7月24日は何の日か
間もなく始まる、東京五輪。特殊な環境下での開幕となりますが、皆さんは新型コロナの感染拡大前から、毎年7月24日が「何の日」とされていたか、ご存じでしょうか。
正解は、「テレワーク」の日。実は、総務省をはじめ各官公庁は、7月24日、すなわち2020年に東京五輪の開会式が行われるはずだったこの日を、「テレワーク・デイ」として設定(17年~)。働き方改革の一環として、企業や社会に「毎年この日は、テレワークの予行演習をしてください」と呼びかけていました。
大きな理由は、通勤電車の混雑緩和と、いわゆる「2025年問題」。数年後、人口が最も多い団塊世代の介護を、子世代などが“働きながら”カバーしなければならなくなるとも言われ、通勤せずに働ける就業環境の整備は、社会にとって喫緊の課題でした。
つまりテレワークの導入は、コロナ前から、国や経済団体の間で「暗黙の合意」だったのです。
自販機から生まれた大ヒット商品
人口減少のうえテレワークが普及すれば、当然ながら通勤電車などの旅客収入は落ち込みます。だからこそ鉄道各社はここ数年、それ以外の収益割合を増やしていこうと、さまざまな取り組みにチャレンジしてきました。
その一つが、JR東日本グループ。ルミネ、アトレなどのショッピングセンター事業やホテル事業、さらに近年はエキナカの「エキュート」など商業施設の活性化、そして駅に約8500台も設置されている「自販機」の有効活用に、積極的に取り組んでいます。
その自販機から生まれた大ヒット商品が、「フロムアクア 天然水ゼリー(以下、天然水ゼリー)」(JR東日本クロスステーション/東京)。
20年3月の発売以来、「天然水のゼリーってなに?」などとSNSを中心に話題となり、21年5月期の販売実績は、対前年比で313%と、驚異的な伸びを記録しました。
実はこの商品に、他業界でも応用できる「DX(デジタルトランスフォーメーション)」のヒントが、隠されているのです。
ルーツは50年前にさかのぼる
「天然水ゼリーのルーツは、1970年代、上越新幹線のトンネル工事までさかのぼります」と話すのは、同ウォータービジネスカンパニー・商品部の飯田早夜さん。
鉄道ファンの方々は、既にピンと来ているかもしれません。1971年、上毛高原駅(群馬県)から越後湯沢駅(新潟県)に及ぶ、長さ22.2kmもの距離を掘ることになった、「大清水(だいしみず)トンネル」。
ですが掘り始めて7年後の78年、なんと毎分30トン以上もの出水が湧出し、トンネル工事の大きな妨げとなりました。これを当時、作業に当たった人たちがなんとか克服したのですが、このとき、次世代につながる大きな“発見”があったのです。
それが、湧出した天然水が思いのほか、おいしかったこと。
その後、障害になった湧水は融雪作業で使われていましたが、1984年に「おいしい」との評判を聞きつけた旧国鉄職員の提案によって開発、発売されたのが、ミネラルウォーターの先駆けとも言える「大清水(おおしみず)ブランド」でした。
ちなみに「大清水(おおしみず)」の名は、先のトンネル名のほか、「おいしい水」を文字ってネーミングした、との逸話もあるとのこと。
その後07年、リニューアルによって谷川連峰と天然水の透明で清らかなイメージを再現したのが、先の「天然水ゼリー」開発のきっかけとなったミネラルウォーター、「フロムアクア」だったのです。
自販機の天然水が抱えた“ある課題”
そんなフロムアクアですが、実はある「課題」を抱えていました。
それが、購買者や売れる時間帯に、偏りがあること。自販機で「フロムアクア」を購入するユーザーの多くが40、50代男性で、時間帯は“朝”の通勤時間帯がメイン。午後以降や10、20代の若者、そして女性には、いまひとつ売れ悩んでいました。
「自販機で売られるフロムアクアのペットボトルは、530mlと280mlの2タイプ。女性は530mlを1日で飲みきれないのではないかと考え、18年から少量サイズ(280ml)でも、女性が好むフレーバーウォータータイプを発売、展開し始めました」(飯田さん)。
「甘夏みかん」投入も、購入者はミドル層がメインのまま
すると、まず売れる時間に変化が見えるようになった。朝だけでなく“午後”の時間帯に、自販機でフレーバーウォータータイプが売れ始めたのです(現在は販売終了)。
商品群の多くは、「甘夏みかん」や「徳島ゆず」「シークワーサー」などの季節の果汁に、ミントやジャスミンなどさわやかな香りを加えたもの。このことから、「たぶんランチ後のほか、ホームで電車を待つ間などに、爽快感やリラックス、リフレッシュ感を求めて買ってくださるのではないでしょうか」と飯田さん。
ただ、それでも“夕方~夜”にかけての時間帯は伸び悩み、ユーザーも依然として40、50代の男女が中心だったといいます。
独自のゼリー飲料を模索
そこで若者を意識しつつ、「夕方~夜の時間帯を取りに行こう」と目をつけたのが、「ゼリー飲料」というカテゴリー。
