OECDによるとドイツ人の労働時間は加盟国の中で最も短い。それなのに、景気は1990年の東西統一以来最も良い状態にあるという。対して日本は長く働いているのに、経済成長は鈍いまま。この差はどこからくるのだろうか。

※本稿は熊谷 徹『ドイツ人はなぜ、年290万円でも生活が「豊か」なのか』(青春新書)の一部を再編集しました。

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高収入より自由時間が欲しい人が主流

もちろん、ドイツにも「ほどほどの生活」では満足できない人たちがいる。この国の大企業には、出世欲に燃えた野心家もいる。彼らは、部長や取締役の座に就くために自由時間を犠牲にして、日夜必死の努力を重ねている。顧客との交渉のためにファーストクラス、ビジネスクラスの飛行機で頻繁に世界中を飛び回り、数千万円、数億円の年収を得ているビジネスパーソンもいる。しかし彼らは少数派だ。お金の奴隷にはならず、ほどほどの生活をすることで満足している市民の方が圧倒的に多い。

実際、この国の企業関係者の間では、「ドイツの新しい通貨は自由時間だ」という見方が強まっている。お金よりもプライベートな時間の方が重要だと考える人が増えているという意味だ。若い労働者の間では賃上げよりも休暇日数の増加や時短を求める人の方が多くなっている。「月給が増えなくても、家族と過ごす時間が増えればいい」と考える人が主流になりつつあるのだ。

お金に振り回されないドイツ人

このメンタリティーは、ドイツ人がお金に振り回されていないことをはっきりと示すものである。この国では多くの人が、「時間とカネ」をクールに天秤にかけているのだ。お金以外の価値の比重が高まっているために、金銭の持つ意味が、相対的に低くなりつつある。その点で日本に比べると余裕がある社会なのだ。

現在、ドイツの景気は、1990年の東西統一以来、最も良い状態にある。企業では人手不足が深刻化しているので、企業も若者たちのこうした希望に合わせて対応しなくては、優秀な人材を採用することが難しくなっている。

最小の労力で最大の成果を生む働き方

ドイツ人の行動パターンを理解する上で最も重要なキーワードは、効率性だ。彼らは常に費用対効果のバランスを考えている。端的に言えば、彼らはケチである。仕事をする際に使う労力や費用を最小限にして労働生産性を高めようとする。その傾向が日本以上に強いのだ。

たとえば私の知人に、数学とITに強いドイツ人がいる。彼はエクセルの達人だ。エクセルの演算機能を駆使して、恐ろしく精密かつ複雑な計算ツールを構築できる。極めて複雑な課題について、1つ数字を入れるとエクセルが瞬時に答えを出す。その裏には、精緻で複雑な演算式が入力されている。彼の仕事ぶりは、石を積み上げてケルン大聖堂のような建築物を構築する石工の執念を思い起こさせる。匠の技である。

彼は「私は基本的にものぐさなので、仕事の時の労力をできるだけ少なくするために、エクセルを自動化しているんだ」と説明した。もちろんこの人は、全然ものぐさではなく勤勉な人物である。だが彼の言葉には、仕事にかかる労力を節約して生産性を高めるために工夫を凝らすドイツ人らしい態度が浮き彫りになっている。

費用対効果が低い仕事は断る

ドイツ人は仕事をする際に慌てて取りかからない。仕事を始める前に、注ぎ込む労力や費用、時間を、仕事から得られる成果や見返りと比較する。仕事から得られる成果が、手間や費用に比べて少ないと見られる場合には、初めからその仕事はやらない。

もし日本ならば、仕事を発注する側の顧客が、担当企業から「見返りに比べて費用がかかりすぎるので、うちではできない」と言われたら、顧客は激怒するだろう。顧客は、その会社に二度と仕事を発注しないかもしれない。だが、ドイツではこういう説明を受けても激怒せずに納得する発注者が多い。発注者自身も常に費用対効果のバランスを考えながら仕事をしているからだ。

