リクルートスタッフィングで、スマートワーク推進室 室長として、多様な働き方を提案する平田朗子さんは、新型コロナが感染拡大する前から、派遣テレワークの事業化に向けて尽力してきた。結果、かつて1%ほどだった派遣スタッフのテレワーク率が緊急事態宣言下で48%まで伸び、東京では62%に。逆境でも、平田さんが“絶対にあきらめない”理由とは――?

コロナ禍で注目された「派遣テレワーク」の導入に尽力

人材サービスのパイオニアであるリクルートグループのなかで、人材派遣事業を中心に展開するリクルートスタッフィング。未経験から事務職キャリアを育てる「キャリアウィンク」、プロフェッショナルな即戦力人材の時短ジョブを紹介する「ZIP WORK」など、多様な働き方を提案している。

リクルートスタッフィング スマート推進室長 平田朗子(ひらた・さえこ)さん
リクルートスタッフィング スマートワーク推進室 室長 平田朗子(ひらた・さえこ)さん

さらにコロナ禍において、企業から注目されたのが派遣テレワークだ。育児や介護、傷病などの制約を抱えている人、副業と両立したい人が派遣先での勤務と在宅ワークを組み合わせる「出勤オフ派遣」。その導入に取り組んできたのが、スマートワーク推進室室長の平田朗子さんだ。派遣スタッフの柔軟な働き方を推進する平田さんにも、自分を活かせる場所を模索してきた日々があった。

「自分自身も金銭的に苦労して育っているから、私の中で働くということはすごく尊いことなんですね。人は働いてお金をもらうということが素晴らしい社会参加の形だと思うので、私もこの仕事を通して何かできることがあればと考えてきました」

大学進学を目標に。給与が良かったのが入社のきっかけ

リクルート入社は1985年。4大卒は数百人にのぼる大量採用時代だったが、平田さんは20人ほどの高卒採用の一人。都立の進学校で学び、大学進学を希望していたが、家庭の経済状況で断念せざるを得なかったのだ。それでも「ジャーナリストになりたい」という夢があり、しばらく働いて学費を貯めたら、いずれ大学へ行こうと心に決めていた。

「それでお給料が高いところへ入ろうと思いました。進路指導室に来ていた求人パンフレットを見ていたら、初任給が一番高かったのはバスガイドで、二番目がリクルートでした。でも、バスガイドは歌が苦手なので無理だなと……」

とはいえ、リクルートという企業をほとんど知らなかったという平田さん。最初に配属された情報システムの部署では「まったく成果が出せず本当にダメだった」と苦笑する。

自分には向いていないと落ち込んでいたが、3年目に住宅情報誌の営業へ異動。思いがけず肌に合っていたという。

「めちゃめちゃ向いていたような気がします。営業の仕事は能動的で裁量権がありました。毎日会社へ行って何をするかを自分で決められる。繁忙期は終電帰りが続いても、楽しくてしょうがなかったんです」

30歳、やりがいを求めて未開拓の「派遣業」へ

営業の売り上げを伸ばして実績を積み、30歳のときにマネージャーに任用。部下を指導する難しさはあっても、仕事は充実していた。だが、10年経った頃、ふと自分を顧みた。営業は楽しかったが、住宅や不動産自体にあまり興味をもてないことを感じていたそうだ。

平田さんは異動を希望して、通販事業部へ。マーチャンダイジングに携わり、2002年に出向したのがリクルートスタッフィングだった。人材ビジネスは初めての経験で、派遣業は法律に縛られる厳しさもあるため苦労したが、2年間の出向が転機となる。その後、リクルートへ戻らず、転籍することを選んだのだ。

「私には何が向いているかと考えたとき、未開拓な分野やあまり型が決まっていない仕事の方が自分の強みを発揮できるかなと。派遣業はこれから伸びる分野であり、うちもまだまだ市場でシェアをとれていなかった。だから、ここで頑張る方が自分にとって向いているように思えたのです」

