今話題のアンガーマネジメント。「6秒ルール」や「仏教」に頼ってもなかなか怒りを消すことができないのはなぜなのか。自衛隊メンタル教官である下園壮太さんは「我慢よりも距離が大切だ」という――。

※本稿は、下園壮太『自衛隊メンタル教官が教える イライラ・怒りをとる技術』(朝日新書)の一部を再編集したものです。

感情的な女性の表情の移り変わり
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「6秒ルール」は怒りを消すどころか火に油…

アンガーマネジメントには、私たちにいろんな気づきを与えてくれる内容が多数あります。「6秒ルール」もその1つです。これは、強い怒りも6秒やり過ごせば、そのピークを過ぎる。なんとかその6秒を耐えましょうね、というスキルです。

この6秒ルールというのは、通常の怒りの場合、「3段階(3倍モード)の怒り」(図表1)が、数秒で消えていくことを教えてくれています。その間、気持ちの暴発をやり過ごし、「相手を罵倒してしまう」などの言動を防止するのは、怒りの外的エスカレーションを防ぐ点でとても意味のあることです。しかも、6秒だったらやれそうな気がします。「使える」感じです。

しかし現実は、6秒数えても、目の前にその相手がいて不服そうな顔で文句を言ってきたら、怒りはすぐ爆発してしまいます。むしろ、6秒我慢した分、逆に勢いがついてしまうことも。これが「使えない」という実感になります。なぜそうなるのか。これは原始人をイメージすると理解しやすくなります。

怒りのピークが収まるのは、危険が低下している場合です。一触即発の間合いでは、戦闘モードを解いてはいけません。

怒りを一瞬で消す“最も”効果的な方法とは

6秒が重要なのではなく、「距離」が重要なのです。

例えば、数メートル離れれば、鉄拳は飛んできません。

10メートル離れれば、戦闘だけでなく、逃げるという選択肢も生まれます。

怒りの感情をやり過ごすには、6秒ルールよりも、直ちに「その場を離れる」。それが最も効果のある方法です。

具体的には、化粧室に行く、喫煙所に行く、コンビニに行く、電話だと言って席を外す……など。対象が視界から消え、できれば音(声)も聞こえないところに行くと、自然と怒りは2段階に落ちてくれます。

もちろん、すぐに離れることができないシチュエーションもあるでしょうから、工夫が必要です。例えば、感情コンピュータの使用言語をうまく活用し、イメージの中で距離を取る、イヤホンやスマホの動画をうまく使う、他者と話す、電話をする、深呼吸をする……。そのような対処の代替案の1つとして、必死に数を数える(6秒)というのも有効な手です。

原則だけはしっかり理解して、たとえ6秒ルールがうまくいかなくても、いたずらに自分を責め、自信を失わないようにしておきたいものです。

仏教の教え「自分を変える」で怒りは手放せる?

怒りっぽい自分を何とかしたくて、宗教の門をたたく人もいるでしょう。

これも、うまくいく人とそうでない人がいますが、うまくいかない人の場合、実はアンガーマネジメントのときと同じように、「感情の強度を誤解している」「最初から強い敵を狙っている」場合が多いのです。

仏教などは、日本の文化になじみがあります。ですから、確かに親しみやすい教えも多いでしょう。しかし、お経の中などでも教えられているのは、基本的にはアンガーマネジメントと同じ、「自分(価値観)を変える」です。その中でも、欲望をなくすことと、感謝の念を持つことが、強調されているようです。これも、本当に「正しい」ことです。

ところが、こうしたことは、修行中の僧侶が、お寺などの限定された環境の中で、長い時間をかけて、ようやく怒りに対処できるようになった、そのときのコツなのです。

つまり、訓練されたお坊さんが、周囲も分別のあるお坊さんたちに囲まれ、世俗の煩わしさから解放されたお寺で生活するという、かなり恵まれた環境の中でようやく「欲望を消したり」「感謝したりすること」ができ、その結果、怒りをコントロールできるのです。

