企業人事担当者の「待遇にこだわる人とは働きたくない」という趣旨のツイートが物議をかもしている。人事ジャーナリストの溝上憲文さんは「あまりにも正直すぎるストレートな表現に面食らった。昭和の時代に戻ったような感覚。今の就活生の価値観は様変わりしている」という――。
面接を受ける女性の後ろ姿
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あまりに正直すぎる表現

「新卒採用担当を採用したいと思い、沢山の方にご応募いただいているのですが、給与や待遇にこだわる人とは働きたくないのです」――。企業の女性人事担当者の実名でのツイートが炎上する騒ぎに発展した。

本人は本音を吐露したのだから、賛否を論ずる必要もないが、あまりにも正直すぎるストレートな表現に面食らった。同時にこの表現に、はるか昭和の時代に戻ったかのような感覚を覚えた。1980年代の昭和の時代であれば、おそらく違和感を持つ人は少なかったし、SNSがあったとしても炎上することはなかっただろう。

それだけ平成・令和の間に企業や社会の変化にともない、会社や就職に対する価値観も大きく変わったからだ。

「待遇に不満を言う人ほど使えない」という価値観

昭和の時代は終身雇用に象徴されるように雇用は安定し、給与は毎年のベースアップで着実に上がった。福利厚生も充実し、会社の低利融資で社員なら誰でもマイホームを手に入れられた。いわば後顧の憂いなく仕事に邁進できた。そんな環境で育まれたのが「仕事の報酬は仕事で」という価値観だ。与えられた仕事につべこべ言わずにがんばって努力すれば、おカネや出世は後からついてくるという考え方だ。

その考え方の延長として「何もしないのに給与が安いとか休みが少ないとか不満を言うやつほど使いものにならない」、あるいは「労働者の権利ばかり振りかざすやつほど仕事に熱心ではない」という否定的価値観も醸成されていく。問題のツイートの「給与や待遇にこだわる人とは働きたくない」との表現も、本人の意図はともかく、そうした価値観に近い。

ただし、給与も上がり、雇用も守られた1社終身の時代という前提での話だ。これは当時の就活生の価値観とも一致していた。日本生産性本部の新入社員意識調査でも、就活生の会社選びの基準は「会社の将来性」が1975年までトップに位置し、その後も2位を保持するが、1998年を境に転落する。

会社の将来性を選んだ人は、せめて定年までは安定して成長を続ける優良企業に就職したいという期待が込められていた。しかし、98年はバブル期景気崩壊後の大企業の倒産が続出した頃であり、大企業神話の崩壊によって会社に対する信頼性が一挙に低下した。会社選びの基準の2トップは「能力・個性が生かせる」「仕事が面白い」となった。つまり担当する「職務」を重視するようになり、従来の「就社」意識から「就職」へと転換した。

学生の意識と企業の意識の乖離

しかし、学生の意識の転換とは裏腹に企業の中の就社意識は残り続けた。世の中が長時間働かせる「ブラック企業」問題で騒がしくなった2013年ごろ、IT系のベンチャー企業の採用担当者はいらだった様子でこう語っていた。

「もちろん社員のことを考えずに悪意をもって働かせている企業は問題だが、労働法を順守していない企業は山ほどある。うちのような中小ベンチャーは、法律ギリギリのラインで働かなければ、それこそメシのタネがなくなってしまうのが現状。労働条件がよいから入りたいという学生はこちらから願い下げだ」

担当者が強調していたのは「労働環境がよいか悪いかよりも、仕事にやりがいを持てるかどうかを重視してほしい」とのことだったが、すでにこの時期には学生の価値観とずれていた。

また、中堅商社の人事課長は「学生の中には『勤務時間は何時間ですか、残業はありますか』と聞いてくる人もいる。労働条件の優先度が高く、仕事に対する情熱を感じない学生が多い。労働者の権利だけを振りかざすような社員は会社のリスクにつながり、排除したいと思う経営者も多い」と指摘していた。まだ世の中には昭和のシステムを遵奉し、その残滓ともいえる価値観を引きずっている経営者も少なくなかった。

夜遅くまで一人で残業している女性
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「楽しい生活をしたい」就活生たち

一方、就活生の働くことに対する価値観はどんどん変化していく。前出の調査の「働く目的」は2000年ごろから「楽しい生活をしたい」と「自分の能力をためす」の2つが拮抗きっこうしていたが、2008年のリーマンショック後の第2次就職氷河期に入ると「楽しい生活」が突出して高くなっていく。楽しい生活が意味しているのは、遊びやレジャーを楽しみたいというのではなく、自分なりの小さな幸せを失いたくないという思いである。

もはや終身雇用を前提に、なりふりかまわず社業の発展に邁進することで経済的豊かさを追求した昭和の新入社員の価値観が崩壊し、自分の知識やスキルの範囲内で給与をもらい、多少ゆとりある充実した人生を送りたいという思いだ。

会社選びに大きな影響を与えた出来事

さらに就職に対する価値観に決定的な影響を与えたのは、2015年12月25日の電通の高橋まつりさん(当時24歳)の過労自殺だ。三田労働基準監督署は2016年の9月30日、長時間の過重労働が原因だったとして労災認定して以降、大きく報道された。高橋さんの1カ月間の時間外労働時間は過労死ラインの月間80時間を超える約105時間。長時間の時間外労働を強いられたうえ、上司からパワハラと思える暴言を受けていたことをSNSでこう発信していた。

「いくら年功序列だ、役職についている人だって言ってもさ、常識を外れたことを言ったらだめだよね。人を意味もなく傷つけるのはだめだよね。おじさんになっても気がつかないのは本当にだめだよね」(2015年11月2日)

高橋さんの自殺は、報道でその実態を知ることになった大学生や就活生に大きな衝撃を与えた。高橋さんの自殺は安倍政権の働き方改革を後押しすることにもつながったが、就活生の会社選びの基準にも大きな影響を与えた。

就活生は企業のどこを見ているか

2017年に新卒採用サービスを手がけるi-plugが実施した「働き方」に関する意識調査によると、働き方について気にしているポイントとして「長時間労働やサービス残業があるか」(59.9%)、「ブラック企業かどうか」(56.5%)、「有給休暇を取得しやすいか」(46.2%)がトップ3を占めた(複数回答)。

「長時間労働やサービス残業があるか」を選択した人の自由回答では「仕事は賃金を得るための手段と考えたい。自分のプライベートや家族など、その他の生活を犠牲にして働くことは避けたい」「働くためには身体が資本であり身体を健康に保つためには仕事と休息をバランスよくとらねばならないから」という意見が寄せられた。

仕事は賃金を得るための手段であると同時に、休息が十分に得られるのかという観点から就職先を選ぼうという志向が高まっていく。それ以前の「楽しい生活」が意味した、会社に縛られることなく多少ゆとりある充実した人生を送りたいという志向に加えて、給与や労働時間・有給休暇がちゃんとしている会社なのかをチェックするようになる。これは決して安易な考えや甘えなどではなく、彼ら・彼女らの「自己防衛」なのである。

こうした価値観を持つ人は少なくとも高橋まつりさん事件に影響を受けた2017年入社以降の20代に多いのではないか。こうした人たちと冒頭のツイッターの発言にある「待遇/給与で会社を選ぶ方と働きたくない」という価値観とは真逆である。今回の炎上騒ぎは起こるべくして起きたのである。