なぜ「一斉休校=困るのはママ」という構図になるのか
国際女性デーをきっかけに、ジェンダー平等についての記事がたくさん出ました。目につくのは、あらゆる場所も「ジェンダーバランスがとれていない」という記事です。
ジェンダーバランスに偏りがあると何が起きるのでしょう?
例えば、先日政府から一斉休校の発表があったとき、最初は「ママが大変」という報道がどこの番組でもなされました。女性が騒いでいる絵を画面に映す。「学校が休み→子育てはママの役割→困るのはママ」という性別役割分担に基づいた報道になっているのです。違和感を覚えて、ツイッターとFBで書きました。
この書き込みは瞬く間に拡散してもらえました。多くの人から「モヤモヤしていたことを言語化してくれた」と共感のコメントもいただきました。あるメディアの女性からも「番組の上層部は完全に女性だけの問題と考えている。説得しても聞いてもらえない」と内部告発がありました。
翌日からのワイドショーを見ると「リモートワークしながら、子供と過ごす大手電機メーカー社員のパパ」などの姿が……。もしかしたら、少しは効果があったのでしょうか?
現場の意思決定者のほとんどが男性
なぜ「子育て=ママ」という構図になるかといえば、それはテレビの現場に女性の数が少ないからです。
何回も記事に書いていますが、メディアの現場の意思決定者はほとんどが男性です。
日本のマスメディアは政府と同じぐらいダイバーシティが働かない場なのです。東京のキー局を調べたところ、現場の女性デスクは0%という状況が続いています(民放労連女性協議会)。キー局全体でも女性社員は2割程度です。つまり「何がニュースか、何を報じるべきか」を決めるのは男性に偏るという「同質性のリスク」があるのです。
新聞のほうはどうかと言うと、女性記者の割合は21.52%。デスクなど管理職は8.59%です。改めて可視化すると、マスコミにいる女性のなんと少ないことか。
なぜ、報道現場は男性ばかりになるのか?
採用の時点で女性は少ないのですが、それは24時間、365日コミットすることがデフォルトであり、評価されるという「硬直的な働き方」とも関係があります。
思いのほか大きい「同質性のリスク」とは
なぜジェンダーバランスの偏りが悪いことなのか?
それは「見落とし」が多いからです。私はこれを同質性のリスクと呼んでいます。例えば特許でも、男女混合チームで得た特許のほうが、その後稼げる特許になっているという統計があります。つまり、混合チームの特許のほうが、多くの人のために役立つ特許になっているということです。
ジェンダーについてもよく発信されているアーティストのスプツニ子さんは、男性が多いテクノロジー業界の状況についてこんなことを書いていました。「研究の世界でも、ビジネスの世界でも、『みんなを幸せにしたい』という言葉はよく聞くけれど、『みんな』って誰なんでしょう?」
理系エンジニアは男性中心の世界。「みんな」と言ってもどうしても取りこぼしが起きる。
「テクノロジーは進化し、人間は月面に降り立って遺伝子まで編集できるようになった。それなのに、私が毎月つらい思いをする生理の問題が野放しっておかしくない?」とスプツニ子さんはそんな問題に気づいています(エンジニアtype 2020年3月5日)。
テクノロジーの世界に女性が少ないのは、女性が応募しないから、女性エンジニアが少ないからだけでしょうか?
アマゾンがAI採用を実装した時に、過去男性エンジニアばかり採用してきたデータを使っていたので、「女性は採用しない」という無意識のバイアスがかかる結果となりました。この採用システムは「女性を差別するという機械学習面の欠陥が判明し、運用を取りやめる結果になった」と報じられていました(ロイター2018年10月11日)。
履歴書の性別欄と写真添付の廃止
そんな中、ユニリーバジャパンからこんな驚くべき発表がありました。「履歴書から性別欄、写真の添付をなくします」という発表です。リリースによれば、採用における無意識の差別がアンケート調査で明らかになったそうです。私も企業の人事担当者から「成績だけでとると女性ばかりになってしまうので、男性に下駄を履かせて採用しています」という話を何度聞いたことか。
「回答者の18%は、応募職種から、男性候補者を優先したことがあると答えました。履歴書のスクリーニングの段階で、履歴書に貼る写真が、合否に影響していることも分かりました」
このユニリーバの取り組みは、女性社員の比率を上げることに貢献するのでしょうか。
かつて米国のオーケストラの採用者の女性比率は5%でした。しかし現在は35%になっています。この拡大をもたらしたのは、採用試験で性別を含めて応募者が誰なのかわからない状態にした「ブラインドオーディション」を採用したからです。
日本の履歴書から「性別欄」をなくすユニリーバの挑戦に続くのは、さてどこの企業でしょうか?
明日からできる50:50プロジェクト
最後に提案です。
ジェンダーバイアスのない社会をつくるため、明日からできることは、あらゆる場の女性の比率を「本来なら人口の比率で5:5のはず」という目で見直すこと。すでに英国では2018年からBBCが50:50プロジェクトをやっています。
テレビとラジオの番組のジャーナリスト、専門家、評論家など出演者の男女比が月間の合計で半々にするというプロジェクトで、現在は500以上の番組制作の現場で実践されているそうです。
BBCは日本のNHKのような公共放送。だからこそ「みんなが受信料を払っているので、みんなを反映していないといけないのです」と言っています(朝日新聞DIGITAL2019年6月28日)。
NHKはぜひやってほしいですね。「皆様のNHK」なのですから。
また日々無数に開かれるシンポジウムの登壇者も、男性ばかりになっていないでしょうか? 男性登壇者ばかりのパネルディスカッションのことを「Manel」というそうです。私がそれをFBに書いたら外資系の人たちからは「男性ばかりの登壇者のイベントをやったら批判される」「国連職員はジェンダーバランスの悪いパネルへの登壇は断ることになっている」というコメントをもらいました。
政府をはじめ、さまざまな「委員会」が毎日開催されていますが、その委員の割合も5:5を意識してほしいところです。
政治分野のジェンダーバランスを実現する秘策
政治分野は選挙があるので、クオータ制などを実施しないとジェンダーバランスの確保は難しいと言われます。フィンランドは「公の場はどちらの性が多くても6:4」と決まっている。日本でも政治のジェンダーバランスを実現するため、いつも提案していることがあります。行政には特定職というものがあります。副知事や教育委員長などは、選挙に出るわけではなく指名制で決まります。各首長さんは、自分の県や市町村の議員のバランスが悪いなと思ったら、ぜひ女性の副市長や教育委員長を立ててください。
今、全国に女性の県教育委員長は4名しかいませんが、そのうちの一人、広島県の平川理恵さんが着任してから、「セクハラは許しません」と明言。あっという間に学校でのセクハラが減ったという実績もあります。
女性に下駄を履かせるのではなく、「みんな」のためにより良い結果を得るために、明日から5:5を意識してほしいのです。