前例がないという理由で企画が通らないことはよくあることだ。ネスレ日本・飲料事業本部の髙岡二郎さんが、カフェインレスを日本で普及させるために企画した「睡眠カフェ」もそうだった。前例がないうえに場をつくるためのコストがかかる。髙岡さんがこの難関を突破した方法とは――。

社内から上がった懐疑的な声

「わざわざ“場”まで用意して、本当にそんな需要があるのか」

6年前、ネスレ日本の髙岡二郎さんが初めて「睡眠カフェ」というコンセプトを提案した時、社内の一部から懐疑的な声が上がりました。

社内を説得して実現したのが2017年3月、「ネスカフェ 原宿」(東京)のスペース内に、10日間だけオープンしたベッドで眠れる体験型カフェ(「ネスカフェ×フランスベッド 睡眠カフェ」)でした。

苦労の末、10日間だけオープンした睡眠カフェの第1号。
苦労の末、10日間だけオープンした睡眠カフェの第1号。(写真提供=ネスレ日本)

「当初は実現に至るまで、本当に大変でした」と髙岡さんは振り返ります。

なぜ、そのような斬新な提案をしたのか。彼は、カフェインレスコーヒー(「ネスカフェ ゴールドブレンド カフェインレス」)の製品担当になり、その魅力を広く知ってほしいと考えていました。

外部のパートナー企業を得て動き出した

当時の日本では、いま以上にカフェインレスコーヒーの認知度が低かった。もともと「妊娠中や授乳期の女性が飲むもの」との印象もあり、「自分には関係ない飲み物」と捉える人も少なくなかったでしょう。まさに筆者も、その一人。

ネスレ日本 飲料事業本部 髙岡二郎さん(写真提供=ネスレ日本)
ネスレ日本 飲料事業本部 髙岡二郎さん(写真提供=ネスレ日本)

一方で、髙岡さんいわく、「ヨーロッパではコーヒー市場の10%程度を、カフェインレスが占めている」とのこと。

つまり海外の人々は、オケージョンに応じて、カフェインのあり、なしを上手に使い分けている。日本でも、具体的な飲用シーンを体験してもらえれば、カフェインレスを含めたコーヒー市場をより開拓できるはずだ、と考えたのです。

髙岡さんとしては、「『睡眠カフェ』での学びを自宅に持ち帰ってもらえれば、自宅でのより良質な仮眠・睡眠につながるかもしれない」との思いがあった。

半面、会社(上司)にとっては、外部空間にベッドを設置することも、「睡眠カフェ」というコンセプト自体も“前例がない”こと。

なかなか社内コンセンサスが取れず、最終的にフランスベッドという外部のパートナー企業を得て、ようやく実現に至ったそうです。

「新たな場」を用意することのハードルの高さ

これを聞いて、少し意外に思う人も多いのではないでしょうか。

ネスレ日本といえば、毎年、全社員を対象に、「イノベーションアワード」という新規事業コンテストを開催することで有名。また、家庭用のコーヒーメーカー(「ネスカフェ ゴールドブレンド バリスタ」)をオフィスに無料で貸し出すことで、コーヒーを軸としたコミュニケーションハブの創造を目指す「ネスカフェ アンバサダー」という、画期的なイノベーションを生み出したことでも知られます。

つまりネスレ日本には、以前から“前例がない”ことにも前向きに挑戦する企業風土があったはず。それでも新たな場を用意するとなると、さすがにハードルが高かった……。

期間限定で「まずはやってみる」ことの重要性を訴えた

そこで髙岡さんは、「常設でなくてもいい、期間限定でも「まずはやってみる」ことで、必ず得られるものがあるはずだ、と説得しました」とのこと。

17年3月、東京・原宿に初めて「睡眠カフェ」がオープンすると、たちまちテレビの情報番組やSNSなどで話題に。開店前から行列ができ、まずは20、30代女性を中心に、認知度が高まりました。

良質な睡眠について学べる「ネスカフェ 睡眠カフェ in 原宿」(写真提供=ネスレ日本)
良質な睡眠について学べる「ネスカフェ 睡眠カフェ in 原宿」(写真提供=ネスレ日本)

その後も、異なるパートナーと少しずつ試みを変え、東京・銀座で2回、期間限定で新たな空間や飲み方を提案。19年3月には大井町に、念願の常設店をオープンしました。その店舗を、21年3月に再び原宿へと移し、ネスカフェ 原宿と同じビル内(3階)に「ネスカフェ 睡眠カフェ in 原宿」を設けたのです。

髙岡さんの挑戦は止みません。22年6月、JR東日本とともに新たに開業したのが「STATION BOOTH(ステーションブース) supported by ネスカフェ 睡眠カフェ(以下、「ネスカフェ ブース」)」(22年12月31日までの予定)。埼玉のJR大宮駅構内で、「仕事をしたりコーヒーを飲んだりしながら、リラックスタイムを過ごせる」という、画期的なスペースです。

