子どもの自己肯定感を高めるために、子どもをほめることは大事なこと。とはいえ、ほめ方には注意が必要です。“全米最優秀女子高生の母”であるライフコーチ・ボーク重子さんは「『他の子よりもよくできたね』といった条件付きのほめ方は子どもの不安を高める」といいます――。

※本稿は、ボーク重子『しなさいと言わない子育て』(サンマーク出版)の一部を再編集したものです。

母親と娘がおでこをつけて、手では2人でハートマークをつくっている
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“厳しさ”と“寛容”のバランスとは

「厳しさ」とは、自分の感情や行動をコントロールしたり、社会の役立つ一員として責任ある意思決定をしたり行動したりすること。一方の「寛容」とは、自分をありのままに受け入れたり、ダメなときに責める代わりに共感したりすることです。

親が子へ向き合うときに、どんな「厳しさ」を見せるべきかというと、一言で言うなら「自分を律する」ことに対しての厳しさを見せるということ。具体的にはこのようなことが挙げられます。

●その子にできる最高を期待する
●その子にできる最高を目指す主体性と主体的な行動を求める
●ルールの必要性を説明し一緒に実践する
●ルールを守れないときはきちんと律する

一方、親が子へ向き合うときに持ちたい「寛容」さとは、「個性を認める」「寄り添う」ということ。たとえばこんなことです。

●子どもが自分の気持ちを表現することを応援する
●ルールを破ったときは叱るのではなく、説明する
●「例外」を認める
●子どもの気持ちに寄り添う、応援する
●親の意見と違ってもきちんと耳を傾ける

厳しさと寛容のバランスが良い、子どもを伸ばす「民主型の親」は、このような環境を「声かけ」を使ってつくり出していきます。厳しさと寛容のバランスをとることで、

●子どもが自分自身の考えや意見、感想などを(たとえつたなくても)自分の言葉で表現できる、表現していいと思える

●正解を言わなきゃ、ママを喜ばせるには何て言えばいいんだろう、嫌われないためには何と言おう、と親の顔色を窺うのではなく、「自分の本音で話せている」と思える

●自分という存在を否定されない

●親の正解を押し付けられない

●自分は自分であっていいと思える

●自分は理解されている

こんな感情が子どもの心に芽生えます。子どもが安心安全を感じるこのような環境がはぐくむものこそ、自己肯定感です。

ほめ方ひとつで子どもは「不安」になることも

自己肯定感とは「無条件に自分の価値を認める」ということ。それは「これができるから」「ほめられたから」などの条件を抜きにして、自分の存在と価値を認めるということです。たとえ失敗したとしても、失望する出来事があったとしても、「それでも自分は大切な存在だ」と思える力です。

生きていればいいことも悪いこともあります。だからこそ、まずは何があっても自分という存在を無条件に肯定できる力が必要になります。私たちはともすれば、条件をつけて子どもをほめ、「そんなあなたを愛している」と伝えてしまいがちです。「いい成績を残せたね」「全国○位だったね」「ピアノの先生にほめられたね」「他の子よりもよくできたね」「塾のクラスがひとつ上がったね」などなど……。

でも、このほめ方を続けると、子どもは不安を抱くようになることすらあるのです。親が喜ぶ条件を満たせているうちは良いけれど、もしそれがむずかしくなってしまったら「そんなあなたは愛せない(そんなあなたに興味はない)」と思われかねないからです(子どもは本能的にそこまで察知しています)。

だから条件つきではなく、ダメなところや未熟なところも含めて「自分には価値がある」。子ども自身がそう思えることが大事です。「自分には価値がある」と、どんなときも思っていられること。それこそが「自己肯定感」の正体です。

ほめるのは段階を踏んでもOK

その子のそのままの部分、その子まるごとをほめる。確かにそんなほめ方が、子どもの自己肯定感を育てます。ですが一方で、その前段階として、私は、まずは「条件つきでほめること」もありだとも思っています。

なぜならそれは、ハードルが低いからです。うまくいったことについて、どんどんほめてあげましょう。

いきなり「ダメなところも受け入れる」と言われてもむずかしいもの。現に、私自身も、まずは条件つきでもいいからほめる、というやり方で、大人になってから自分の自己肯定感をはぐくんだひとりです。

だから、ママたちにお伝えするのは、子どもはもちろん、自分のことも、「まずはできることがある自分をほめよう」とか「いいことがあったときは気分が上がるよね」と、条件つきでもいいからほめてください、ということ。子どもの自己肯定感を育てたいというなら、自分を肯定するってどういうことか、親自身も知ることが大切だからです。

はじめは、条件つきでもいい。そこから徐々に「無条件」になっていく。だから、今「うちの子は、ほめられたときにだけ、自己肯定感が高まっている気がする」と思っても、安心してくださいね。

