性格に問題がある人が組織に居続けるのはなぜなのか。人材育成コンサルタントとして、ハラスメント行為者へのカウンセリングを専門に行う松崎久純さんは「上司がいじめNGというコミットメントをする気がない、あるいは、できないからだ」という――。

「性格に問題のある人たち」が皆の膨大なエネルギーを使っている

「学校じゃないんだから、いじめを解決するなんて仕事はやってられない!」と言い放った上司がいます――会社内のいじめに苦しむ若い女性従業員から寄せられた相談です。

「性格に問題のある人」が、他の多くの従業員にストレスを与え、その言動への対処に、皆が莫大ばくだいなエネルギーを使っています。その人の言動が嫌で退職する人も出てきます。それでもなぜ、その「性格に問題のある」本人たちは、組織に居続けられるのでしょうか。

これは組織の上層部が、性格に問題のある人がいること、性格に問題のある人によって他の従業員が苦しむことを「気にしていない」ために起こります。私のようにハラスメントの行為者へカウンセリングをする専門家でなくとも、誰にでもわかることでしょう。

世の中には、性格・人格に問題があり、まともな話が通じない人がいます。

人生ではじめて出会った「性格に問題がある人」は教師だった…

私がはじめて、性格に問題があり、話が通じない相手だと思ったのは、小学校3、4年時の担任の女性教師でした。

新卒で教師になったばかりの人でしたが、日頃から言動が暴力的で、私もこの教師からはよく暴行を受けました。後頭部を後ろから思いきり殴られたり、私の腹が出ているのがみっともないと言って、みぞおちを結構な力で叩いてきたりといったことが頻繁にあったのです。

また、一度は教室である生徒の首を絞めて失神させ、ぐったりしたその生徒の様子に驚き、「死んだかと思った~」と大声を上げて取り乱していたこともありました。

この教師は、子供の目から見ても、「話し合って何とかなる相手」でないことがわかる目つきをしていました。

不機嫌な教師
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小学校5、6年時の担任は年配の女性教師でしたが、この教師は、今日でいうハラスメント行為がひどい人でした。

算数の問題が解けない生徒たちを「どうしようもないバカ」と呼び、「さん、にい、いち、ゼロ、ドカ~ン全員バカ」などと、言ってのけるのは日常的で、この人の非常識な振る舞いは、まとめれば図鑑にできそうなほど、多種多様なものがありました。

私の弁当を食べてしまった担任教師

私はこの教師に弁当を取り上げられ、3分の1くらい食べられてしまったことがあります。

その教師は、生徒が教室で弁当を広げると、「私、誰かにもらおう。誰にもらおうかな」と自分の机に座ったまま、「う~ん、ヒサズミ(私の名前)の。」と言います。

私がキョトンとしていると、「ちょっと、弁当持ってきて」と、自分は座ったまま、私に弁当を持ってくるように促します。

私がまだ何を言われているのかわからないまま隣へいくと、私の弁当を見ながら、「これ何?」「うーん、これは?」などとおかずを指さし、「これにするわ。これももらうわ。あんたの弁当箱の蓋に置いて」と指示してきます。

私はこの教師の選んだおかずを自分の弁当箱の蓋によそって、差し出すように促されているのです。

「ごはんも、もらうわ」「ふーん。これおいしいわね」などと話しながら食べる担任の教師。

まともな話が通じる相手でないことは、やはり明らかでした。

子供の私が不思議に思ったのは、なぜこんな人たちが小学校で教師として存在しているのかということです。

5、6年時の担任の教師は、特に評判がわるかったようで、学校や市の教育委員会にもクレームがあるようでしたが、「学校や教育委員会に相談しても、どうにもならない」というのが、大人たちが話していることとして、時折、子供である私の耳にも入ってきました。

お弁当
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今から40年以上前のことですが、これが当時でも、あまりに異常なことだったのは間違いありません。

なぜこんな教師たちの行為を、他の教師たちは止めさせようとしないのでしょうか。私は不思議に思いましたし、学校や教師たちに対しては、不信感を募らせていました。

「肥満であることをからかうヤツは許さん」教師によるコミットメント

中学1年になって、体育の授業であった出来事です。

長距離を走る授業でしたが、肥満体のため苦しそうに走っていたM君をからかった生徒がいたのでしょうか。先生が生徒全員を集め、「肥満であることをからかうヤツは許さん」と言ったのです。

