※本稿は藤森かよこ『馬鹿ブス貧乏な私たちを待つろくでもない近未来を迎え撃つために書いたので読んでください。』(KKベストセラーズ)の一部を再編集したものです。
信頼できる人を気長に見定め確保する
近未来は経済的にも厳しく、従来の気晴らしや娯楽は「巣ごもり系」(ゲームや動画配信、仮想現実装置系)以外は衰退する。こういう時代は、人とも会わないので、孤独感に苛まれる。
他人と親密な人間関係を避けて自分の関心や興味に閉じこもる「回避型人類」でも、まったくのひとりで人間関係を拒否して生きることはできない。人間は社会的動物なのだから、どうしても他人との関係の中で生きていく。だから、信頼できる人を気長に見定め確保しよう。
それがたまたま肉親である場合もあれば、配偶者である場合もあれば、友人である場合もあるし、同僚だったりする場合もある。
そのためには、あなた自身が正直で誠実でいなければならない。そうでなければ、正直で誠実な人と縁を結ぶことはできない。
他人を信頼する蛮勇をもとう
やたら多くの人々と交際したがりネットワークづくりなどに懸命になる必要はない。まともな人柄で普通に生きていれば、知人のネットワークなど自然にできる。問題は、いつでもあなたを信頼し味方になってくれるような人間と、どれだけご縁を結べるかだ。
私が観察する限り、恋多き人というのは、既婚未婚問わず、ひとりの人間に自分を賭けることができない。いつでも保険をかけて、逃げ道をつくっておきたい人だ。信じて裏切られたことがあるのだろう。だから、再び裏切られた場合の傷の深さを怖がっているのだろう。気持ちはわかる。しかし、どこかで、開き直って、他人を信頼する蛮勇が必要だ。
目の前にいる人を大事にしよう
たったひとりの人間との関係においても逃げ腰で落ち着きのない姿勢は、友人知人関係にも出る。自分と接しているときに、どこか上の空でキョロキョロと周囲に目をやっている人間など、ましてや無神経にもスマートフォンやタブレットを弄っている人間など、誰が本気で相手にするだろうか。目の前にいる人を大事にしよう。
それから、ギブ&テイクの関係でないと関わりたくない人間とは、最低限にしか関わらないことだ。そういう人間は、ほんとうは、あなたにとって必要じゃない。「こいつにならば与えて与えて与えても構わない、何も返ってこなくてもいい」と思えない人間とは、深く関わらないことだ。
いっぱい与えて、裏切られてもどうということはない。裏切るより裏切られるほうがましだ。借りがあるより、貸しがあるほうが気楽だ。
これから、ほんとうに厳しい時代が来る。そんな時代は、やはり信頼できる人間と共に越えていきたい。たったひとりでも、そういう人と関われたのならば、それだけで実に強運だ。
人は思っているより多く、他者からの恩恵を受けている
私は前著『馬鹿ブス貧乏で生きるしかないあなたに愛をこめて書いたので読んでください。』において、「ひとりでも寂しくない人間になる」ことの重要性を書いた。寂寥感に負けそうになったときの対処法も書いた。自分の生活を成立させている多くの事物やシステムを思えば、どれだけの恩恵を自分が他者や社会から得ているかがわかり、孤独感は消えると私は書いた。
ちょっと近内悠太の『世界は贈与でできている 資本主義の「すきま」を埋める倫理学』(News Picks Publishing, 2020)を読んでみてください。あなたが思っているよりも、あなたは、あらかじめいっぱい贈与されていることに気がつくから。
学び続けていれば怖くない
未知なものや未来は怖いものだ。どうなっていくのか考えると怖いものだ。いろいろなトラブルを乗り越えた経験を重ねていない若い頃は、ほんとうに怖いものばかりだ。特に、今の私たちが生きている時代の未来には、人類史を大きく変えるような変化が待っているので怖い。
恐怖を乗り越える方法は、恐怖を直視することだ。恐怖を迎え撃つことだ。恐れていることの内実を知ることだ。逃げ回っていると怖さが増幅する。
まず怖いものについて調べてみる。怖いものを弄り回してみる。未来が怖いのならば、どんな未来が来るのか、そのいくつかの可能性をガンガン調べてみる。
未来も怖いが、人類の過去の歴史も十分に怖い。ほんとうに人間はろくでもない。確かに、この地球こそが地獄であって、「地球は宇宙の流刑地だ」とアメリカの空軍に捕縛されたエイリアンが語るローレンス・スペンサー編『エイリアンインタビュー』の内容は、私は事実で真実だと直感的に思う。
しかし、あなたも私も、自分が抱える恐怖も含めて未来のことを思うことができる。つまり恐怖も未来も、あなたや私の心の中で対象化される。つまり、あなたや私の心は、恐怖や未来よりも大きいのだ。怖がることはない。
クソどうでもいい仕事は報酬が高いが不幸感とストレスに悩まされる
人類学者のデヴィッド・グレーバー(David Graber, 1961~)著『ブルシット・ジョブ クソどうでもいい仕事の理論』(酒井隆史・芳賀達彦・森田和樹訳、岩波書店、2020)という分厚いが面白い本がある。
この本によると、人の役に立つ仕事(看護師、介護士、保育士、初等教育の教師などの広義のケア労働や真に生産的な仕事)よりも、人材コンサルタントや大企業の財務戦略担当や顧問弁護士や、官公庁や企業や投資会社などの無駄な類の管理職など、ほんとうには人の役に立っていない仕事=クソどうでもいい仕事(bullshit jobs)のほうが、報酬がはるかに高い。だから、多くの人々はその種の仕事を選ぶが、やりがいを感じることができないので、不幸感とストレスに悩んでいるそうだ。
これらのグレーバーが提示した問題も、AIやロボットが発展した未来の人類社会では消えるのかもしれない。ほんとうに役に立っている仕事も、ほんとうは無駄で無意味な虚栄的仕事も消えるかもしれない社会で、人は何をして生きていくのだろうか。
「これさえできればいい」と思えるものがあるか
賃金労働は収入が発生する意味で合理的な時間潰しである。自分で自分のしたいことを見つけることができない受動的な人間にとっては便利な時間潰しでもある。収入を保証する時間潰しであり、かつ学習機会でもあった賃金労働は、人類にとっては呪いであると同時に恩寵でもあった。
しかし、その呪いから解放される可能性が出てきたが、賃金労働の恩寵性も消えるのだ。そうなると、したいことを見つけることができない人間=自分という資源の活用方法がわからない人間=報酬の多寡や他人の是認の多さを基準に職を選んでいた人間にとっては、することがなくなる。既成の時間潰し方法で誤魔化すには、人生という時は長過ぎる。
だから、これからの人々は、ほんとうに自分自身を吟味しなければならない。自分が寝食を忘れて夢中になれるものがあるのか? これだけのことさえできればいいと断言できるような「これだけのこと」が自分にはあるのか?
昨今は、出版不況と呼ばれる。本が売れない時代だといわれる。本が読まれない時代だといわれる。しかし、どうしても出版事業に従事したい人間もいれば、どうしても書いて発表したい人間もいるし、どうしても読みたい人間もいるので、出版事業そのものが消えることはない。
あなたには、そういうものがありますか? 「これさえできれば、他のことは実現しなくても、まあいいや……」と思えるようなことが。無心で好きになれることが。