不安とうまく付き合う方法はあるのか。社会心理学者の加藤諦三氏は「何より大切なことは、なぜそうなってしまったのか? その「なぜか」を本気で突き詰めることである。自分の劣等を『素直』に認めることから、成長への一歩が始まる」という――。

※本稿は、加藤諦三著『不安をしずめる心理学』(PHP新書)を一部抜粋・編集したものです。

ストレスをためている女性のシルエット
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結婚したいのにできず「結婚なんてくだらない」と言う人

不安を乗り越える積極的な方法の1つは、「意識領域の拡大」です。

現実否認せずに、自分自身に対する意識領域を拡大する。もっといえば、自分自身の無意識の力を意識化するというのが、意識領域の拡大ということです。

無意識の意識化は、不幸な人が幸せになるためには必要不可欠です。無意識の領域にさまざまな問題を抱えたまま、そこから目を背けている限り、幸せになれることはありません。

素直という言葉は長所としてよく使われます。では、素直とは何かというと、まさに現実否認をしないということなのです。

素直でない人は、自分について耐えがたい感情を認めない。

不安などの感情は無意識に追いやる。

無意識で自分は愛されるに値しない人間であると感じている。

しかし、それを認められないので、虚勢を張る、現実否認をする。そうした仲間が欲しい。

素直でない人は、本当に欲しいものを欲しいと認めません。結婚したいのに、結婚できそうにないので、「結婚なんてくだらない」と言います。

こうした態度でいるので、他人とも自分自身とも触れ合えなくなり、素直でなくなります。

歳を取るにしたがって表情に表れてくる

また、そうした歪みは、歳を取るにしたがって表情に表われます。例えば、どこか真剣なところがないなど、正面から物事に向き合った姿勢がない場合、斜に構えざるを得なくなり、そうした斜に構えた心が表情に出てしまうのです。

自分が、ある人から望むほどに認めてもらえない場合、素直に解釈する人は伸びるのですが、現実否認する人はひねくれて解釈し、ありのままの現実を認められません。望むほどに認めてもらえないということを受け入れられないのです。

素直だから幸せになれるのか、幸せだから素直になれるのか、一概には言えない部分はあります。ただ、素直な人の人生は好循環していきやすいのは確かです。人生の課題というものを突き詰めれば、現実否認をするか、現実の自分を受け入れて自己実現するかに分かれます。現実を認めるくらいなら死んだほうがいい、と言って死んでしまう人もたくさんいます。

しかし、現実の自分を認めることをしないで、自己実現はあり得ません。「現実に直面するのは嫌だ。でも、悩みを解決してくれ」というのは無理です。そういう考え方だと、人生は必ず行き詰まります。

現実を直視できているか

本書の「不安の消極的な解決」のところで、合理化の話をしました。合理化によって、その場の不安から逃れることはできても、結局、心は弱くなっていく。また、どれほど弱くなっているかということは、本人でも分からないと述べました。

しかし実は、合理化のせいで我々がどのくらい弱くなっているのかを意識する方法はあります。その方法こそ意識領域を拡大することです。合理化の裏には、無意識的な力が隠されています。我が子を感情に駆られて殴っておきながら、しつけと言っている。本当にそう思っている人がたくさんいます。そうした無意識の力、隠しているものを意識することが、不安の積極的な解決になるのです。

実は多くの人は無意識のうちに成熟を拒否しています。意識の領域でなんといおうと、まさに、フロイトが「我々は常に苦しみたがる」と言っているように、無意識のところでは不幸を望んでいる場合が多いのです。そのように無意識と意識が矛盾して葛藤しているから、我々はますます不安になっています。

ですから不安を感じる人は、何か具合が悪いことが自分の中でいま起きているのだということを、はっきり認識しなければいけません。それこそが、不安の積極的解決です。

広々としたリビングルームで親子3人がトランプで遊んでいる
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家族みんな幸せと言い張る母親

ある統合失調症の娘とその母親の話です。母親は自分の不幸を否定したばかりでなく、娘の不幸も否定しました。「家族みんな幸せ」と言い張ったのです。「家族みんな幸せ」という硬直した見方に固執し、「私は幸せだ」と言う。娘が統合失調症を病んでいるという現実を前にして、「家族みんな幸せ」と言い張り続けました。

そのくらい現実を認めることはつらいことなのです。

「夫人が自分の不幸だけでなく、ジューンのみじめさをも否定したことは注目に値する。」(『狂気と家族』R・D・レイン、A・エスターソン〈著〉、笠原嘉・辻和子〈訳〉、みすず書房、189頁)

こうした現実否認が、さらに事態を悪化させます。逆にいえば「苦しみが救済と解放につながる」とアドラーが言っているように、現実を直視することが解決につながるということです。

「本当のことを認めるくらいなら死んだほうがいい」というのは、「苦しみは救済と解放につながる」ということとは、まったく逆です。そして、とにかく独りよがりの論理にすがろうとする人もいます。

「なぜかを突き詰める」が幸運の扉

例えば、失恋をした時に、自分を振った相手を「あんな女」と言ってけなす男性がいる。しかし、無意識では振られた相手のことをいまでも好きでいる。新しい女性と付き合って、「こんないい人はいない」といくら言っても、別に好きなわけではない。これでは決して幸せになることはできないことは理解できると思います。

加藤諦三著『不安をしずめる心理学』(PHP新書)
加藤諦三著『不安をしずめる心理学』(PHP新書)