「たとえば体重が10キロ余分にあれば、それを抱えて走っているのと同じだから苦しいに決まっている。それでも一生懸命走っているMを笑うヤツは、オレが殴る」と続けました。

もっともこの先生は、生徒に手を上げたりする人ではありませんでしたが、これは身体的な特徴をからかったりするのは、完全にNGだと宣言する「コミットメント」でした。

それ以降は、M君をからかう生徒はいなくなり、身体的な特徴を指摘して喜ぶような稚拙な行為は、クラス全体から相当に減ったように思います。

コミットメント――これは子供の社会で通用するだけのものではありません。大人の社会でも、しかるべき立場の人からの確実な「コミットメント」があれば、「性格のわるい人」による迷惑な行為などは、かなり制限されるものです。

コミットメントは時間が経過すると効果が薄れることもあります。また、もともとそれだけでは効き目のない相手もいますが、それでも、これがあるかどうかは相当に大きな違いをもたらします。

「性格に問題のある人」の言動を組織がどう扱うか

人の性格は、どうにも変えることができません。「性格に問題のある人」が変わることは期待できないでしょう。しかし、そのことと、彼らの言動を組織がどう扱うかは別の問題です。

NOと書かれたダンボール
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性格のわるい人が周囲の人を苦しめる行為は、野放しにすることもできれば、それはNGだというコミットメントで制限することもできます(もちろん、さらに踏み込んで、個別の案件に対処することもできます)。

「性格に問題のある人」の言動から他の従業員を守りたければ、「性格に問題のある人」がいることと、彼らの言動を管理する能力は別のものであることをはっきりと認識しましょう。

「いじめNG」を発する気のない上司…

いじめに苦しんで、私に相談を寄せられた女性従業員の上司は、いじめがNGというコミットメントをする気がありません。なぜ、このようにコミットしない、あるいは、できない人がいるのでしょうか。それには大きく2つの理由があります。

上司に非難される女性
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1つは、失礼ながら、コミットする能力がないためです。この人たちは、人とかかわって問題を仲裁する能力に欠けています。

そして、それを能力の欠如と認めず、自分のすべきことではないと正当化すると、相談者の上司のように、「いじめを解決するなんて自分の仕事ではない」という発言をするようになってしまいます。

こんな上司がいたのでは、部下が困って相談したのが、まるでわるいことのようにさえ聞こえてしまうでしょう。

もう1つの理由があるとすれば、それは組織の体質です。

いじめが好きな人たちの多い組織は、決してめずらしくなく、なぜこんなに性格に問題のある人ばかりが集まるのかと驚くことさえあるものです。

こうした組織には、新入社員が入ってきても、なぜかその体質に染まる人が多く、またそうした人だけが残っていきますから、その体質が引き継がれたままになるのです。

こんな組織では、本来はそうした体質にメスを入れるべき上層部の人材も、いじめ好きであることが多く、性格に問題のある人による悪質な行為を止めさせる「コミットメント」は発せられることはないのです。

コミットメントがあれば社内いじめの対処法は見つかる

いじめなどについて、具体的にどのような対策を講じるべきかわからなくても、コミットメントがあれば、対処する方法は見つかってくるものです。そのために私のような専門家さえいるのです。

しかしながら、コミットメントはその組織の内部からでないと発することができません。

学校であれば、教師や教育委員会などが自主的に行わなくても、保護者からプレッシャーをかけることなどができるかもしれませんが、企業などの組織では、そういうわけにはいきません。

部下の方などから「性格に問題のある人」の言動について相談を受けた方は、まずはコミットメントを発するよう取り組んでみましょう。

組織内でハラスメント的な行為に苦しんでいる人は、同時に、それを適切に扱わない組織にも悩んでいるものです。

彼らの苦悩は、組織がコミットメントを打ち出して、自分を助けようとしていると知れば、それだけでも随分と和らぐものなのです。