責任者としてコロナ禍の対策を模索
コロナ禍で自粛生活が続くなか、インターネット通販のニーズは急速に伸びている。前例のない状況下、Amazonの創業者・CEOのジェフ・ベゾスは、全社員へ宛てたメールでこう述べたという。
「Amazonは、特に高齢者のような最も脆弱な立場にある方たちをはじめ、世界中の人々に極めて重要なサービスを提供しています。多くの人々は私たちを頼りにしています」
Amazonでは世界各地のすべての拠点において、働くスタッフやユーザーを守るための対策を実施。日本全国にある21カ所の物流拠点でもさまざまな取り組みが行われてきた。物流の現場を総括する佐藤涼子さんにとっても、それは前例のない試練だった。2020年10月には埼玉・坂戸に新設された物流拠点のサイトリード(拠点責任者)を担う。まさにコロナ禍の真っただ中で開設準備に追われた。
「スタッフの採用からオペレーションまでを、いかに構築していくか。新型コロナ感染が拡大している状況だったので、ここで働く多くの方たちの安全と健康を守る環境をどのように作るかということを最優先に考えました」
Amazonの物流拠点である「フルフィルメントセンター(FC)」は、オンラインで販売する膨大な数と量の商品の入荷、保管、出荷の一連の作業をする拠点。Amazon独自の仕組みを導入し、最先端のシステムと設備によって自動ライン化されており、翌日配送などの迅速な対応を行っている。
コロナ禍では状況の変化に応じて、業務や作業手順を調整してきた。例えば、シフト始業時の朝礼を廃止し、重要な情報は主要な作業エリアの近くにあるホワイトボードや、マネージャー、人事を通じて共有する。現場で働くスタッフどうしは互いの距離を2メートル以上保つように調整し、倉庫内は2メートル間隔でラインを引いた。
さらにシフトの開始時間や休憩時間をずらし、カフェテリアにもブースを設置。スタッフが1カ所に集まらないようにトレーニング方法を変更し、接触を防ぐために必要性のない建物の訪問をとりやめる。
広大な作業現場では、ドアのハンドル、階段の手すり、タッチスクリーン、スキャナーなど、清掃と消毒を徹底して強化した。
「現場のシステムは劇的に変わりました。それでも開設前はこれで大丈夫かと本当に怖かったですね。実際に人が入って、機械が動き出すと、自分たちが想定しきれなかった問題も見えてくるので、また次の日までに改善していく。日々、悩んで考えて、その繰り返しをずっと続けてきました」
自己開示ができない部下に、上司が問いかけつづけたこと
佐藤さんがAmazonへ入社したのは2010年。新卒で大手小売業に就職し、3年間働いた後に転職したのだった。前職では売り上げ向上のための企画や在庫管理など店舗運営を担当。接客が好きで仕事自体は面白かったが、残業続きの生活でふと心が揺れた。
「はたして自分は10年後もこの会社で働いていられるだろうか……」
10年後を想像できなかった佐藤さんは、転職を思い立つ。
そのときAmazonの求人が目に留まり、「プロセスアシスタント」という業務に興味を感じ、応募したという。Amazonの物流拠点(FC)ではさまざまな行程に分かれ、プロセスアシスタントは一つの行程の改善やオペレーション管理などを行う。大阪在住の佐藤さんは堺市にあるFCで出荷の部署に配属され、「ピッキング」の行程に携わることになった。
「お客さまからウェブで注文が入ると、棚から商品を取り出すという『ピッキング』の指示をシステム上で出すのですが、配達日時を守るためにはその日の何時までにトラックに載せるということが決まっています。プロセスアシスタントの業務は、お客さまと約束した日時にしっかりとお届けできるよう、滞りなくピッキングの作業ができているかという管理をすること。さらに現場で働くスタッフが安全に間違いなく、効率良く作業できるようにいろんな改善をしていました」
堺のFCでは大型家電以外のあらゆる商品を扱い、最初はそのスケールに圧倒されたという佐藤さん。異業種で未経験の中、無我夢中で仕事をこなしていく。2年後にはエリアマネージャーに昇進し、初めて部下を持つことになる。現場のスタッフは男性が多く、全員が年上だった。
「どうやってコミュニケーションを取ればいいのかもわからず、常に上司に相談していました。そこで指摘されたのは『自己開示をしなさい』ということです。マネージャーだからといって、弱い部分を見せちゃいけないわけではないのだと。むしろ自分の考えていることをしっかり部下に伝えることで同じマインドで仕事を進められるのだから、意識してやっていくようにと言われていました」
当時はよく上司に叱られていたと、佐藤さんは照れる。自己開示ができていない、オペレーションの際の判断が間違っているのに報告しなかった……と挙げればキリがないが、そんなとき上司には必ず「何が問題だったと思うの?」と聞かれた。なぜそんなことが起きたのか、自分の中でまず要因に気づかせ、それを改善するために何をすべきかを考えさせるのが上司の教えだった。