飯田さんいわく、ゼリー飲料は毎年、大手メーカー数社がナショナルブランド(NB)の新商品をラインナップ。若年層が夕方以降、それを好んで買う様子が、過去の販売データから見えていたそうです。
キーワードは、帰宅前のちょっとした「小腹満たし」。
とはいえ、他のメーカーと同じような商品を展開したのでは、あまり意味がない。また、「NBのゼリー飲料の顧客はその後、果汁や炭酸に流れる傾向が強く、リピーターがつきにくいことも分かっていた」と飯田さん。
そこでJR東日本グループならではの独自性(谷川連峰の天然水)と、清涼感を感じさせるゼリー飲料として、製造メーカー(ハルナプロデュース)とともに、「天然水ゼリー」という画期的な新商品の開発に至りました。
若い男性を取り込めた
見た目の透明感や、どこか懐かしさを感じさせる「ラムネ味」は当初から決めていたそうですが、程よい後味の「ミント」の清涼感を感じさせるのが難しかったとのこと。
発売した20年3月は、くしくもコロナ禍となり、駅の乗降客数が急減する時期とも重なりましたが、それでも「天然水で作られたゼリー」という斬新さが、先の通りSNSなどで大いに話題に。
狙い通り、夕方の時間帯、若年男性を見事にとらえたほか、高いリピート率も確保したといいます。他方、10、20代の女性ユーザーは購入者の1割弱にとどまり、「女性が軽く振っただけでは、ペットボトルからゼリーが出てきにくいのかもしれない」と飯田さん。
顧客の購買行動をどこまで把握しているのか
ところで、天然水ゼリーの発売元・JR東日本クロスステーションは、なぜ顧客の詳細な購買行動を分析できたのでしょうか。
同社の自販機におけるデータ取得方法は、おもに2つです。1つは、「スイカ(JR東日本のICカード)」を使って購入した顧客に関する情報。厳密には、スイカに登録された個人情報は、JR東日本本体が保有・管理するもので、「たとえ定期券用に入力された情報でも、一グループ企業の弊社では把握できない」(同広報担当)とのこと。
一方で、自販機やスイカのICカードには、一つひとつ番号が振られていて、後者は通常、残金を「チャージ」する形で同じ番号を使い続けます。Aさんのカード番号が、仮に「0321」だったとすると、同じ0321のカードで「朝×時には八王子の自販機αで、昼△時には新宿の自販機βで、それぞれ○○という同じ商品を買った」ことまでは分かるそう。
つまり、Aさんが何時に、どの駅の自販機で、○○という商品を何度買ったかは、容易に把握できるのです。
アキュアの会員は20万人
もう1つのデータ収集方法が、同社が運営する「アキュア メンバーズ」の会員情報。6月末現在、会員数は約20万人いて、ここから居住地の郵便番号や性別、年代といった属性まである程度、分かるといいます。
「21年4月、弊社は同じくJR東日本グループでコンビニ、カフェ、商業施設を担っていた3社と経営統合し、社名も変わりました。今後は各事業部(カンパニー制)のデータを基にした『シナジー(相乗効果)』も期待できると思います」(同広報担当)。
「QBハウス」と「ダイソン」の共通点
ただし、シナジーを狙う際にはマーケティング上、決して忘れてはいけないことがあります。それが、「自社ならではの、独自性USP(ユニーク・セリング・プロポジション)」の打ち出しです。
USPは、1960年代に米国のコピーライター、ロッサー・リーブス氏が提唱した概念。よく例に挙げられるのは、「ヘアカット1200円所要時間10分」を打ち出す「QBハウス」や、「吸引力の変わらない、ただひとつの掃除機」を打ち出す「ダイソン」など。
大切なのは、単に自社の強みを提示するだけでなく「顧客にとって、どれだけ有益な約束ができるか」を明示することです。
先の「天然水ゼリー」の場合、「原材料の一つが、大清水トンネル工事を機に見直された、谷川連峰の天然水」はインパクトある独自性ですが、これだけでは足りません。
というのも、駅は老若男女、さらに多国籍の人々が毎日のように利用する公共の場。ここで朝から晩まで、いかに幅広い顧客に必要とされる商品やサービスを、的確に提供できるか。スイカというICカードや独自の会員情報は、あくまでもそうした「顧客の便益」のために利用されてこそ、だと言えるでしょう。
女性にも刺さる新商品を諦めずに探っていく
ゆえに、「天然水ゼリー」の開発チームは、諦めていません。21年6月からは、ツイッター上で「どのようにペットボトルを振ると、ゼリーが出てきやすいか」を一般の男女に問い、「より飲みやすく」を訴求するほか、今後は各事業部のデータを有効活用し、女性やシニア層にも刺さる新商品を、粘り強く探っていきたいといいます。
逆風だからこそ、自社がもつ資産や独自性を見直し、ビッグデータやAIを活用したDXによって新たな顧客価値を創造する……。西武鉄道や東京メトロ、JR九州ほか各電鉄会社も、すでに膨大なデータを活用したUSPの追求に乗り出しました。
私たちの個人情報が適切に利用されることで、数年後の交通インフラや街づくり、さらにそこで提供される商品やサービスは、飛躍的に進化するかもしれません。