当時は雇用者全体に占める派遣社員の割合は1%弱であり、まだ多くの企業が受け入れている状況ではなかった。リクルートスタッフィングでは、事務・営業・販売・IT技術職への人材派遣はじめ、人材紹介、アウトソーシングを展開。都心型のオフィスワークへの派遣がメインで、女性の登録が8割以上を占める。平田さんも自身の経験を活かし、仕事に楽しさを見いだしていった。

「私は人に興味があるということに気づきました。派遣業の面白さは、年齢も職業も幅広い人と関わること。20代から60代、70代の人も働いています。そしてもう一つは、派遣スタッフへの就業フォローがあります。派遣は仕事を紹介して終わりではなく、実際に働く中でいろんな問題が起きたり、悩んだりする人に寄り添うことも大切です。非常に泥臭く、リアルな世界ではあるけれど、やりがいを感じられたのです」

時間と場所の制約がない働き方を支援。販売職の転換サポートも

2019年度に実施された人材派遣協会のアンケ―ト調査によると、「現在派遣で働いている」と回答した人の約84%が正社員経験者。派遣で働く理由としては、「働く時間や時間帯を選べる」「勤務地を選べる」が上位を占めていた。

「やはり時間と場所の制約がない働き方をしたいという人が多いですね。正社員は残業が多かったり、自分の仕事以外もやる、無限定な働き方のイメージがあるけれど、派遣は仕事の範囲も比較的明確で時給の契約で働いており、自分の仕事が終わったら帰っていいとか、仕事の範囲を明確にするジョブ型です。正社員のときは本当に疲れ果てていたので、結婚したら残業しないで夫のために夕食を作りたいという人。子どもを保育園へ迎えに行くため定時に退社したい人。あとは習い事をしたり、資格の取得を目指していたり、バックグラウンドもさまざまな方がいます」

平田さんが担当していた「キャリアウィンク」では、主に販売職の人が事務職へ転換するためのサポートをする。正社員であっても販売職はシフト制で働くことが多く、新卒2年ほどで店長を任されても激務に追われて、キャリアを築きにくいという悩みを抱えている人が多かった。そうした人たちに事務スキルを身につけてもらい、リクルートスタッフィングの社員(無期雇用派遣スタッフ)として事務職への就業を支援する仕組みだ。

「さらにITスキルを身につけてチャレンジしたいとか、将来的なキャリアを見つけられたという声がすごく嬉しかったですね。あとは自分の生活が充実したという声も多くて、本人の幸せ度が増したという話を聞くと、この仕事をやっていてよかったなと」

「派遣テレワーク」のニーズに応えるべく新規事業コンテストに参加

平田さん自身も次なるチャレンジをする。2018年に社内の新規事業コンテストで提案したのが「派遣テレワーク」だった。

もともと派遣テレワークのニーズが潜在的にあることは、自身が営業をしていたときから感じていた。ワーキングマザーが増えるなか、在宅ワークができればもっと働けるのに……という人。抗がん剤治療でオフィス通勤が難しいという人、親の介護と仕事の両立で悩んでいる人などから、派遣テレワークを望む声が出てきた。一方、企業側も働き方改革を目的としたテレワーク導入が進みつつあった。そこで平田さんは法務部の女性の先輩と一緒に起案したのだ。

「その方は派遣の法律に詳しく、キャリアも長いのです。新規コンテストというと若者が応募するイメージがあるけれど、私たちも何かできることを考えようと話し合い、派遣社員の方がテレワークできる仕組みを整えようということになりました。介護や育児で辞める人が減ると会社としても多くの就業機会が創れるし、何より働きつづけられればスタッフが喜ぶだろう。2020年東京オリンピック開催をひかえ、企業や国もテレワークを推進し始めているのでこれを検討すべきじゃないかという話になったのです」

「派遣テレワーク」の事業化に立ちはだかった2つの壁

コンテストでは準グランプリを獲得。事業化に向けて検討を進めたものの、なかなか導入が進まない理由の一つに法律の壁があった。例えば労働者派遣法では、派遣元事業者が定期的に派遣スタッフの就業場所(派遣先)を巡回し、契約に違反していないかを確認する必要がある。ではテレワークの場合はいかに巡回するのか、また契約書に就業場所をどう記載するのか判断がつきにくかった。そこで法務から厚労省に詳細を確認してもらうと、契約書の書き方を検討してくれることになり、それが突破口となった。

