※本稿は、田村建二『2冊のだいすきノート』(光文社)の一部を再編集したものです。
痛みで体をまっすぐ伸ばせない
みどりさんの痛みは続いていた。
入院中に注射だった痛み止めのモルヒネは、自宅で過ごすのに合わせ、のむタイプへと変わっていた。
それでも腰や背中などへの痛みは残り、眠るときはベッドに横になって体をまっすぐに伸ばすことができなかった。みどりさんは可動式のベッドを少し起こし、ベッド上に片側の肩を乗せ、ひざを曲げて、少しでも痛みが避けられるような姿勢をとった。コンコンとした、乾いたセキも続いていた。
ディズニーリゾートへ行く前日の11月14日、退院して最初の外来通院があった。こうめいさんのクルマで朝6時半ごろ家を出て、慶應義塾大学病院に向かった。
病院棟3階にある腫瘍センターで、主治医の浜本康夫さんがみどりさんを診察した。みどりさんはセキが続き、おなかに水がたまっているようだった。どちらも、胃から転移したがん細胞が抑えられていないことが原因とみられた。
浜本さんは、腫瘍マーカーなどの血液データも勘案し、やはり抗がん剤はさほど効いていないようだと判断した。
治療を受けてよくなりたい
このまま少し様子をみるという選択肢もあったが、そうするうちに状態が急激に悪化し、生命に危険が及ぶ心配もあった。
「抗がん剤を変えましょう。すぐに、きょうから」
状態によって抗がん剤を変更することは、前回の説明でも伝えていたことだった。みどりさんたちにとっても驚きはなかった。
これまでと同じ点滴だが、今回の薬は髪の毛が抜けてしまう副作用があった。浜本さんが改めて説明すると、みどりさんは「がんばります」と答えた。
みどりさんにとって、脱毛はもちろん、つらい副作用ではあった。
ただ、看護師の近藤咲子さんや、こうめいさんたち家族からみても、脱毛そのものへの不安は、さほど大きいようには見えなかった。
患者の中には、脱毛を避けたいために、抗がん剤自体を拒むケースもある。だが、みどりさんの場合は、「治療を受けて、よくなりたい」という気持ちが上回っていた。
看護師から聞かれたこと
診察に続いて、診察室に隣接した外来化学療法室で、新しい抗がん剤の点滴が始まった。歯医者さんで使われているような、リクライニング式のゆったりした椅子に座り、おおむね2時間くらいかけて点滴を受ける。1人ごとにカーテンで仕切られ、プライバシーが保たれている。
こうめいさんはその間、待合室や廊下の長椅子に腰かけ、みどりさんの点滴が終わるのを待っていた。
すると、看護師からよく声をかけられた。
近藤さんだったこともあるし、腫瘍センターの別の看護師だったこともある。
「ちょっとお話、聞かせてもらってもいいですか?」
そう言われ、診察室の奥にある部屋などでよく話を聞かれた。
まず質問されたのは、みどりさんの様子だった。
「私たちが面談をしている限りでは、みどりさんは言いたいことを十分に言えていないようにも見えます。こうめいさんの目から見て、いかがでしょうか」
「みどりさん、きょうはちょっと元気がないように見えました。ご家庭で何か、みどりさんが困ったことや、不安に思われるようなことは、ありませんでしたか」
そして、つけ加えるように、よく聞かれたことがある。
「ところで、こうめいさんご自身はいかがですか?」と。
治療対象であるみどりさんのこころのケアや、家庭での療養の状況について情報収集する。看護師たちがこうめいさんから聞き取りをする第一の目的は、そのことだったようだ。
それに加えて、こうめいさん自身のこころの様子を探ることも、近藤さんをはじめとする看護師たちのヒアリングの目的だった。
「私あとどれくらい生きられるかな」
こうめいさんは、みどりさんの病気をもっと早く見つけられればよかったのにと、自分を責めていた。みどりさんの治療をどう進めていくか、深刻な病状の中で、これからどう過ごしていくべきなのか、みどりさんの思いをどう引き出し、受け止めればいいのか。いつも迷っていた。