このようにドイツでは、日本に比べると「お客様(顧客)は神様」という発想が希薄なのだ。

発注者と担当企業、もしくは買い手と売り手の目線がそれほど変わらないのである。少なくとも日本のように大きな格差はない。受注企業、つまり物やサービスを売る側が、客に対してへりくだった態度を取らず、堂々としている。これはドイツの商店やレストランの従業員の態度と同じである。

つまりドイツでは客も、企業の都合に配慮しなくてはならない。しかもこの国は法律や規則の順守を重視する国なので、企業は法律の枠内で仕事をしなくてはならない。日本との違いが最も際立つのが、労働時間と休暇の問題である。

労働によって自己実現しようとする人は少ない

「なぜドイツ人はこんなに労働時間が短いのに、経済が回るのでしょうか?」

私はこの国に派遣された日本企業の駐在員からよくこういう質問を受ける。結論から言えば、日独のワーク・ライフ・バランスの充実度を比べると、ドイツに軍配を上げざるを得ない。これは私が日本で8年間、ドイツで29年間働いた経験に基づく実感である。

ドイツ人は無理をしてまで、お金を稼ごうとはしない。ある意味で労働に対する見方が、日本人よりもさめている。「労働によって自己実現をする」と考えている人は、日本よりも少ない。いわんや健康を犠牲にしてまで長時間労働をする人はほとんどいない。個人の暮らしを犠牲にするくらいならば、お金稼ぎにブレーキをかける。

彼らにとって、働きすぎによって精神や身体の健康を崩すことは本末転倒なのだ。ドイツでは日本に比べると長時間労働による過労死や過労自殺、ブラック企業が大きな社会問題にはなっていない。

大半のドイツ人は、「仕事はあくまでも生活の糧を得るための手段に過ぎない。個人の生活を犠牲にはしない」という原則を持っている。だから、同じ成果を出すための労働時間は短ければ短いほどいいと考える。常に効率性を重視しているのだ。

「カローシ」という日本語が有名に

日本ならば、ビジネスの最前線で戦う企業戦士たち、特に高成長時代を生きてきた元モーレツ社員たちから「怠惰な仕事態度だ」という批判が出そうだが、ドイツでは「自分の生活を重視する」ことについて社会的な合意ができあがっている。この国では、産出されるアウトプットが変わらないのならば、労働時間を減らすことは悪いことだとは見なされない。

日本でしばしば耳にする「仕事は終わっているのだが上司がまだ帰らないので、自分も職場に残る」とか、「基本給が低いので、残業をすることによって手取りを多くする」といった事情はドイツでは全く理解されない。

ドイツのメディアは日本で過労死や過労自殺が多いことについて時折報道するので、ドイツ人の間では「カローシ」という日本語が有名になっている。彼らにとってカローシは、カミカゼ、スシ、フジヤマ、ゲイシャ、ツナミと並んで有名な日本語である。カローシなどという言葉が外国で有名になるのは、日本にとって不名誉なことだ。

男性が3カ月の育休をとるのは日常茶飯事

日本企業からドイツ企業に出向していた山田氏(仮名)は、毎日午後6時にはオフィスがほぼ無人になり、管理職くらいしか残っていないのを見てびっくりした。深夜まで残業をしている社員は一人もいない。

2018年にはサッカー・ワールドカップ・ロシア大会のドイツ対韓国戦がドイツ時間の午後4時から行われたが、午後3時には大半の社員が家で試合の生中継を見るために退社してしまった。

この会社はフレックスタイムを導入している。同社は機械製造業なので、毎週の所定労働時間は35時間。つまり1日7時間だ。1日あたり7時間以上働くと「労働時間口座」に残業時間(プラス)が記録され、7時間よりも短く働くとマイナスが発生する。この労働時間口座の収支が期末にマイナスにならなければ、社員は業務に支障が出ない限り何時に出社、退社してもかまわないのだ。ドイツでは大半の企業がフレックスタイムを導入している。