ただひとつ、注意点があります。それはどんなふうにほめるか、そのほめ方です。これは後ほど説明しますね。

いつでも、どこでも、一銭もかけずに取り組めること

「民主型」の親が最も良い親のタイプといわれていますが、はじめから民主型という方は多くはないでしょう。ほとんどの親は、子どもが生まれてから、その子の幸せを願い、試行錯誤を経て、「民主型の親になっていく」すべを身につけていくものです。だから、今自分は「服従型(親主導で厳しく徹底管理する)に近いな」と思ったとしても、安心してくださいね。ここから始めればいいのです。

民主型の親でありたいと思えば、日々、具体的な方法に取り組みましょう。服従型の要素を見つけたら、それを民主型の親のやり方にひとつずつ変えていく。それは、いつでも、どこでも、一銭もかけずに今からすぐに取り組めることです。

学校に行きたくない男児を励ます母親
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毎日ひとつずつ、3週間実践してみると、結果は見違えます。考えながらもできるようになるには21日かかると言われますが、3週間続いたことは、自分にとってそれが苦ではないということ。習慣になりつつあるということですから、きっとその後も続けられます。3カ月続けば、それは立派な習慣です。

子どもが、自分らしさを発揮し、幸せな人生を切り開くために、親としてどんな姿を見せていくのか。それを日々考えながら、自分に、そしてお子さんに、毎日向き合ってくださいね。子どもに「そうあってほしい」と思う理想を、まず自分でやってみてください。ほめられたら「ありがとう」と感謝し、相手の良いところも見つけてあげましょう。

そもそも「否定」は心理的安全性を確実に損なう

子どもへの声かけで最も大切なのは、「まず否定」をやめること。「正解」や「常識」から逸脱しているからといって「間違い」と即断定しないことです。

否定は、子どもにとっての安心安全を感じる環境を損ない、自己肯定感を下げる行為。大人もそうですよね。いったん否定されると、それ以降は話しにくくなったり、思い切ったことを提案しづらくなったりするものです。閉じた心には学びもありません。親は、「子どもの話に最後まで耳を傾ける姿勢」を、まず徹底するように心がけましょう。

ですが、ここで覚えておいてほしいのが、「肯定」と「否定」ということについての、正しい定義です。否定しないということは、「すべてに同意する」ことではありません。「すべてに同調する」ことでもありません。

肯定するとは、「なるほど、そういう意見もあるね」と子どもが言ったことをいったん認める、ということです。間違っている場合は「それ間違っている」「おかしい」と否定するのではなく、いったん「なるほど、そうなんだね。どうしてそう思うのかな」と理由を聞いたり、「他にどんな考え方があるかな」とさらなる思考を導きます。

「それは間違っている」と言いたくなるところは、

「なるほど、そういう意見もあるね」
「それもありかも。もっと詳しく話してみて」
「面白いね。どうしてそう思うの?」
「ママはこう思うけど、それについてはどう思う?」
「それもありかもね。でもママはちょっと違うかな」

と、否定や修正、同意も同調もせずに、「いったん肯定する」声かけをすることで、子どもの自己肯定感を高めていきます。

子どもなりの「ロジック」を面白がってみる

私たちは大人の論理を子どもにも当てはめようとします。そしてそこから逸脱しているときに、否定したり修正したりしがちです。そんな否定や修正は子どもの自己肯定感を脅かすこともあります。

子どもが素っ頓狂なことを言ったとき、思わず「何わけのわからないこと言っているの」と否定しがちですが、どうせなら「子どものロジック」を面白がってみてはいかがでしょうか? そこには、子どもが自ら答えを発見していく鍵も見つかる気がするのです。

娘スカイが3歳くらいだったでしょうか、こんなことがありました。

私が娘と日本語で話そうとしていたときのこと。ゲームにかかる時間についてたずねたとき、彼女は日本語で答えようとして言葉に詰まり、丸いほっぺをほんのりピンク色に染めながら、モゴモゴし始めました。

私は助け舟を出したいのを、ぐっとこらえながら、しばらく黙って娘を見守っていた次の瞬間のことでした。彼女は、「いっこミニット!」と言って、にっこり笑ったのです。

ボーク重子『しなさいと言わない子育て』(サンマーク出版)
ボーク重子『しなさいと言わない子育て』(サンマーク出版)

「いっこ=1個」と「ミニット=分」。要は「1分」と私に伝えたかったけれど、「分」という日本語の単位を知らなかった彼女は、自分が知っていた「いっこ」(=1)と、英語の「ミニット」(=分)をドッキングさせて、なんとか私に伝えようとしてくれたのです。そのとき私は、子どもってちゃんと論理的に考えられるのだな、と感動すらおぼえました。

ときとしてそれは大人の論理や表現の仕方とは違っているかもしれませんが、自分のなかにある知識を総動員して表現しようとしてくれる。子どもって、すごいなぁ、素敵だなぁ、と感じ入ったものです。

もちろん、私は「それは1分って言うんだよ」なんて言い換えませんでした。代わりに「うわー、いっこミニットってすごーい。確かにミニットが1個だものね! 1分って!」とさりげなく付け加えたのです。