会社に与えられた役割はきちんとこなしたい。でも、子ども2人をおいて仕事に没頭するのにも抵抗がある。“目の前のこと”を乗り切るのに、子どもを寝かしつけてからゼロ泊の海外出張など、数年前は強行な働き方をつづけていたと話すカゴメ マーケティング本部 広告部宣伝グループの久森匡子さん。そんな久森さんが働き方を変えるきっかけになった、ある社長の一言とは――。

はじまりも野菜だった

「みなさん、野菜をとっていますか?」と聞かれると、日々の食生活が気になってしまう。国が推奨する1日の野菜摂取目標量は350g。日本の一人当たりの平均野菜摂取量は約290gで、あと60g足りていないらしい。そこで簡単に作れるスープやパスタを教えてくれるのが、料理家の平野レミさん。カゴメが2020年にスタートした「野菜をとろうキャンペーン」で発信するメッセージだ。キャンペーンを担当する久森さんはその狙いをこう語る。

カゴメ マーケティング本部 広告部宣伝グループ 久森匡子さん
写真提供=カゴメ
カゴメ マーケティング本部 広告部宣伝グループ 久森匡子さん

「野菜っておいしいね、野菜のメニューって楽しいよと伝えることで、日々の食卓を通して健康になってほしいと思っています。恐怖心からとらなきゃいけないということではなく、もっと自発的にとってもらいたい。だから、『北風』型ではなく『太陽』型のメッセージと言っているんですけどね(笑)」

もともとカゴメを志望した動機も「野菜」にあった。大学時代、友だちに勧められて飲んだのが「野菜生活100」。野菜ジュースといえば飲みづらい印象があったが、思いがけないおいしさに衝撃を受ける。「こんなにおいしくする会社って、すごい!」。久森さんは商品企画を希望し、2001年にカゴメへ入社した。

顧客との大喧嘩で学んだ“商売に必要なこと”

新人時代は大阪支店へ配属され、量販店営業を担当。食品メーカーの営業は店頭で商品を陳列する力仕事が多く、当時は女性も少なかった時代だ。東京で生まれ育った久森さんは、関西弁が飛び交う現場にも圧倒される。関西で商売に厳しいといわれる卸店があり、そこでみっちり教えを受けたという。

「私たちは卸店を通して商品を販売していたので、卸店の担当者と一緒にス―パーへ商談に行くというスタイルでした。私が一緒に仕事をしていた方は仕事熱心で、取引先にとってどんな提案がいいのかということを非常によく考えている方だったので、メーカーに対して高い要望をされます。時には『もっと社内を説得してこい!』と怒鳴られることも。毎日緊張しながら同行していました」

遠方の取引先へ車で出かけると慣れない運転で遅刻したり、資料で誤った情報を出してしまったり、失敗する度に叱られる。歯に衣着せぬ物言いは怖くもあったが、ストレートに言われることで奮起するきっかけになった。

「逆に胸がスカッとして、ちゃんと見てくれているのだと信頼できたのです。私もきちんと自分の意見を伝えなければと思い、電話で『これは違います』とはっきり勇気をもって言ったことがありました。すると言い合いになり喧嘩のようになって、電話を切った途端に号泣してしまい……。けれどその一件があった後、相手の方は新人の私を認めてくれるようになった。きちんとストレートに伝え合うことは、商売にとってすごく大事なことだと教えられましたね」

社内の声VS消費者の声

新人の頃はとにかく店頭に立つようにといわれ、店頭で試飲販売する機会も多かった。すると「いつも買ってます」「良い商品ですね」と声をかけられたり、「カゴメさん、世界一!」と励まされたり。その度に「この会社に入って良かった」と思えた。お客さまの声を直接聞けたことは、後の仕事に活かされていく。

4年間の大阪勤務を経て、東京本社へ。念願の商品企画の仕事についたのは入社7年目だった。久森さんは食品グループでトマト調味料を担当することになった。定番商品にはトマトケチャップやトマトソースがあるが、「トマトをベースに食卓を変えよう」というのがチームの課題に。トマトの炒め物や煮込み料理、ポン酢などさまざまなアイデアが出る中で、初めて企画したのが「トマト鍋」だ。

「毎日の食卓に出せるものがいいと考えたのです。子育てするお母さんは子どもに野菜を食べてもらいたいと思っています。お鍋には野菜をたくさん入れるので登場頻度が高くなるんじゃないか、では子どもが食べてくれる鍋はどういう味なのだろうと話し合い、トマトケチャップの味なら子どもは好きだよねと意見がまとまった。そこで鍋のスープをトマトケチャップの味にしようと決まったのです」

チームの中では、子どもが好きなソーセージを入れよう、最後に卵を溶いたらオムライスになるよね、と次々にアイデアが出てくる。当初はトマトケチャップの味など甘くてあり得ないと、社内で反対の声もあったが、消費者調査をすると好評で商品化が決まる。「甘熟トマト鍋スープ」は発売とともに、大ヒットした。

「売り上げの速報値が右肩上がりで伸びていくんですね。お客さまの声もウェブ上にあがり、『すごく美味しい』『子どもがよく食べてくれた』などというコメントを見ると嬉しくなる。こうやって食卓に届いてくのだと思うと、大きな喜びがありましたね」

