※本稿は前田晃平『パパの家庭進出がニッポンを変えるのだ!』(光文社)の一部を再編集したものです。
復帰して「仕事の方が楽じゃねーか!」と思った
私にとって、2カ月間の育休期間は本当に幸せな時間でした。こんなにじっくり家族と時間を共有できたのは初めてですし、何より、娘の成長を間近で見守ることができました。この機会をくれた会社のみんなと制度に、心から感謝しています。
……なんだけど! この“幸せ”って、美味しいものを食べた時の「幸せ〜♥」とか、温泉に入った時の「幸せ……♨」とはまったくニュアンスが違うんです。
たとえるなら、新入社員として取り組んだ初の大仕事の後に感じた、あの幸せです。右も左もわからないけど、やることだけは山積み。顧客に叱られ、先輩に熱い指導を受け、半ベソかきながら深夜までがっつり作業。取り組んでいる最中はめっちゃツライ。もうほんとツライ。でも、絶対に成果を出してやろうと何日も徹夜で頑張り、終わってみればキツかったことも含めてみんな良い思い出……からの「幸せ(T_T)」みたいな。私にとっての育休は、まさにそんな感じでした。
もう本当に正直なところ、復帰した時は「仕事の方が楽じゃねーか……!」って思ったもん……。
妻との喧嘩が激増
何がそんなにツラかったのかと思い返すと、まあ色々ありましたが、大きかったのは妻との喧嘩(負け戦)の激増です。ただでさえカオスな新生児育児の現場で、唯一の相棒がたいていピリピリムードというのが、精神的にきつかった。
ある日買い物から帰宅すると、机の上に、読めば夫婦円満になるという噂の『夫のトリセツ』『妻のトリセツ』(講談社+α新書、黒川伊保子〈編〉著。押しも押されもせぬベストセラー。みんな、悩んでるんだな……)が置いてありました。育児のヘルプに来てくれていたお義母さんが、二人の険悪ムードを見るに見かねて買ってきてくださったのです。
まだ取得率わずか7%の男性育休を取ったうえ、(当人の主観では)本気で育児に向き合っているはずなのに、なぜ喧嘩が増えてしまうのか。この原因を解明すべく、我が家の喧嘩勃発の瞬間を分析してみたところ、だいたい妻のこのひとことで開戦していることが判明。
「なんでそういうことするの? ちょっと考えればわかるでしょ!」
私がよかれと思って言ったりやったり(あるいは、やらなかったり)することが、なぜか妻の地雷を踏み抜くという怪奇。でも、このひとことが飛び出した時は、“ちょっと”どころか、雑巾並みに知恵を絞っても、私には全然わからない。そしてこの「なんで怒られてるのかわからない」という態度が、事態をさらに悪化させます。
後で妻の機嫌が良くなった時に怒った理由を聞いてみると、「そりゃ僕が悪かった」と思う場合もあれば「え〜〜〜」って思う場合もありました。
指示待ちパパが出来上がるまで
なんでこうなってしまうのか……、私のひねり出した結論は「育児に関する意思決定が妻に偏っているため」でした。うちの夫婦は、家事育児にかかわるタスクは平等に分担しています。ママにできてパパにできないのは、授乳くらいのもの。
しかし、この時期の育児に関する意思決定では、自然と妻の意思を優先するようになっていました。それは、母乳育児をしているかぎり、育児スケジュールが妻の肉体と直結してくるからです。
うちは母乳とミルクの混合栄養(母乳とミルクの両方を与えること)でしたが、妻はできる限り母乳の比率を増やしたいと考えていました。仮にですが、ここで私が「いやいや! 母乳は手間がかかるから効率を重視してミルクだけで育てようぜ!」と主張するのは、どうなのか……?
