好き嫌いの感情は誰もが持っているもの。ところが「嫌い」の感情は、持ってはいけない、出してはいけないと思いこんでいる人も少なくはないのではないでしょうか。脳科学者の中野信子さんは「“嫌い”をうまく使える人ほど豊かな人生を送れる」と指摘します――。

※本稿は、中野信子『「嫌いっ!」の運用』(小学館新書)の一部を再編集したものです。

つながり
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「嫌い」の直感は、危険を回避する合図

不快の直感は、初めて会う人、初めての仕事など、自分としては、これまで経験した覚えのないことでも、なぜかわからないけれど感じるものです。

それは、似たような経験、似たような知識から、あるいは覚えてはいないけれど、潜在意識の中にある出来事、出会いから導き出されていることもあるでしょう。

「なんとなく違和感を覚える」「なんとなく危なそう」など、直感で感じる「嫌」な気持ちは、具体的に言語化しにくいときがあります。しかし、そうした直感も看過しないほうがよいと思います。

よく事故の起こる交差点など、ここがなぜ危ないのかを言葉にして理解する前に、「見た感じで」、なんとなく嫌な感じを覚えることがあります。

無意識のうちに、「こういうところは危なるそうだな」という見た目の印象を、我々は言語化せずに経験や記憶から呼び出しているのです。

嫌な予感がする人とは適度に距離をとる

なんとなく嫌いな人というのも、その人から実際に嫌な目にあったことがないのになぜか嫌いだなと思うこともあるでしょう。

以前、どこかの家族が威圧的に振る舞って搾取するタイプの人にひどい目にあったニュースを見た、など、間接的な過去の経験から、嫌いなタイプの人間像が無意識的に埋め込まれていることもあるかもしれません。

何年も生きていれば、それなりに嫌な思いもするので、いつの間にか「甘え上手な人」は、最終的には自分を裏切っていいとこ取りする人だ、などと学習していることもあるでしょう。

もし自分の直感に従えるのであれば、嫌な予感がする人とは、適度な距離感を保ち、相手が自分に対してアグレッシブな態度を取ったときの準備をしておくべきです。嫌な感じがする場所を通るときには、周囲に気を配り安全策を取りながら通るということもできるでしょう。

今こそ身につけたい「非協調性」

「嫌い」と言いにくい理由として、協調性がないと思われるという懸念があるかもしれません。

会議
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逆に、「嫌い」をはっきりと言わない人は協調性があるとして、「褒められる」という社会的報酬が与えられたり、日本の組織では、扱いやすい人、人柄がいい人として、好まれる傾向があると思います。そこには、「嫌い」を言わず、黙々と頑張る人が優秀であるという、根付いた価値観があると思います。

しかし、時代とともに、「優秀者」の定義も変わってくるでしょう。

これからは多様性や、変化に対応することが求められる時代です。これからの社会では、「言われたことを、黙々とやる」だけでなく、別のプラスの能力が必要になってくるでしょう。

その一つは、「嫌い」を大事にする能力ではないかと思います。いうなれば「非協調性」でしょうか。

ただ周囲に同調するのではなく、自分ならではの考え、判断をもつ。

「嫌い」と言いづらい、みんなに合わせるべきという同調圧力がある中で、どう自分を生かしていくか、どのように自分の人生を構築していくのか、自分で考え、選択する力も身につける必要があると思うのです。

オリジナリティを打ち出す第一歩

そもそも日本では協調性が求められますが、欧米では、オリジナリティが重要視されます。非協調性というと、何が何でも反対するようなイメージがありますが、オリジナリティ、新機軸を打ち出すための最初の一歩と考えてみてはどうでしょう。

スキルとしての非協調性。同調、協調から始めるのではなく、試みとして非協調から始めてみるわけです。

同調と自己犠牲によって、和を保とうすることは、自分を大切にすることにはなりません。

「嫌い」と言えない「お人よしのいい人」ほど収入が低い

「嫌い」を言えない人は、「利己的」と思われたくない、「いい人」が多いと思います。ですが、「いい人」にはちょっとショッキングな研究があります。

中野信子『「嫌いっ!」の運用』(小学館新書)
中野信子『「嫌いっ!」の運用』(小学館新書)

「お人よしのいい人ほど収入が少なくなる」という研究です。

これはアメリカのコーネル大学、ベス・A・リビングストーン(Beth A. Livingston)、ノートルダム大学、ティモシー・A・ジャッジ(Timothy A. Judge)、カナダのウェスタン・オンタリオ大学、チャーリス・ハースト(Charles Hurst)による研究で、約9000人を対象に、協調性のテストと収入を調べた結果、協調性が高いほど収入が低いことが導かれました。

