※本稿は、平本あきお 前野隆司『幸せに生きる方法』(ワニ・プラス)の一部を再編集したものです。
国語の成績が塾でほとんど最下位…
前回は、原因論と目的論という2つのアプローチを解説しました。原因論ではなかなか解決できなかった問題が、目的論を使うとびっくりするほどあっさり解決できることがあります。
もう1つ実例を紹介しましょう。小学校6年生のお子さんを持つお母さんのお話です。
そのお子さんは他の教科はまずまずなのに、国語だけは本当に苦手だったと言います。通っている塾の同級生170数人中、170番。ほとんど最下位でした。
送り迎えのときの会話を変えてみたところ…
それで、塾の送り迎えのときの会話に、目的論を使うことにしました。まず、成績の良いところに注目して「算数の成績上がったね」「社会は歴史関係が得意みたいだね」と話すと会話は弾みます。苦手な国語も、できているところ、理解できているところを聞き「そうなんだ。そこは解けるんだ」「それもわかるようになったんだ。前はできなかったところだよね。すごいじゃん」なんていう話をして、「悪いところの反対」に意識を向けるようにしました。
そして、子どもが「でもさ、穴埋め問題が全然わかんない」と言うようなときには「どうしたらいいと思う?」と子どもと一緒に考えるようにしたそうです。
このような関わり方を始めて3カ月で、その子の国語の成績は塾で1番になったんです。
信じられないかもしれませんが、これは私が以前、家庭教師をしていたときのエピソードを紹介したところ、興味を持ったあるお母さんが「真似をしてみたら、本当に成績が上がったんです」と知らせてくださった実話です。
原因論は正しさを追求し、目的論は楽しさを追求する
どうして原因論と目的論で、こんなに違いが出るのでしょう。
ここはアドラー心理学というより、平本式アドラー心理学の解釈で解説します。
図表1を使って説明しましょう。
リソースは、スキル、能力、知識、技術といった、その人が持っている資源です。
リソースフルは、心に余裕がある意識状態です。視点、視野が広く、自分の持つリソースを十分に活用できます。
アンリソースフルは、リソースフルの反対です。心に余裕がなく、アップアップな意識状態で、自分の持つリソースを十分に活用することができません。
この3つの観点から原因論、目的論を定義すると、こうなります。
目的論=リソースフル追求型の解決。心の状態が良いか、楽しいか(=リソースを十分に活用できるか)を追求する。
目的論で成果が出せる秘密
オリンピックに出場するようなトップアスリートを合宿などで指導するケースを例にして比べてみましょう。
原因論のアスリート指導〈リソース追求型〉
技術を磨き、ミスを防ぐために原因論で徹底的にダメ出しをする。メダルが期待される選手には「絶対に金を獲るんだ。それ以外は意味がない」と鼓舞する。
一部の選手は「がんばるぞ」「やるぞ」となる一方で、「優勝できなかったらどうしよう」という不安からビクビク、オドオドしたアンリソースフルな状態になる選手も多数出てしまう。
目的論のアスリート指導〈リソースフル追求型〉
ミスを防ぐことよりも、選手の持っている良い部分や成長に意識を向ける目的論で関わる。メダルは関係なく、本人にとってベストなパフォーマンスが出るよう鼓舞する。
本人が持っているリソース(技術、能力)を最大限発揮できる、リソースフルな心の状態で試合に臨むことができる。また練習にも前向きに取り組めるので、リソースの向上も期待できる。
スポーツに限らず、人生のあらゆる場面において、リソース(技術、能力、知識)はもちろん大事です。しかし、そこだけを追求するあまり、心がリソースを十分に発揮できない状態(アンリソースフル)になってしまったら、意味がありません。原因論が上手くいかないケースの多くが、そのパターンに陥っていると言えるでしょう。
だから、リソースフルを追求する関わり方である、目的論で大きな成果が出せるのです。
リソースフル教育という考え方
ここからは、前野教授と、リソースフルを追求するという考え方を教育の場面で考えてみたいと思います。
【前野】幸福学では、ウェルビーイングな心の状態だと、創造性や生産性が高まり、成績も上がるし、リーダーシップも発揮できると考えます。これはまさにリソースフルな状態です。
【平本】そうですね。