「まさかJR(東日本)さんとご一緒できるとは思わなかった。大宮駅はターミナル駅で、主婦やシニアの方々、学生さんなども多く利用する。ですが、ぜひふだん忙しいビジネスパーソンの方々にこそ、体験していただきたいのです」と髙岡さん。

1.3畳のブースに電源、Wi-Fiを完備

1.3畳ほどのブース内には、ワークスペースとして電源やWi-Fiが完備されているほか、リラックスできるレザーチェア(リクライニング可)や、同社のカプセル式コーヒーメーカー(「AQUA WITH/ネスカフェ ドルチェ グスト ジェニオ アイ」)が置かれています。遮音性もあり、駅にいることを忘れそうな、落ち着いた空間です。

大宮駅の駅構内にオープンした「STATION BOOTH supported by ネスカフェ 睡眠カフェ」
写真提供=ネスレ日本
大宮駅の駅構内にオープンした「STATION BOOTH supported by ネスカフェ 睡眠カフェ」

ただ、ネスレ日本が提供する「コーヒー」と「睡眠」との掛け合わせに、多少の違和感を持つ人もいるかもしれません。「あれ? 寝る前にコーヒーを飲むと、眠りが浅くなるんじゃないの?」と。

一方で、すでにご存じの方もいるでしょう。コーヒーの香りをかぐだけで、人はリラックス気分を感じられることが多い。複数の研究でも実証されています。

「コーヒーナップで生産性を上げる」という提案

また一般に、カフェインによって脳が興奮状態に入るまでには、15~20分程度のタイムラグが発生すると言われます。よって、昼寝に入る直前にコーヒーを飲めば、15~20分程度うとうとしたのち、起きるころにちょうどカフェインが効き始める。

そのため、シャキッと心地よく目覚められる効果が、期待できるのです。

大宮駅の「ネスカフェ ブース」でも、短い休憩の「前」にカフェインを含むコーヒーを飲むことを推奨。ネスレ日本は、こうしたリラックスタイムを「コーヒーナップ(昼寝・仮眠)」と呼んでいます。

「移動途中や通勤帰りに立ち寄り、少しの間パソコンを打つなどして、お仕事に集中していただく。そして少し疲れたなと思ったら、ブース内でコーヒーを飲んで、5~10分ほどリラックスタイムを過ごしていただければ」と髙岡さん。

確かに、営業時間は午前10時から午後8時45分まで、しかも15分単位で使えるので、要予約ながら「ちょっと立ち寄ろう」と気軽に使えそうです〔15分ごと330円(税込)〕。

22年7月末現在、JR東日本が同じエリアで展開するほかのSTATION BOOTHに比べ、約5倍もの利用客がいるとのこと。「想像以上にゆったりした空間」や「コーヒーも飲めるのでお得」など、好評だそうです。

まずやってみる「アジャイル型」

日本の企業に長年、目立ったイノベーションが起きにくかったのは、「ウォーターフォール型」と呼ばれる開発モデルが一因だ、とも言われます。

昭和や平成の時代、とくに大企業を中心に開発現場で用いられてきたポピュラーなモデルで、「水が流れ落ちる(ウォーターフォール)」ように工程が進むのが特徴。一般には、図表1のような手順で、開発が行われていきます。

一方、DXやデジタルシフトが叫ばれる中で、注目されるようになったのが「アジャイル型」。皆さんもよく耳にするはずです。

「アジャイル(素早い)」の言葉通り、「まずはやってみる」との姿勢でプロトタイプ(β版)を提示し、顧客の状況やニーズの変化に適応しながら、「計画~設計(開発)~実装~テスト」の循環を、小刻みに繰り返します。

【図表1】ウォーターフォール型とアジャイル型

デメリットは途中で方向性を見失いやすいこと

もともとはIT系企業を中心に広がったアジャイル型ですが、近年は自動車メーカーや食品メーカーをはじめ、さまざまな業界にも取り組みが波及しています。

たとえば、Honda(ホンダ)のカーシェア・レンタカーサービス「EveryGo(エブリ・ゴー)」や、キッコーマンのアンバサダープログラム「キッコーマンごはん部」など。ネスレ日本の睡眠カフェも、まさにアジャイル型に近いでしょう。

近年、そのメリットが強調されますが、アジャイル型にもデメリットはある。よく言われるのは、一般にスタート時に仕様の詳細を決めないため、途中でその方向性を見失いやすいこと。だからこそ、関係者は企業のパーパスや社会的使命をその目標とし、常に忘れずにいることが重要です。

髙岡さんの脳裏にも、常にネスレがパーパスで掲げる「すべての人々の生活の質の向上」があるとのこと。最後に、「その実現に向けて、自分も健康やウェルネス領域で貢献したい、この思いを忘れずにいたい」と力強く語りました。