もちろん、失恋はつらい経験です。その経験は悲しいが、その人が成長していく上で、一つの通過点だともいえます。そのように捉えて、不安の積極的な解決をする人は、「では、なぜこの恋愛は破綻したのだろう?」と考える。つまり意識領域の拡大には、「なぜ?」という問いが不可欠なのです。幸運の扉は、「なぜ?」という問いから生まれることを覚えておいてほしいと思います。

なぜ、あの人と別れることになったのか。
なぜ、いま自分はこんなに苦しいのか。
なぜ、自分はこんなに不愉快なのか。
なぜ、自分はこんなに憂鬱なのか。
なぜ、自分はこんなに依存心が強いのか。

「なぜ」ということを本気で考えて、自分の無意識に気がつくことが、本当の不安の解決につながるのです。その結果、自分に向き合う力が備わります。

野球が下手だと認めるのに30年かかった

ある人が「自分は野球が下手だと認めるのに30年かかった」と言っていました。30年がかりの意識領域の拡大です。野球が下手だと認められる人は、そんなことを認めたからといって、自分の尊厳が失われないと感じているから、それを認めることができるのだろう。

野球が下手でも、「俺は下手だから」と言ってみんなと応援することを楽しんだり、球ひろいをして楽しく過ごす人は、自分を受け入れているし、またそれゆえに素直に他人を認めています。

自分の劣等を一つひとつ認めることで、一つひとつ成長していきます。そういう人は自分の人生に対する信頼、自分に対する信頼を持っている人でしょう。そしてそれだけに人生のさまざまな豊かさを味わうこともできる人なのです。

不安な時は人生の岐路

どんなに自分は正しいと思っても、周囲から孤立している時には「自分は無意識の領域に問題を抱えているかもしれない」と考えたほうがいいでしょう。

どんな人の人生でも、次々と問題が起きます。その問題に対処し、それを解決していくところに生きる意味が生まれてきます。生きることは問題を解決することなのです。

いま、日本ではドメスティック・バイオレンスや不登校、引きこもり、パワーハラスメントが増えています。学校ではいじめがなくならない、というように次から次へと問題が起きているのも、これが原因です。

親になったけれども、親になりきれなくて、子どもを虐待してしまう人は、虐待をしたくてしているわけではありません。虐待なんてしないほうがいいことは、本人にも分かっている。しかし、虐待をした親は、その時は反省しても、再び同じことを繰り返してしまいます。

現代人は、誰もが生きることに手一杯で、自分の能力を超えて生きているのです。共同体の中で個人としての存在が担保されなくなった結果、社会にさまざまな歪みが生じているのです。

しかし、だからこそ「不安な時は人生の岐路」と捉えてほしいのです。現代の消費社会、競争社会において、潰れてしまうのか、それとも本当に強い人間になって、最後まできちんと生きられるのか、という岐路に立たされているのです。生きることは問題を解決することなのです。

不安への対処で人生が決まる

そういう意味では、「自分は神経症的傾向が強い人間だ」と意識することができたなら、「自分にはまだ広大な可能性が残されている。人生はこれから」と考えていいのだろうと思います。

神経症的な不安とは、その人のパーソナリティーに何か具合の悪いことが起こっており、不安とはそれを知らせる警告です。その不安に対し、積極的に対処できるか、それとも消極的に対処するかによって、人生が大きく変わってきます。不安への対処の仕方によって、人生が決まってしまうのです。

神経症的不安のせいで、絶えずさまざまなことで悩んではいますが、問題は一つひとつの悩みごとだけではなく、そもそも人間関係にあります。人間関係に何か具合の悪いことがあり、その具合の悪さが悩みの根っこに横たわっています。

子どもが不登校になったら…

ですから、生きることが苦しくてつらくなった時には、まず自分の人間関係を正面から考え直しましょう。イライラした時は、「なぜこんなにイライラするのだろう?」と考えてみるのです。

例えば子どもが不登校になったら、「私の子どもへの接し方に、どんな問題があるのだろう?」と考えます。

自分の意識領域に気づけば、その内面的な要因の発見が新しい洞察力を生み出します。シーベリーは、「内面的要因を発見するということが、不安の積極的な解決」と言っています。

我々は、みんな努力していますが、その中には途中で燃え尽きてしまう人もいます。

なぜそうなるかというと、「exclusively」、つまり排他的に努力しているからです。残念ながら、努力の方向が間違っている場合が多いのです。

逃げる努力(不安の消極的解決)ではなく、立ち向かう努力(不安の積極的解決)をしてください。立ち向かう努力なくして、人生にハッピーエンドはありません。逃げる努力をどんなに続けても、ハッピーエンドにはなりません。

人生があなたを捨てることはない

自分の人生を捨てるようなことを口にする人もいますが、大切なのは過去にさかのぼり、「なぜ自分に価値がない人間という自己蔑視のイメージを持つようになったのか?」「その要因となった人間関係は、どういう人間関係だったのか?」を考え、自分自身を再教育することです。

「自分を追い込んだ」「誤った価値観を身につけてしまった」その源を辿っていくことが、すなわち人格の再構成になると思います。

「私は人生に失敗している、私は生きているのが怖い、私は生きている意味を見失っている」という現実を認めるのは苦しいことです。

しかしそれを認めるからこそ、アドラーの言うように、苦しみは解放と救済への扉となるのです。「認める」ことによって、ロロ・メイが言う「意識領域の拡大」があり、カレン・ホルナイが言うように「内面の自由と力」が獲得できるのです。

あなたが人生を捨てたのであって、人生があなたを捨てることはありません。