【前野】そこで思うのは教育についてです。従来の教育は、社会や組織に貢献できるリソースを教えるリソース教育が基本でした。ところが近年、組織においてはモチベーションやエンゲージメントといったものに注目が集まるようになり、ウェルビーイングを高めることに力を注ぐところも増えています。リソースフル教育の方向に向かっていると思います。
【平本】おっしゃるとおりだと思います。学校教育においても「詰め込み教育はダメだから、ゆとり教育にしよう」と移行した時期がありましたが、ゆとりを持てば誰もが必ずリソースフルになるわけではありません。ゆとり教育でリソースフルになった子もいる一方で、ただ空いた時間を持て余してしまっただけの子もいる。私は、目的論の観点が欠けていると思うんです。教育の場で今、必要なのは、もっとアクティブに相手をリソースフルにしていく働きかけではないでしょうか。アドラーの言葉で言えば、勇気がある、勇気が湧いている状態にしていく教育です。
【前野】明らかにそちらに向かっていると思いますね。
【平本】ですから、原因論がダメなのではなく、原因論で関わることによってアンリソースフルになるのがダメなんです。そして目的論で、強化してほしいところを指摘する関わり方だと、リソースフルになりながらリソースも高めることができるんです。
「駆け込み乗車はおやめください」は原因論
【平本】スポーツ心理学では「緊張しすぎても、リラックスしすぎても、パフォーマンスは低くなる」と言われます。だから、あまりにもダラケた相手には原因論で厳しく関わったほうが、緊張感が増してパフォーマンスが上がる。でも、過緊張状態になっている人に「ここがダメだ」「あれを直せ」と指摘すれば、余計に緊張が高まってパフォーマンスは落ちる。アドラー的に言えば、悪いところに意識が向いて、そこが強化されてしまうからです。
【前野】そうなりますね。
【平本】駅のホームで「駆け込み乗車はおやめください」というアナウンスが流れることがありますよね。ダメ出しをする原因論的なメッセージですが、あれを聞くととっさに走り出す人がいる。何を隠そう私もその1人で、とくに急いでもいないのに、反射的に汗だくで電車に飛び乗ってしまった経験が何度かあります(笑)。
【前野】ははは。
鉄道会社のアナウンスに変化が
【平本】これは私流の仮説ですが、人間の脳は言語の内容よりも、そこから想起される画像の影響を強く受けてしまうからだと思うんです。実際「駆け込み乗車はおやめください」というワードをGoogleで画像検索すると、電車に駆け込んでいる人間のイラストばかりが出てきます。人間の脳にも似たところがあって、あのアナウンスを聞くと駆け込む方向に意識が向いてしまうのではないでしょうか。
【前野】ああ、なるほど。最近「おやめください」といった否定語を脳は理解できないという人がいますが、脳科学的に、それは誤解を招く表現だと思っています。脳はもちろん否定語を理解できますが、文脈を理解するのは高次な処理なので、ほんの少し時間がかかる。つまり、一刻も早く電車に乗りたいときに耳に飛び込んできた「駆け込み乗車」のイメージが先に処理されてしまい、脳の別の部分で否定の文脈を理解するのがほんの少し遅れる。そのあいだに走り出してしまった、といったメカニズムであると考えるべきだと思います。
【平本】ところが最近では鉄道会社も目的論的になって「駆け込み乗車はおやめください」の代わりに「次の電車をご利用ください」とアナウンスする駅が増えているようです。
【前野】言われてみれば、そうですね。たしかに目的論的になっている。
原因論で多くの才能ある選手が潰されてきた
【平本】私はアスリートのイップスやパニック障害の治療にたずさわることがあるのですが、「絶対に三振だけはするな」「三振したら1日ずっとランニングだ」なんて言葉をかけられ続けたことでイップスになってしまったケースは今でも枚挙にいとまがありません。原因論で、多くの才能ある選手が潰れてきたんだと思います。監督やコーチは潰すつもりなんてまったくありません。伸ばすつもりでやっているのに、そうなっている。だから、リソースフルになるかどうかという発想が必要だと思うんです。
【前野】リソースフルは幸せ、アンリソースフルは不幸せな状態だと言えますね。
【平本】はい。成功者の方は「幸せになると、成功する」と言いますよね。でも、「成功したら、幸せになる」ではない。まず先に幸せにならないといけない。
【前野】そうですね。まず幸せになるところから始まるんです。