシュバックする被害者がいることを想像してほしい。現実に性被害にあって外出できなくなる人、通学や通勤ができなくなる人、鬱になる人、命を絶ってしまう人もいる。性被害に遭った後も被害者の苦しみは続くのだ。
「フェミはエロが嫌い」などと言われるが、我々はエロや下ネタを否定しているんじゃなく、「性暴力をエロや下ネタとして扱うな」と批判している。児童虐待や動物虐待はネタにしないのに、性暴力をネタにするのはなぜか? それは性暴力を軽視する文化があるからだ。いい加減、我々の世代でなくそうよ令和。
人の見た目に言及しない
最近は「ルッキズムって何ですか?」と聞かれることが増えた。ルッキズム(容姿差別、外見至上主義)とは、容姿の良い人を高く評価したり、容姿の良くない人を低く評価したりするなど、容姿によって人の価値をはかることを意味する。
スウェーデン在住の友人いわく、スウェーデンでは「人の見た目に言及しない」「人の見た目について何か思ったとしても、口に出すのはマナー違反」が子どもでも知っている常識であり、けなすのはもちろん、褒めるのも基本NGなんだとか。
「その服ステキだね」「その髪形似合ってるね」とかは積極的に言うけど、顔や体型のことは言わないし、職場で「美人ですね」とか言う人も見かけない、と友人は話していた。
「けなすのがダメなのはわかるけど、褒めるのもダメなの?」と思うかもしれないが、これはTPOの問題である。恋人同士が「綺麗だよハニー」とか言うのは好きにやればいいけど、仕事の場では見た目は関係ない。
「美人は得だよな」とか言われて正当に実力を評価されないことや、「美しすぎる議員」「イケメン社長」など本業とは関係ない見た目を評価することで「実力は無いのに顔で売ってる」といった誹謗中傷にもつながりかねない。
ただでさえ女性は「職場の花」「女性がいると華やかになる」とか言われて、お飾り扱いされてきた。昭和の求人広告には「容姿端麗な女性求む」など、ど真ん中の容姿差別が載っていたそうだ。
私の母は拒食症で亡くなったが、摂食障害になるのは圧倒的に女性が多い。それだけ「女の価値は美しさ」という呪いが強力なわけだが、性別問わずルッキズムに傷つく人は多いと思う。むしろ男性の方が「おっさんになったね」「太ったんじゃない?」とか言われて、雑に扱われる文化があるんじゃないか。女性に言ったらダメなことは男性に言ってもダメなのだ。
私自身も学生時代に体型イジリされたのがキッカケで、過食嘔吐するようになった過去がある。ルッキズムは深刻な社会問題だと認識することが大切だろう。
善意のお節介ハラスメント
と言いつつ私もルッキズムについてはガバガバだったので、反省している。また私自身は「善意のお節介ハラスメント」に注意している。関西のおばちゃんの世話焼き魂を自覚しているからだ。
たとえば、ゲイの知人男性は職場の女性陣から「彼女いないの? どんな女の子が好み? 紹介しようか?」と言われまくってうんざりしている。相手が善意の人だと「余計なお世話オブお世話やぞ」とは言えないし、適当にごまかすしかない。
そのたびに本人は「またごまかさなきゃいけないのか」と疲弊したり「ゲイだとバレたらどうしよう」と不安になったりする。世の中には多様なセクシャリティの人がいることを想像して「目の前の相手が性的マジョリティとは限らない」「相手のセクシャリティを無視した発言はしない」とべからず帖に刻もう。
他人が土足で踏み越えてはいけない「バウンダリー」
「子ども産むなら早い方がいいわよ」「子どもだけでも産んどいたら」「あなたにも子育ての喜びを知ってほしい」といった発言も余計なお世話のハラスメントになる。
この手の発言をする人はバウンダリー(境界線)がわかっていない。自分と他人はまったく別の人間なのだ。人それぞれ事情や生き方やセクシャリティがあって、それを他人に話したくない場合も多い。
そもそも恋愛や結婚や出産やセックスは個人のプライバシーであって、他人が土足で踏み入るべきじゃない。なのでこの手の発言をされたら「私は女として何か欠けているのかな」と悩むんじゃなく「この人は人としてデリカシーが欠けているな」と思おう。
ちなみに物書きや役者の友人たちも、表現の幅を広げるために恋愛しろだのセックスしろだの言われるそうだ。「恋愛やセックスをしなきゃ良いものは作れない」とドヤる人には「それ宮沢賢治に言うか?」と返そう。
繰り返すが、自分は差別なんかしないと思っている人ほど、うっかり差別的な発言をしやすい。自分も差別するかもしれないと気をつけて、差別しないために努力することが大切だろう。
「私は気にならない」で思考停止しない
また「無理に笑いをとろうとしない」ことも大切だと思う。サービス精神旺盛な人ほど、笑わせなきゃ、面白いこと言わなきゃと思ってやらかす場合が多いから。私も「面白さは正義」という風土の関西出身なので気をつけている。
最後に、誰かの不適切発言が炎上した際に「私は気にならないけど」と言う人がいるが、「私は気にならないけど」で思考停止するんじゃなく「気にならない自分はヤバいんじゃ?」と考えてみよう。そして、なぜ批判の声が上がっているのか? を調べてみるのがアップデートのコツである。その発言の何がどう問題なのか解説している記事などを読むと「なるほど、こういう部分が差別的なのか」と気づくきっかけになるから。
一人一人がアップデートを心がけることが、社会全体のアップデートにつながる。みんなでジェンダーを学んで、ヘルジャパンを少しはマシなジャパンにしよう。