研究では、協調性には「信頼性=trust」「率直さ=straightforwardness」、「迎合性=compliance」、「利他主義=altruism」、「謙虚=modesty」、「優しさ=tender-mindedness」の六つがあるとして、これらを備えている人は収入が低くなりやすいことがわかったのです。さらに協調性の高い被験者が、最も管理職になれないという結果が出たのです。

もちろん、収入が高いから幸せであるとは限らないでしょう。

しかし、協調性があるために、そこに付け入られ、人から搾取されてしまうということが世の中では起きているということは知っておいてもよいと思います。

だからといって「利己的であれ」と言うわけではありません。

お人よしのための「嫌い」のコントロール方法

自分だけが幸福になるということには無理があります。自分が幸せだと思っても、家族や友人、仕事や趣味の仲間、親しい知人が不幸では、その幸せにも限りがあります。

人が人の中で生きていく上で、完全に、利己的に生きるというのは不可能です。要するに利己的というのも程度の問題で、特に「利他的」を尊び、「同調圧力」の強い日本では、うまく「嫌い」を使って、いささか「利己的」に考えることで、自分を守るように行動するのも一つの方法だと思うのです。

自分の心身は自分で守る意識をもつ。そのためにも、まず「利己的」に、自分の幸福を大事にするということを意識してみてはどうでしょう。

そして利己的になり、もしくは自分を優先しながら、所属する集団の利益も最大化する方法を考えるのです。

そのためには、「嫌い」を知り、できることとできないことを見極めて、「できることは全力でやりますが、これは自分にはできない」と、自分の「嫌い=できない」を発信する力も身につけていくことが必要です。

ただ「断れないだけ」の人も

「利他的」というのは、ある意味では自己犠牲の上に成り立つことです。それを続けることで、本当に自分が犠牲になってしまうことがあります。頼まれることを何でも聞いていて、結局、何もかも中途半端になってしまっている人がいますが、本人は、利他的であるとか自己犠牲などと思わずに、ただただ、断れないだけの場合もあります。

「利己的」の自由も認め、他の利益も最大化できるようなバランスを保つスキルをもっている人こそ、強く生き残っていける人なのではないでしょうか。

なぜ日本で「スティーブ・ジョブズ」が生まれないのか

日本では、自分の時間を優先して、皆と歩調を合わせられない人は、変わった人、あるいは協調性がない、大人げない、さらには身勝手な人と思われてしまうかもしれません。

しかし、自分のために時間を使うことは、自分の才能を伸ばす上ではとても大切です。自分の時間は、自分を磨くための「インプット」に欠かせないものだからです。

自分の時間というのは、自由に自分の好きなことに費やせますから、一見不要と思われるようなことでも「インプット」できます。知識やスキルの幅が養える時間、沈思黙考、思考を鍛える時間と言えるでしょう。その時間が才能を育みます。

しばしば、日本ではスティーブ・ジョブズのような天才が現れないと言われますが、それもやむを得ないことなのかもしれません。スティーブ・ジョブズの子供時代は、授業でも何でも興味がもてないと、やりたがらず、すぐにいたずらをするという手のかかる子供でした。

スティーブ・ジョブズが日本で育ったら、「問題のある子」「難しい子」として扱われ、同調することを強いられ、結果、才能を発揮することができなかったかもしれません。

天才を育てるには、「嫌い」を言える環境をつくる

成長段階では、好き嫌いにかかわらずいろいろなことに挑戦させることの意義は大きいでしょう。特に、小学校・中学校で学習する勉強は、学ぶ力の基礎体力のようなものです。その後で好きな学問を見つけ、才能を伸ばす上でも、特に義務教育で身につけた学習習慣や基礎学力は土台となるものです。ですから、ある程度のレベルまでは嫌いだな、辛いなという感情を上手に転換しながら、嫌いなことにも取り組む必要性について、私は否定するわけではありません。

しかし、あるレベルを超えた後、もしくは、天才を育てるという場合には、好きなことだけをやらせて、嫌いなことをやらないことに有効性があることも認めてほしいと思うのです。そのためには、子供が、安心して「これは嫌いだ」と言える環境をつくり、周囲の大人が、それに気付いてあげられるかどうかが重要です。そして、子供の時間を認めて、子供に好きなことをさせてあげてほしいと思います。

本当の天才を育てるためには、好きなことに没頭できる環境をつくり、何が好きで、何が嫌いなのかを把握し、「好き」を大事にするのと同じくらい、「嫌い」という気持ちを大事にするべきなのです。