「妻から『私あとどれくらい生きられるかな』って聞かれたことがあるんです。そういうときって、どんなふうに答えればいいんでしょうか」
こうめいさんがそんなふうに看護師に質問すると、看護師は、
「そうですね、具体的な期間を予想して言うよりも、相手の気持ちに合わせて、『そうだね、どれくらいなんだろうね』っていうふうに応じたほうが、安心してもらえるかもしれませんね」
と答えてくれた。
看護師たちは、みどりさんだけでなく、こうめいさん自身の悩みや迷いにも耳を傾け、こころの負荷に目を向けようとしていた。
子どもにうそをついてはいけない
この日の朝は、浜本医師の診察の前に、近藤さんの面談があった。
「まずは、退院できてよかったね。これからの抗がん剤もがんばりましょうね」
近藤さんはいつものように、赤いフレームの眼鏡を頭のてっぺんに載せ、笑顔でそんな話をしたあと、「双子の子どもちゃん、最近どうしてる?」と聞いてきた。
みどりさんがスキルス胃がんと診断されてから、ほぼ1カ月がたっていた。診断される前と比べて、2人が不安にかられるなどして行動に変化が起きていないかを尋ねる質問だった。
みどりさん、こうめいさんとしては、娘たちの様子に際立った変化は感じていなかった。
みどりさんが11月9日に病院を退院して以来、2人は幼稚園にいるとき以外はいつもママと一緒にいられた。もちろん、病気になる前とは比べようもないほど、みどりさんの体力は落ちていた。痛みのせいで、ベッドに横になっている時間が増え、乾いたセキも続いていた。
それでも、もっちゃん、こっちゃんには極力笑顔を見せていた。2人にすれば、ママがいつも近くにいるという安心感はやはり大きいようだった。
続いて、近藤さんはみどりさん、こうめいさんに対して、子どもたちにがんという病気について伝えることをすすめた。
たとえ小さくても、子どもは親の病気について何もわかっていないわけではない。むしろ、親の変化を敏感に察している。
小さな子どもも、ママの病気と闘うメンバーの一員だ。そして、子どもたちには「どんなときも、家族の一員として大事にされている」と思ってもらう必要がある。
そのためにも、がんであることを隠さずに、きちんと伝えたほうがいい。
近藤さんは、みどりさんが入院していたころから、主に叔母たかこさんを通じて「子どもにうそをついてはいけない」と伝えていた。
がんという病気について何も知らされないまま親を亡くした子どもは、「きっと私のせいで死んでしまったんだ」と思い込み、傷ついてしまうことがあるといわれていた。
とりわけ、もっちゃん、こっちゃんと同じ3~5歳くらいの子どもは、自分の考えや行為が、親の病気の原因になったと考えがちであると指摘されていた。
2人の子どもに、どう伝えるか
翌週、21日の外来受診のとき、近藤さんは、みどりさんたちに、「説明するときの参考にして」と言って、NPO法人「ホープツリー」が作成した『子どもとがんについて話してみませんか』など複数の冊子を渡した。
冊子には、3~5歳の子どもに向けて話すとよい内容が記載されていた。病気になったのはだれのせいでもないこと、がんという病気はほかの人にうつらないこと、といったことだ。
別の冊子には、「『心配させたくないから子どもには知らせない方が良い』という考え方もあるが、子どもは親の病気について情報が与えられなくても、『いつもと違う何か』を感じとっている」といった内容が書かれていた。
「やっぱり、近藤さんってパワフルだよね」
病院から帰るクルマの中で、みどりさんはこうめいさんと話し合った。
「でも、こうして子どものことを気にしてくれるの、うれしいね」
みどりさんが10月に吐血して入院したときから、娘たちにはママが病気であることを伝えていた。慶應義塾大学病院に転院したときも、病気の治療のためだと説明していた。夫婦にとって、新たに病名を伝えることに抵抗感はなかった。