さらに、社員たちは交替で2週間から3週間の有給休暇をまとめて取っている。山田氏が驚いたことに、課長や部長も2~3週間の休みを取る。有給休暇を残す社員は一人もおらず、管理職を除けば消化率は100%だ。女性社員だけではなく、男性社員が2カ月から3カ月の育児休暇を取ることも日常茶飯事だ。しかも、企業は育児休暇を取っている社員のポストを別の人で埋めてはならない。山田氏は、ドイツ人の営業マンが3カ月の育児休暇を取るのを見て、「これでよくお客さんが怒らないな……」と感心したほどだ。

しかも労働時間が短いのはこの会社だけではなく、ドイツの大部分の企業が似たようなシステムをとっている。

日本人より短い時間で1.5倍の価値を生むドイツ人

ドイツ国民たちがゆとりのある暮らしをしているからといって、経済が停滞しているわけではない。意外なことに、ドイツ人は短い労働時間で、日本人よりも多くの付加価値を生み出している。

OECDによると、2017年のドイツの国民1人あたりのGDPは、4万3892ドルで、日本(3万8202ドル)よりも14.9%多い。言い換えれば、日本人は毎年ドイツ人よりも354時間長く働いているのに、国民1人あたりのGDPは、ドイツよりも約13%少ないのだ。OECDが発表している国民1人あたりのGDPでは、ドイツは調査の対象となった36ヶ国の中で12位、日本は17位だ。日本の数字はOECDの平均よりも低くなっている。

日本とドイツの間の労働生産性にも大きな差が開いている。OECDは、毎年各国の労働生産性を比べた統計を発表している。ここで使われている労働生産性の定義は、労働者が1時間あたりに生み出す国内総生産(GDP)である。OECDによると、ドイツの2017年の労働生産性は69.7ドルで、日本(46.9ドル)に比べて48.6%も高い。

つまり彼らは我々よりも短く働いて、我々の1.5倍の価値を生んでいることになる。OECDのランキングに載っている36ヶ国のうち、ドイツは第6位。日本は第20位と大きく水をあけられている。日本の労働生産性は、OECD平均よりも低くなっている。

サービス業の生産性がとくに低い日本

ドイツの労働生産性が高い最大の理由は、労働時間の短さにある。GDPでは世界第3位の日本の労働生産性が低いのは、長い労働時間のせいだ。

もちろん労働生産性は、業種ごとに異なる。たとえば日本の機械製造業界、特に自動車産業の労働生産性は、ドイツよりもはるかに高いといわれている。しかし、日本のサービス業の労働生産性はドイツよりも大幅に低い。OECDの統計には製造業からサービス業まであらゆる業種が含まれている。日本では、自動車など一部の業種で労働生産性が高いのに、サービス業の労働生産性が低いので、全体としてはドイツに水をあけられているのだ。

ドイツ人よりも長く働いているのに、一人ひとりが1時間働くことで生む価値は低い。これは我々日本人の働き方に、ドイツよりも非効率な部分があることを物語っている。

現在世界中の企業にとっては、労働生産性の改善が重要な課題になっている。日本も例外ではない。機関投資家も、投資先を選ぶ際に労働生産性が高い企業に注目する傾向がある。つまり、労働生産性が低い企業には、投資家からの資金が集まらなくなる可能性もある。日本の全ての経営者にとって、労働生産性の改善は重要なテーマである。

ゆとりある働き方でも日本をしのぐ経済成長率

熊谷 徹『ドイツ人はなぜ、年290万円でも生活が「豊か」なのか』(青春出版社)

GDPの成長率においても、2017年のドイツは2.5%で、日本(1.7%)に大きく水をあけている。2014年以降は、ドイツ経済が拡大するテンポは日本経済よりも速くなっている。

さらに、財とサービスの貿易黒字を合計した経常黒字でも、ドイツは2017年に中国を追い抜いて世界1位となった。その要因は自動車、機械、プラントなどの輸出が好調であるためだ。ドイツの経常黒字は日本を約41%上回っている。

現在ドイツの景気は、1990年の東西統一以来最も良い状態にある。休みが長くても、物づくり大国ドイツの力は衰えていない。これらの数字は、高いワーク・ライフ・バランスを維持しながら、経済成長を続けることが不可能ではないことを示している。