「食卓に届ける」ということ

新商品の企画では消費者の声を聞くことが欠かせない。自宅を訪問して、キッチンでつくるところや冷蔵庫を見せてもらうことでヒントも得られた。試行錯誤しながら商品を設計すると、経営陣を説得し、営業をかけて売ってもらえるようにプレゼンするのも大変な労力がかかる。それでもまったく売れず、すぐに終売が決まってしまうこともあり、悔しい思いを幾度も経験した。そんな久森さんにとって忘れられない思い出がある。2011年3月の東日本大震災から数カ月後のことだ。

「それは東北で被災されたお客さまの声でした。数カ月ぶりに家へ帰った時にトマトの炒め物を食べたそうで、『気持ちが沈んでしまい、なかなか思うものを食べられなかったけれど、食卓に赤い炒め物が出てきたときにすごく心が明るくなりました』という声をカゴメに届けてくださったのです。私が担当したトマトの炒め物調味料で、出来上がりが赤いメニューになります。当時は全然売れずに落ち込んでいたので、私自身も救われたのです」

自分の手がけた商品がどこかで誰かの役に立っている。商品企画の仕事にはそんな充実感があった。だが、久森さんにはその先に自分のキャリアを思い悩む時期が訪れた。

「君は何のために仕事をしているのか」

きっかけは入社15年目のこと。アメリカの食品会社との新規事業が進み、マーケティングの実績がある久森さんもタスクフォースの一員に抜擢された。だが、5人のメンバー中で海外経験がないのは自分一人。英語は得意ではなく、先方とのディスカッションでは伝えたいことを言葉にできないもどかしさを痛感する。自分の無力さを感じながら、いよいよアメリカ出張へ。その際、インド人の社長に予期せぬ問いを投げかけられた。

「社長には大きな理念があり、日本でマーケティングを担当する私と共有したかったのでしょう。最終日に私一人呼び出され、『君は何のために仕事をしているのか、達成したいゴールは何か?』と聞かれたのです。そのとき何と答えたのかは全然覚えていません。私はそれまで会社の中で与えられた役割をこなしていただけだった。自分が何のために仕事をしているなんて考えたこともなかったので……」

その答えが見つかるまでに5年ほどかかったという久森さん。その間、仕事もプライベートでも様々な変化があった。

体力勝負が限界を迎えたあと、どうキャリアを築いていくか

一人目の子どもを出産。育休から復帰するタイミングで国際事業本部へ異動し、初めて管理職に昇進した。新しい仕事を覚えながら、自分よりも経験の多いメンバーをマネジメントすることは想像以上に難しかった。国際事業で担当したのは、野菜ジュースをアジア5カ国へ輸出するためのサプライチェーンマネジメント(商品が消費者に渡るまでの生産・流通プロセス)を管理することと、SNSを活用したカゴメやカゴメ商品のブランディングやデジタルマーケティング。シンガポール、中国、タイなど、海外出張にも度々行った。その当日は子どもを寝かしつけてから空港へ行き、最終便に乗る。早朝現地へ着くと、夕方まで仕事をこなすと夜の便で帰国するという強行スケジュールだった。

そんな生活が2年間続いた後、二人目の産育休に入る。久森さんはそこで自分のキャリアを真剣に考え続けたという。

「自分のやりたいことをちゃんと見つけないと、この後職場へ戻れないと思ったのです。国際事業の仕事では現地を知りたいという思いがあったので、年8回くらい海外出張へ行っていました。それでも子どもを置いていくのは葛藤があり、ゼロ泊や一泊で出張するのは体力的にも辛かった。自分でももう無理だなと思ったので、この先にどうキャリアを築いていくかを考えなきゃいけないと上司と話していました。そうしなければ戻る場所がないという危機感もありました」

これからの夢は“今まで”にあった

実は産育休に入る頃、社内のビジネスプランコンテストに向けて同僚と三人で新しいビジネスを考えていた。それは女性特有の健康課題に取り組むビジネスだった。例えば働く女性を取り巻く様々な健康課題を知ってもらうための啓蒙活動や、貧血に対処する商品のサービスを提供するなど、働く女性をサポートするプラットフォームづくりを提案したのだ。

べジチェック:手のひらをセンサーにかざすだけで野菜接種の充足度を測定できる
べジチェック:手のひらをセンサーにかざすだけで野菜摂取の充足度を測定できる(写真提供=カゴメ)

久森さんは育休後に健康事業部へ異動し、温めてきたプランを推進していく。さらにこの年2020年から全社で「野菜をとろうキャンペーン」がスタート。日本の野菜不足の解消を目指し、カゴメでは個人の野菜摂取量を測定できる機器「ベジチェックⓇ」の体験会を実施。そのマーケティングに携わった久森さんは、今年4月から広告部で「野菜をとろうキャンペーン」を担当することになった。

実際に消費者に「野菜をとろう」と発信しても、自分や家族の生活がどう変わるのかを理解してもらわなければ行動につながらない。久森さんにとっては、これまでの仕事や子育ての経験が活かされているようだ。

自宅にて
自宅にて(写真提供=カゴメ)

「仕事では常に野菜のことを考えていますし、家族のために食事をつくる気持ちも大事にしています。それが健康を保ち、子どもの成長につながっていくので、自分がやっている仕事の意義もより感じるようになりましたね」

家庭では子どもたちと野菜の収穫体験に行ったり、トマトの苗を庭で育てたり、一緒に楽しむなかで自然に野菜を食べてもらえるようになった。自分自身もかつては過労でよく倒れていたが、今では早寝早起きとピラティス、そしてバランスの良い食生活を心がけることで「身体も強くなりました!」と久森さん。この仕事を通して、働く女性たちの健康をさらにサポートしたいと夢もふくらんでいる。