「叱られては、泣いていましたね。何で自分はうまくできないんだろうと情けなく、悔しくてたまらなかったんです。上司や同僚のサポートがあり、チームとして失敗することはなかったのですが……。失敗することをすごく怖れる自分もいたような気がします」
悩みながらも、さまざまなチャレンジをチームと乗り越えていく中で、仕事への心構えやこだわりなど、現在も指針とするリーダーとしての姿勢を少しずつ学んでいく。そんな佐藤さんに、管理職としての在り方を見つめ直す転機が訪れる。
プレッシャーに苦しみ眠れぬ日々
入社7年目にファンクションマネージャーに昇進。出荷の部署全体を見るリーダーになったのだ。それまでは日々のオペレーション管理や短期的な改善をしていたが、中・長期的なプランを立てていくことになる。コストの管理、数値目標の達成、さらにはメンバーの成長もサポートしていかなければならない。プレッシャーに苦しむ日々が続いたという。
「周りからの期待にも応えなければいけないと思うと、自分にこの役職が務まるのかとすごく不安でした。一カ月くらいは本当に夜も眠れないほどで……」
朝、会社に行くのも気が重く、このまま続けていけるだろうかと不安になる。いっそ違う人がこの部署を見る方がもっといい成果が出るんじゃないかとも考えてしまう。仕事を辞めようとまで思い悩んでいたとき、別のポジションの上司と話す機会があった。
「上司に言われたのは、『失敗してもいいんだよ』という言葉。そのときに心がすごく軽くなったのです。自分の中では求められる目標に何としても到達しなければと思い、失敗は許されないという気持ちがプレッシャーになっていた。でも、『今、お前がいるのは野原や』と。草の上なら転んでも擦り傷で終わる。だから、今のうちにいろんな失敗をしてもいいんだよと、励ましてくださったのですね」
上司のアドバイスに背を押され、佐藤さんは「がんばってみよう!」と心に決める。その矢先に次なる挑戦の機会が舞い込んだ。東京で次のFCを新設するので、その立ち上げをやってみないかと言われたのだ。
国内で女性2人目となる責任者に抜擢
長年住み慣れた大阪を離れて、東京へ。八王子で開設するFCでは、オペレーションの構築からプロセスの設計までともに働くメンバーと作りあげていく醍醐味を味わった。
「大阪弁はきつく感じるので、現場ではなるべく出さないようにしていましたが(笑)」
2019年には八王子FC全体の運営を担う「サイトリード(拠点責任者)」に着任。日本国内では女性2人目となる抜擢だったが、女性ゆえのプレッシャーはなかったという。
「物流の現場には男性の方が多くても、女性だから……と感じることはまったくないです。新しいFCが立ち上がる度に新しいポジションが空いて、昇進の機会も多いので、男女にかかわらず活躍できる場がありますね」
FCは24時間稼働するので、早番と遅番、夜勤の三交代制だ。それでも残業が少なく、有休も取りやすいシフトが組まれているので、子育てと両立する人たちは多い。かつて残業の多い職場から転職した佐藤さんも、先輩からタイムマネジメントの方法を教えられ、体力的につらいと感じることもなかったという。
新たなコミュニケーションを模索する日々に心がけていること
気がつけばAmazonで10年を過ぎた頃、思いがけず直面した試練がコロナ禍だった。昨年10月に開設した坂戸FCでは冒頭のように感染対策に追われたが、佐藤さんにとってはまた新たなチャレンジの場になった。
坂戸FCには最新の「Amazon Robotics」が導入されている。Amazon Robiticsとは倉庫内を自動走行し、商品棚を動かすロボットだ。入荷した商品を棚に入れると、「ドライブ」と呼ぶ小型ロボットがその棚を持ち上げて、出荷エリアへ運んでくれる。スタッフは商品を棚まで取りに行く手間が省け、作業効率をアップするというシステムである。
佐藤さんはこのシステムが導入されるFCでも初の女性サイトリードとなった。その現場で働くスタッフも新たな顔ぶれだけに、コミュニケーションも課題だった。コロナ禍では会議がすべてオンラインとなり、意思の疎通もなかなか難しい。現場では日々いろいろな問題も生じるので、部下のメンバーとは個々に話し合う時間を集中して取っている。
部下からの相談があれば、まず本人がどう考えているのかを聞き、自分で答を出せるようなコミュニケーションを心がけているという。
「私自身も少しストレッチした業務を会社からアサインされ、周りのメンバーや上司からサポートをしていただいたことでさまざまな知識や経験を積んできました。自分はアマゾンに入って、本当に成長できたと実感しています。部下のメンバーにも、『ここで働いたから今の自分がある』と思ってもらえるような成長のサポートをしていきたいですね」
今も大事にしているのは、かつて自分を励ましてくれた「失敗してもいいんだよ」という上司の言葉。その気持ちがある限り、これからも部下とともに成長していくことだろう。