修行を積んだお坊さんでも、世俗に帰って、邪悪な人々と接したり、理不尽な世の中にもまれてしまうと、せっかく身につけた怒りへの対処が効果なく、「元の木阿弥」になってしまうこともあるでしょう。

だから、単純に「感謝しなさい」とか「己を捨てなさい」と言われても、普通の人には、かなり難しい課題なのです。そのコツだけで、すぐ怒りという強敵に対抗できるものではない、ということを知っておく必要があります。

積まれた石に光る、mind、body、soulの文字
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「感謝できない」自分を責めないで

考え方や価値観を変えるのは、怒りを発生させないためには、とても重要なことです。

ただ、1段階の人でも、かなりの努力と時間がかかる、とても厳しい課題であることを忘れてはいけません。やろうと思っても、普通はできないものなのです。

ましてや、今イライラを何とかしなければと思っている2段階・3段階の人には、無理な課題です。

このような現実を知らないでいると、「お寺で教えてもらった通りにできない私はダメだ」「お坊さんのように、感謝できない僕はダメだ」などと、やみくもに自己嫌悪に陥ってしまうことになります。

何をしてもしなくても怒りを買ってしまう現代日本社会

アンガーマネジメントや宗教・倫理教育などの利点と欠点(限界)について解説してきました。ここで強調してきたのは、感情のメカニズムと、それに応じた上手な対応をしないと、外的・内的エスカレーションを引き起こし、逆にイライラしやすい体質になってしまうということです。

下園壮太『自衛隊メンタル教官が教える イライラ・怒りをとる技術』(朝日新書)
下園壮太『自衛隊メンタル教官が教える イライラ・怒りをとる技術』(朝日新書)

自衛隊メンタル教官が教える イライラ・怒りをとる技術』では、より効果的、かつ実行可能な「個人の対処法」を提案していくのですが、その前にもう1つだけ、確認しておかなければならないことがあります。これまでは、人間や感情の根源的な部分からの考察を進めてきましたが、私たち現代人の怒りについては、まだ十分に触れていないのです。現代人の怒りの強度や成り立ちをきちんと把握しないと正しい対処方針や攻めどころ(努力の向けどころ)を見つけることはできません。

最近、どうも日本人が不寛容、つまりイライラしているような気がします。他者の少しのミスを許せない。ネットでは、それぞれが軽い気持ちで吐き出した怒りが、数の力でうねりとなり、対象になった人を社会からだけではなく、本当に抹殺しかねない状態です。

路上での煽り運転などの増加も目立ちます。一方で、お笑いなどの「いじり」、タレントや政治家などの本人的には他意のない発言などにも、いわゆる「失言」として強い拒否感を持つ方も増えてきました。何をしてもしなくても、誰かの怒りに触れてしまいそう……。そんな時代のように思えます。

私は、この不寛容のトレンドは、文明化の一過程だと思っています。物質文明が豊かになり、他者と協力しないでも、一人で生きていけるようになりつつある。一人で気ままのほうが楽ですから、どうしても、他者と交わる場面における耐性が育ちにくいのです。

「多様性」を認める社会が怒りを生む理由

さらに、昨今は「多様性」を強調するようになりました。これは文化的には前進だと思いますが、常に原始人を基準にものを考える私には、少し違う側面が見えます。

原始人は、異質を嫌います。攻撃される危険が高まるからです。多様性を認めるということは、自分の周囲にどうしても異質な人が増える。理性では「当然良いこと、あるべき変化」と認識できる多様化に対し、心の奥底で警戒心を高めてしまう部分がある。それが人間です。

抗議の声を上げるデモ隊
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多様化が進む段階で、人は知らず知らず不寛容に傾いているのだと思うのです。

ただ、人には「慣れる」という機能があります。無意識が感じる多様化への抵抗も、10年単位でゆるんでいくと楽観はしています。