だが、もっと大変だったのが企業の理解だという。そもそも企業におけるテレワーク導入が進んでいないという実態が判明したのだ。2019年9月末時点で企業におけるテレワーク導入率は20.2%というデータがあった。リクルートスタッフィングの取引先では35%と高かったが、そのうち100社を訪問したところ、さらにわかったことがある。

「実はその100社の中でもテレワークが進んでいなかったのです。どういうことかというと、実施しているのはほとんどが限定的なテレワークでした。従業員の中でも育休明けの人や介護の申請をした人だけがやっているとか、管理職や人事部だけで実施しているとか、結局8割ほどの企業が限定的なテレワークだった。つまり、派遣どころか、従業員にもテレワークが広がっていないのが実情でした」

新型コロナウイルスの感染拡大で事態が急変。会社に電話が相次いだ

事業化は難しいことがわかったが、東京オリンピックに向けて準備を始めた矢先、事態は急転した。2020年1月末ごろから新型コロナウイルスの感染拡大が危惧され、平田さんのもとへクライアント企業からの電話が相次ぐ。

「派遣テレワークを至急検討しなくてはいけないので、どうしたらいいですか」という問い合わせだった。

コロナ禍が広がるなか、感染者が出たビルは業務停止となる。各社では全社員へのテレワーク導入が急務となったが、コロナ前から準備が整っていたことが功を奏し、スムーズに対応できた。かつて1%ほどだった派遣スタッフのテレワーク率が緊急事態宣言下で48%まで伸び、東京では62%となった。

リクルートへ入社してから35年、さまざまな働き方を模索してきた平田さん。それぞれ事情を抱えて働く人たちに寄り添う仕事にはこんな思いもあったと振り返る。

「自分は少数派という気持ちがずっとあったので、見過ごされがちな声には過敏かもしれません。私は高校が進学校だったので、卒業後に就職したのは自分一人きり。会社へ入ったときも高卒採用は少ないから同期がほとんどいない。最初に配属された情報システム部でも皆はイキイキと働いているのに、私は全然できなくて落ちこぼれでした。でも、営業で成果を出せたときに初めて、自分にも向いていることがあるんだとわかったのです。人材ビジネスも最初は向いていないと思ったけれど、やってみたら楽しかった。誰しも必ず自分を活かせる場所があることを信じているし、自分ができることがあるとあきらめないことが大切だと思っています」

2018年4月に大学院へ進学。楽しく働きつづけるために

平田さんは大学で学ぶ夢もあきらめなかった。2018年4月から法政大学の社会人大学院へ進学。越境学習の研究に取り組み、「会社員の副業」をテーマに修士論文を書いた。越境学習とはビジネスパーソンが所属する組織の枠を自発的に越境し、自分の職場以外に学びの場を求めること。そこで素の自分を見つめなおすことが、キャリア自律にもつながるのではないかと考えたという。

リクルートスタッフィング スマート推進室長 平田朗子さん

では、「ジャーナリストになりたい」という夢はどうなったのか。気になって聞いてみると、「社会に向けて、何か言いたかったのだと思うんです」と平田さんは振り返る。でも、働いていると仕事の現場でそれが実現できるし、論文を書くことで伝えられることもあったという。これからも多様な場で自分の思いを発信し続けることだろう。

「会社員は年齢を重ねるほど大変だとも思っていました。仕事もマンネリ化してしまうし、新しいチャレンジもしなくなる。長く楽しく仕事をし続けるのは意外と難しいのです。でも、大人がイキイキと働いていないと若い人も希望を持てない。だから、自分としては最後まで楽しく働くことを目標にしているんです」

今は社会人がチームを組み、社会活動をサポートするプロジェクトを運営するNPO法人でコーディネートの副業にも携わっている。さらに組織を越えて、自分を活かせる場を見いだしていく姿に女性たちの新しい働き方も見えてくるようだ。