妻は娘の成長だけでなく、自身の身体の状態も加味して意思決定をしています。その時のおっぱいの生産量とか、乳首の状態とか(吸われ続けると皮がむけたり血が出たりします)、乳腺炎(乳腺が詰まっておっぱいが岩状態になったりヤバイ高熱が出たりします)とか、おっぱいには繊細な問題がたくさんあるからです(知らなんだ)。だから、私としては自分で調査したり考えたりしたことよりも、当事者である妻の意思を尊重しようと思いました。
すると、ミルクをあげる量やタイミングも、睡眠時間も、母乳を軸にして決まっていきます。ミルクをあげすぎるとおっぱいを飲まなくなってしまい、逆に少なすぎると体重が増えません。そして、授乳の時間が空いてしまうと、おっぱいが詰まって乳腺炎が悪化します。
私は妻の指示を待つことが増え、そのスタンスが身についてしまい、育児上の色々なシーンで「コマンド:待ち」を発動するようになりました。これが続くとどうなるか? そう、立派な「指示待ちマン」の出来上がり! 会社でいえば、一番ダメなタイプの奴です。
“指示待ちマインド”が妻の地雷を踏み抜く元凶
そして、最初はよかれと思って妻の意思を尊重していたのに、気がついた時には、育児に関する勉強や調査はほとんど妻がやるようになっていました。
そうした調査に基づいた妻の意思決定を、私は当然尊重するわけですが、この時点で妻と私の間には意識と知識に大きなギャップが出来上がっています。そしてこのギャップは私の行動となって表れ、妻の地雷を踏み抜くのです。
「なんでそういうことするの? ちょっと考えればわかるでしょ!」
でも、この時にはもう“ちょっと”考えてもわからなくなってしまっているのです……(涙)。この罠にハマっているパパは多いんじゃないかなぁ……。妻の意思を尊重するのは、間違っていると思いません。でも、仕事においても育児においても「指示待ちマン」はイケてません。
母娘がわんわん泣く修羅場のような授乳風景
とはいっても、こんなピリピリムードが続くと私だって落ち込みます。慢性的な寝不足で正常な判断力を失っているため、その落ち方は普段の比ではありません。
そもそも育休なんて取らなければ喧嘩なんて起こらなかったのではないか……? そっちの方がお互い精神衛生上よかったのではないか……? こんなふうに思ってしまったこともあります。
そうやってモヤモヤしていたある日の早朝。いつも通り、娘の泣き声で目が覚めました。ふらふらと起きだした妻が、おっぱいをあげようとします。
この時は、まだ娘も1カ月になっていなくて、おっぱいをうまく飲めませんでした。妻だって新人ママなので、うまくあげられません。しかも妻は乳腺炎を発症していて、授乳のたびに激痛が走っていた時期です。娘だけでなく、妻まで泣いてしまっていました。
おっぱいを飲みたいのに飲めない娘と、あげたいのにあげられないお母さん。母娘でわんわん泣きながらの、ひどい授乳の光景でした。テレビとかに出てくる神々しい母子の授乳シーンはいったいなんだったのか……。
育休はとらなきゃいけないものなんだ
私は慌てて、娘が少しでもおっぱいを飲みやすいように体勢のサポートをしました。授乳クッションでは高さが足りずに娘の頭の位置が低かったので、私が後ろから、頭を手で支えました。すると、なんとかチュパチュパと飲み始めてくれたのです。よ、よかった……と思って一息ついた時、妻が涙を流しながら「ありがとう」と言ってくれました。
この時、わかった気がしました。育休は、取りたいとか取りたくないとか、そういうものではなくて、取らなきゃいけないもんなんだと。喧嘩するくらい、いいじゃないか。それより、パートナーを子育てという戦場に、二人で戦おうと誓った戦場に、たった一人で孤軍奮闘させるわけにはいかない。そんな風に思うようになりました。
私は2カ月間、妻は9カ月間の育休ののち、二人とも元の職場に復帰しました。相変わらず夫婦喧嘩は定期的に勃発していますが、私が育休を取った2カ月間で、妻とは子育てのパートナーとしての信頼関係もできました。子育てという試練はこれからの方が圧倒的に長いわけですから、パートナーとの信頼関係は何よりも大切。育休はそれを築く最高のチャンスです。
急低下した夫への愛情が戻るケース、地に落ちるケース
「育休はパートナーとの信頼関係を築く最高のチャンス」というのは、実際に私が体験して感じたことです。でも、より正確に言うと、「育休はパートナーとの信頼関係を築く“ほぼ唯一の”チャンス(子どもがいる場合)」です。ここを逃したら、後がないんです。同胞たる男性諸君、これは本当に大事な話だから、どうか忘れないでほしい……‼
図表1は、東レ経営研究所が発表した「女性の愛情曲線」です。女性の愛情の配分がライフステージごとにどのように変わるのかを表しています。結婚直前までは、彼氏、そして夫たる我らが名実ともに妻にとってナンバー1の存在です。ところが、妊娠を機に私たちのプレゼンスが凄まじい勢いで低下していきます。理由は見ての通り、子どもが取って代わるからです。まあ、これは百歩譲って仕方ないとしましょう。
しかし問題は、その後の推移です。「出産直後」から2つに分岐しています。V字回復するパターンと、地を這うように落ちていき、最後にはほとんどゼロ(!)になるパターン。この運命を分けるものはなにか……?