小林麻央さんのように子どもたちに接したい
みどりさんは、病気になるずっと前から、乳がんのため2017年に亡くなったフリーキャスター・小林麻央さんのことを尊敬していた。
小林さんは、がんの進行にともない、次第に弱っていく様子も含めて、自身の姿を子どもたちにありのままに見せていた。「なんて強い人なんだろう」。ブログやテレビ番組を通して、みどりさんは小林さんの姿勢にとても共感をおぼえた。
みどりさん自身もがんに襲われることになるとは想像だにしていなかったが、それでも娘たちに対しては小林さんのように振る舞えたらと思っていた。自分の病気について、隠すつもりはもともとなかった。
ただ、がんという病気について、どのタイミングで、どのように伝えるのがいいのかは、よくわかっていなかった。だから、近藤さんの具体的なアドバイスがありがたかった。
話すならいまだ
夕方近く、みどりさんとこうめいさんが帰宅すると、もっちゃん、こっちゃんはもう幼稚園から帰っていて、自宅2階のリビングで長いすに座り、テーブルの上でお絵かきをしていた。
みどりさんが「何の絵かいてるのー?」と聞くと、こっちゃんはそれには答えず、「どこ行ってたの?」と質問してきた。
あ、話すならいまだ。そう思い、みどりさんが説明を始めた。
「きょう、病院に行ってきたよ。ママの体の中に、がんっていう、悪い病気がいて、それをやっつけるための注射をしたんだよ」
2人は、はじめは説明を聞いていた。
だがやがて、いつものようにママに抱きついた。一度の説明ですぐに理解することは難しいようだった。ただ、「がんという、悪い病気とママはたたかっている」ということだけは伝わった気がした。
この日以降も、みどりさんたちは病院に通うたびに、「がんの治療に行ってきたよ」と娘たちに繰り返し、伝えるようになった。
みどりさん自身は、2人にどこまで伝わっているのか、それほど気にはしていないようだった。
2人に伝わっていても、伝わっていなくても、構わない。それよりも、私はいま、自分にできることをする。それは、2人に思いきり愛情を伝えることだ。みどりさんは、そんな気持ちでいるようだった。
骨折してもいい…母の覚悟
こうめいさんには一つ、心配していることがあった。
もっちゃん、こっちゃんは、退院したママに甘えたくて、しょっちゅう飛びかかったり、よじ登ったりする。甘えたくて、遊びたくて仕方がないのだろうが、その衝撃でがんの転移で弱っている骨が折れてしまうんじゃないか。こうめいさんは、外来受診のとき、近藤さんに相談した。
近藤さんは、「スキンシップは大切だから、止める必要はないよ」と言いつつ、「骨はたしかに弱っているから、そのことを子どもたちにきちんと伝えて。それで、2人がわかってくれるといいね」とすすめた。
そのうえで、2人がくっついてくるときはなるべく、みどりさんが椅子に座るなどして、安定した状態でいるようにすることを提案した。
実際、こうめいさんは一度、こんなふうに言って、注意したことがあった。
「ママはいま、骨が弱くなっている。だから、強くぶつかったりしたら、折れてしまって、ママが痛い思いをすることになるかもしれない。だからそんなふうに、パパに飛び乗るみたいにして、ママに飛び乗るのはよくないよ。抱きつくんじゃなくて、手を握るのはどうかな」
こうめいさんがそう言うと、2人は元気に「うん、わかった!」と返した……と思ったら、またすぐ、みどりさんに飛び乗った。
こうめいさんは「おい! ぜんぜんわかってないやん」とツッコミを入れるしかなかった。
もっとも、みどりさん本人は、2人が飛び乗ってきてもちっとも気にせず、「好き、好き」と言いながら、2人をハグしていた。
たとえ骨折してもいいから、いまは子どもとの時間をしっかり楽しもう、愛情を伝えよう。みどりちゃんはそう決めているんだな。こうめいさんはみどりさんの覚悟のようなものを感じた。