それは、妻の出産直後に夫が家事育児にコミットしたかどうか、です。ちなみに、この期間を逸するとその後の挽回は極めて困難とのこと。
私の同僚の女性は、もう何年も前になるこの時期の夫氏の振る舞い(曰く、あの野郎、私が陣痛で苦しんでいる間に、散髪に行きやがった‼)について、未だに腹を立て続けています。飲み会でその話を聞く度に、背筋にヒヤッとしたものが走ります。
「俺だって頑張ってるんだ」論争
男性育休を取ろうという人なら、程度の差こそあれ、家事育児をそれなりに頑張ろうと決意していることでしょう。私だって、そのつもりでしたとも。でも、本人目線の頑張ってる度と、実際にやれている度は、残念ながら違います。我が家でも「俺だって頑張ってるんだ」論争が勃発しました。
「家事も育児も、もう少し分担してくれないと、私が復職したら立ち行かなくなる」。こう宣言した妻に対し、「もう十分やってるでしょ!」と反論しました。だって、俺は頑張ってる! お皿だって洗ってるし、お風呂だって掃除してる! おむつだって替えてるぢゃないか‼ 侃々諤々の議論の末、お互いが担当する家事育児をすべてリストアップすることになったのですが……。
“やってるつもり”だったと思い知った瞬間
なんということでしょう! 「ちゃんとやってる」と信じて疑わなかった私のタスクより、妻が粛々と行っているタスクの方が、ぶっちぎりで多いではありませんか。私の目に入っていなかった家事育児が山のようにあったのです。例えば、娘の爪切りとか、おむつや衣類のセレクト及び購入とか、赤ちゃんの肌に優しいシャンプーや石鹼探しとか、離乳食の献立を考えるとか、保育園の調査とか……。私は途中から「もう勘弁してください」ってなってました。
図表2が、そのとき作った我が家の家事マッピングです(あふれかえる妻のタスクにご注目ください)。
でも、これはきっと、多くの夫婦に共通する現象なのではないでしょうか。
自分のためにも家事育児に死力を尽くそう
ちなみに、私が初めて図表1の「女性の愛情曲線」を目にしたのは、まだ結婚して間もない頃でした。当時は「そんな大袈裟な(笑)」くらいの感想しかなかったのですが、新生児の育児を実際に体験した今は、ものすごいリアリティを感じます。この時期の妻は、心身ともにボロボロでした。
乳腺炎になったり、子宮復古不全でお腹が痛かったり、何より、ホルモンバランスが崩れて精神状態がとても不安定でした。これは私の妻に限ったことではなく、産後の女性に普通に起こります(図表3)。
この女性ホルモン枯渇状態+慢性的睡眠不足状態で、昼となく夜となく泣き叫び続ける新生児と対峙するのは、あまりに過酷です。産褥期(出産後、体が妊娠前の状態に戻るまでの期間)の育児は、私たちのパートナーにとって、人生最大級の危機。
そんな極限状態の人の目に、仕事から帰ってくるなりスマホをいじりながら「泣いてるよー?」とか「ご飯まだー?」とか言い放ち、家事も育児もろくにしない夫が、どのように映るか。しかもそれは、かつては終生のパートナーと信じた男。これこそ、「ちょっと考えればわかる」こと……。
信頼を築くのには膨大な時間がかかりますが、失うのは一瞬です。私たち男性の側にとっても、間違いなくここは人生の正念場です。自分の、そして家族の幸せのため、家事育児に死力を尽くすことを強く進言致します‼